2016年、柁原宏さん(理学研究院 准教授)が無脊椎動物ヒモムシに関するちょっと変わった論文を発表しました。そしてそれをきっかけに2018年、2019年とヒモムシに関する論文が発表されました。それらの論文の舞台は個人宅のグッピーの水槽、パナマの海、そして韓国の河。前回に引き続き、生物学徒の佐藤さんとニョロニョロ生物嫌いの成田さんによるインタビューをお伝えします。
【インタビューワー:佐藤丈生/成田真由美・CoSTEP修了生】
水槽で発見されたヒモムシ。柁原研へ
佐藤 2016年に出された論文1)についてうかがいたいのですが。
柁原 グッピーの水槽の中でみつかったヒモムシの論文でしょう。
佐藤 どういう経緯で研究をすることになったのかな、というのがすごく不思議で。
柁原 発見者の瀧端真理子さんは追手門大学の教授でご専門は博物館学なのですが、個人的には熱烈なグッピーマニアなんだそうです。ある日ご自宅の水槽で飼っているグッピーのお尻からひもみたいなのが出てるように見えて、最初はグッピーに悪さをする寄生虫だと思った。瀧端さんはお仕事の関係上、関西のあちこちの博物館に知り合いがいた。それで寄生虫のことも分かる滋賀県立琵琶湖博物館のマーク・グライガーさんのところに、正体を教えてもらいにその「ひも」を持って行ったんだって。そうしたらグライガーさんは「これはヒモムシですね。北大に専門家がいますよ」と言って、僕のところに話が来た。それで研究がはじまったんです。正体を明らかにするのにだいぶ時間がかかってしまったのですけれどね。2010年に発見されたから6年。そのきっかけは瀧端さん。
(Apatronemertes albimaculosa Wilfert & Gibson, 1974 アパトロネメルテス・アルビマクローサはドイツのペットショップの水槽で発見され、1974年に新種として記載された。「アパトロネメルテス」は「祖国のないヒモムシ」を意味する。オーストリア、アメリカでも発見されていたがすべて水槽からで、水槽の水草に「ヒッチハイク」して人為的に拡散したと考えられている。2016年の柁原らの論文で初めて日本から報告され、DNA情報も記載された)〈写真提供:柁原宏さん〉
佐藤 ヒモムシが送られてきたんですね。
柁原 そうなの。だいぶ熱心に水槽から出てくるたびにサンプルを送ってくださって。
佐藤 でも送る途中で死んでいなくなった、と論文に(笑)。
柁原 そこまで読んでくださった? そうなのです。
佐藤 そこはちょっと思わず笑って(笑)。「あ、死んだ」と(笑)
柁原 そうでしょ。こういうドキュメンタリータッチの論文はあまりないと思う(笑)。その入れ物、記念にまだ隣の部屋にある(笑)。
佐藤 ペットボトルに入れて送ってくださったのですか。
柁原 全部そうだったね。最初はクール便だったかな。冷やすと死んじゃうことが分かったので、普通便で冬に送ってくださったら、届いたときにすごく冷たくなっていて、やっぱり何も入っていなくて。
佐藤 溶けた(笑)。24度が適温とのことですが、結構高いですよね。もともと暖かいところのヒモムシということですか?
パナマの海で同じヒモムシが見つかる
柁原 そうそう。そういえばこんな論文、誰も引用するわけないだろうと思っていたら、最近引用されてて「まじか」と。その論文2)はパナマ運河で初めて同じヒモムシが見つかったと。これまでは全部水槽の中でしか見つかってなかったのだけれど、初めて野外で見つかりましたって論文。
(Apatronemertes albimaculosaは2018年のKvistらによる論文で初めて野外での発見が報告された。2016年の柁原らの論文も引用されている)
佐藤 それすごい、胸熱な展開ですね。
柁原 そうなの?
佐藤 いままで水槽でしか見つかってなかったけど、絶対野外にいるはずじゃないですか。
柁原 それも僕が形態と塩基配列と学名の情報を結びつけたから可能になったのです。いったんこの結びつけが出来上がると、それこそ本物が溶けて無くなっても、塩基配列だけから学名がわかる。そういうことができるのも、分類学者がいるからなのですよ。素人には形とか全然分からない。「遺伝子を見れば全部分かるんでしょ」って思っている人もいるけどそうじゃない。形と遺伝子と学名のゴールデントライアングルを提供できるのは、分類学者しかいないのです。
佐藤 ようやく野外から見つかったというのが、まずすごいし、それが過去の知識が適切に引き出されてきた結果というのがすごい。
アジアが原産? 韓国で近縁種を発見
柁原 で、僕の予想では、グッピーの水槽のヒモムシはたぶんアジアが原産だと思うのです。ちょっと前に韓国のソウルの南部に流れている漢江の河口域でヒモムシが大量に発生した。そこでは遡上してくるウナギの稚魚を網で獲るらしいのだけれど、大量のヒモムシが稚魚を食べちゃってすごい被害があったらしくて。
佐藤 それ、ウェブニュースでも話題になっていましたね。
柁原 それの同定依頼も僕のところに来て、いま論文3)やっと出したところです。その漢江のインヒモムシとグッピーのヒモムシが近い種類らしいのです。それもあって原産地はアジアなのではないかなと思っています。
佐藤 まさに分類学の面白さが詰まったエピソード。本当に面白い。
柁原 ほんとか?(笑)。君たちが面白がっているだけで、他の人は…
佐藤 他の人が面白がるように記事を頑張るのが僕らの役目なので。
柁原 じゃあ頑張ってください。
佐藤 本当に面白い。じゃあ、結局そのパナマで見つかったヒモムシも、パナマ起源ではなく、ペットショップの水槽から逃げた? そしてそれはアジア起源?
柁原 それは分からないんだよね。たぶん分かりようがない。もはや…。世界のあちこちから、サンプルを集めて、「やっぱりアジアのヒモムシの遺伝的多様性が高い。世界中にいるのは創始者効果で遺伝的な多様性がすごく低い」となって、初めて「やっぱりアジアが原産地だね」って言えるのかな。
ヒモムシの進化と博士の愛情
佐藤 そもそもヒモムシって、いつぐらいに現れたんですか。なかなか化石が残っているような種ではないと思うのですけれど。
柁原 バージェス頁岩で見つかったアミスクウィアが、泳ぐヒモムシになったのではないか、という説がありますね。だとするとカンブリア紀のころからいたのでしょうね。
(約5億年前の生物、アミスクウィアの化石。)〈転載:Wikipedia〉
成田 じゃあ生きた化石?
柁原 どうなのでしょうね。ほとんど基本的な体のつくりは変わってないんじゃないかと思いますね。ずっとあの形なんじゃないのかな。
成田 あの形になって、それが良かったから、同じ形のままでずっといるってことですよね。
柁原 かなりおかしな生き物だと思いますよ。みんな多かれ少なかれおかしいのですけれど(笑)。かなり変わった、特殊な生き物のグループですよね。他にいない。
成田 だって手足無いし、体節もなくブヨブヨ。
柁原 そう。吻をピュッて出して。
成田 そう。ピュッて。ところで先生は、ヒモムシと心が通じると思うことあります?
柁原 ないです(笑)。まだないです。
成田 もしかしたら来るかもしれない。
柁原 もしかしたら、死ぬまでに「心通わせたな」と思うときが来るかもしれません。でもまだないです。
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今回のお話では、研究を生み出す人や論文のネットワーク、そして分類学の蓄積の力を垣間見る事ができました。最終回となる第3回では分類学の学術的意義と社会的意義について深掘りします。
《第3回に続く》
今回紹介した研究成果は、以下の論文にまとめられています。
- Hiroshi Kajihara, Mariko Takibata, Mark J. Grygier (2016) Occurrence and molecular barcode of the freshwater heteronemertean Apatronemertes albimaculosa (Nemertea: Pilidiophora) from Japan. Species Diversity 21: 105–110.
- Sebastian Kvist, Danielle de Carle, Aydeé Cornejo, Alejandro Oceguera-Figueroa (2018) Biological introductions or native ranges: two curious cases of new distributional records in the Panama Canal. BioInvasions Records 7(3): 237–244.
- Taeseo Park, Sang-Hwa Lee, Shi-Chun Sun, Hiroshi Kajihara (2019) Morphological and molecular study on Yininemertes pratensis (Nemertea, Pilidiophora, Heteronemertea) from the Han River Estuary, South Korea, and its phylogenetic position within the family Lineidae. ZooKeys 852: 31–51.