2020年7⽉14⽇に、新型コロナウイルス感染症の流⾏のために休館になっていた北海道⼤学総合博物館が再開しました。その三階南側に、陸上植物標本庫があります。そこの管理を⾏っている、⾸藤光太郎さん(総合博物館 助教)に、SNSで情報発信を⾏う理由と、陸上植物標本庫の魅⼒についてお話をうかがいました。
(研究室にてお手製のハーバリウムを手に取る首藤光太郎さん)
首藤さんの専門を教えてください。
僕の専⾨は植物分類学や植物系統学です。植物を体系的に分類・整理していく学問です。僕は見つけたことがないのですけれども、新種を発見したり、分類が難しい植物の実体を明らかにする、というような研究がイメージしやすいと思います。植物分類学は伝統ある学問分野で、⽇本では、牧野富太郎(1862~1957)や、札幌農学校出⾝の宮部⾦吾(1860~1951)らが古くから取り組んできました。
僕⾃⾝は、イチヤクソウというツツジ科の草本植物を研究しています。光合成と地下の菌根菌への寄⽣の両⽅を⾏うイチヤクソウを用いることで、光合成をしなくなった植物の進化の道筋にヒントが得られるのではないかと思っています。他に、⽔草の研究もしています。⽇本の⽔草の種類は約270〜290種といわれていますが、そのうち約4割にあたる108種が環境省のレッドリストに⼊っており、保全の重要性が⾼いです。その一方で、⽔辺の植物の分布は十分に調べられているというわけではないので、国内の池や沼を地道に巡って、⽔草の分布を調査しています。
⾸藤さんは、陸上植物標本庫のTwitterを運営していますね。
今年の6⽉末からTwitterを使って、北海道⼤学総合博物館陸上植物標本庫(以下、標本庫)についての情報発信を始めてみました。今の所は2⽇1回ぐらいの更新になっていますけれども、なるべく毎⽇、今後は更新の頻度を上げていきたいです。フォロワーも少しずつ増えています。
Twitterを始めたきっかけについて教えてください。
私達の分野では、標本を日常的に使う若者が減っています。「標本を使う若者」とは「若⼿の研究者」のことだけではありません。⽇本はかつて、植物採集が趣味の⼀つだった時代があったようです。⼤学の研究者だけではなく、アマチュアの⽅も植物を採集して標本を作っていたんです。北⼤の標本庫にも、そんな地域の⼈が作った標本がたくさん収められています。それぞれの地域で地道に植物を調べる植物研究会・同好会の会員や、標本を管理するボランティアの⽅々などの、地元の⼈びとの幅広い活動によって、植物分類学は⽀えられています。
だから、これまでは地元のどこにどんな種類の植物が⽣えているかを知っている⼈は、それほど珍しくなかったのだと思います。しかし、今は若い⼈で、植物、特に植物標本の収集や整理に興味を持ってくれる⽅は、なかなか増えません。⾼齢化も合間って、植物採集と標本に関わる地域の⼈が本当に少なくなっています。植物を採取して標本を作るとき、植物の種名がわかることはとても⼤事です。僕は幼い頃から植物が好きというわけではなかったので、ほぼゼロから植物の種名を勉強する必要がありました。でも、当時の指導教員から教えてもらうだけでは、どうしても限界がありました。そこで地域にある植物研究会に参加して、アマチュアの⽅から、植物の名前や分布などついて、教えてもらうようになりました。僕に植物のことを教えてくれた先⼈のみなさんがいらっしゃらなかったら、僕は北⼤に来ることはなかったと思います。そんな⼈たちが⼝を揃えて「若い⼈がいない」と⾔っているのを聞いているうちに、⾃分のことを育てくれた地域の活動に恩返しができたらいいな、と思うようになりました。
僕が担当している北⼤の講義で、そんな植物の標本と研究を取り巻く現状を紹介して、学⽣に「この状態を解決するためのアイディア」をテーマにしてレポートを書いてもらったところ、「⾃分たちがやっていることをSNS で発信したらよいのではないか」という解答が目立ちました。比較的簡単に始めることができると思ったので、まずはやってみよう、ということで立ち上げました。このSNSアカウントをきっかけに植物に興味をもって、その名前を知りたいとか、標本を作ってみたいと思う若い⼈が、それぞれの地域の活動に参加するようになったらうれしいです。若い⼈の学びのきっかけになるような「オープンな標本庫」を⽬指していきたいです。
北大の標本庫の「推しポイント」を教えてください。
⼀つめは、歴史があることです。収蔵されているコレクションは、佐藤昌介などの農学校1期⽣が1876年の開校当時に作成した標本や、宮部金吾自身が北海道や千島列島で採集した標本に端を発しました。また標本庫自体も、1903年に札幌農学校の動植物学講堂の南側に建てられた「腊葉庫」が元になっています。北⼤は、⽇本の国立⼤学では2番⽬となる1907年に、植物学教室を設置しました。そういう意味で、北⼤の標本庫は⽇本でも由緒正しいものの⼀つと⾔えます。標本庫には当時の標本棚や、飾られていた植物学者の肖像が今もそのまま残っています。標本棚は今も現役で使われているんですよ。
⼆つめは、古い標本の状態がよいことです。虫害の度合いが少なかったり、当時の⾊が残っていたりする標本が、北⼤の標本庫には数多く残されています。宮部先⽣が当時作った標本が、とてもよい状態で残っているんですよ。ただ、どうしてきれいな標本が残っているのかは、わからないことが多いです。冬の寒さの影響で、虫害を受け難かったからかもしれません。
三つめは、北海道、千島、樺太の植物のタイプ標本が多くあることです。タイプ標本とは、ある種を新たに発表する時に、証拠として引⽤するための標本のことで、種の特徴を把握するために⽋かせないものです。宮部金吾や舘脇操などの北大に在籍した歴代の研究者は多くの新種を発表しました。これらの植物の分類を研究するときには、標本庫を訪れてタイプ標本を検討しなければ、なにも始まりません。
なにしろ、歴史のある標本庫なので、なかなか推しポイントをまとめることは難しいところですね。だから、Twitter で少しずつその魅⼒を発信していきたいと思っています。
⾸藤さんにとって標本庫とはどんな場所なのでしょうか。
僕は、標本庫は⽣物をとりまく社会のインフラの⼀つだと思っています。実際に標本庫を利用する方は決して多くはありませんが、職業研究者だけでなく、環境アセスメントに関わる方、それぞれの地域で植物の保全に関わる愛好家など、社会的に重要な役割を担う人である場合は少なくありません。そういう施設が植物園、博物館、⼤学などにあるということについては、みんなに知ってもらいたいですね。そんな標本庫を管理する仕事は、とても責任が⼤きく、⾝が引き締まる思いです。毎日、どうか標本をめぐる大きなトラブルがおきませんように、みたいなことを考えて過ごしています(笑)。
最後に学⽣へのメッセージをお願いします。
僕は、⼤学は⼈⽣に必要なものを学ぶ場というよりも、むしろ、豊かな⼈⽣を送るために学びたいことを⾃分で選択できる場だと思っています。僕は学⽣に植物の名前を教えていますけど、植物の名前を知っていなければ⽣きていけないなんてことはありません。でも、⾝近な植物について⼦どもに伝えられること、⾷べられる⼭菜を⾒つけて味わうことなど、ある⼈にとっては、豊かな人生を送る上でとても⼤切だと思うんです。それに、生き物の名前を知っているのって、それなりに楽しいんですよ。⼤学って、そういう事柄についての知識の集積体なんじゃないかな。別に生き物の名前じゃなくてもいいんですが、せっかく大学に入ったので、⾃分にとって⼤切なことを⾒つけて学び、それを活かして豊かな人生を送ってほしいと思います。僕はこのことを理解できずに学生生活の多くを無為に過ごしてしまいました。今も少し反省しています。