堀俊介さんは、平成6年に北海道大学経済学部を卒業し、翌年公認会計士2次試験に合格してから18年間、札幌で仕事をしてこられました。さて、公認会計士とはそもそもどのような仕事なのでしょうか?堀さんのお話の一部を、ここでご紹介しましょう。
公認会計士とはどのような職業なのでしょうか?
あなたが会社を始めようと思った時、一番最初に資金を出してくれる人は誰でしょう?あなた自身が資金を持っていれば問題ありませんが、そうでなくとも、多くの人が起業しています。それは「株主」から資金を調達することができるからです。
さて、株主の他に、会社を取り巻く人や組織にはどのようなものがあるでしょうか。従業員、役員、融資をしてくれる銀行、顧客、税務署、取引先、外注先、将来株主、証券会社、「市場」など、多様な人や組織が関わっています。このような人や組織に対して、「株主が出資している資金を会社がきちんと使っているか」ということを確認して保証するのが、公認会計士の代表的な仕事なのです。
このような仕事を、「監査業務」といいます。会計士は、監査業務の他にも、コンサルティング、株式公開支援、独立開業支援、M&A支援などを行うこともあります。また、監査法人などに属さずに、一般企業の社員として専門性を活かして勤務することもあります。
会計士としてのキャリアをどのように歩んでこられたのですか?
私の場合は、まず大手の監査法人に就職しました。監査法人とは、会計士のみによって構成される専門組織のことです。仕事は大変忙しく、朝8時から夜中の3時ぐらいまで働いており、徹夜も珍しいことではありませんでした。このような生活は長く続かないと思い、独立を考えるようになりました。
独立に当たっては海外でのビジネスにも興味を抱き、アメリカとカナダに語学留学をしました。しかし、会計士に求められるコミュニケーションは取引先企業の取締役などに対する高度な交渉・説得を含むものであり、生半可な英語力では通用しないと痛感しました。
そこでやむなく帰国したのですが、そのとき、四人の会計士の仲間と一緒に、札幌で監査法人を設立することにしたのです。「ハイビスカス」という社名は、花言葉が「信頼」であることを理由に選びました。南国の花ですので、一見北海道にはそぐわないと思われるかもしれませんが、北海道からどんどん「南下」して、いずれは全国規模でビジネスを展開するという希望を込めたものでもあります。
独立してしばらくの間はなかなか思うように仕事がとれず、最初の年は年収150万円くらいでしたし、それから2年経っても、元の会社に勤めていた時の半分くらいしか収入がありませんでした。それでも、楽しかったです。時間も、以前と比べて大幅に自由に使えるようになりました。
そのうちビジネスも軌道に乗り、現在は社員15名程度を抱え、東京と仙台にも事務所を構えています。今後は、関西方面への進出も考えています。
堀さんはどのような学生時代を過ごされたのでしょう?
学生時代から、組織の中で人に使われる仕事には就きたくないと思っていました。何か、個人で仕事をしていけるような能力を身につけたいと考えました。一方で、自由な時間も大切にしたいと考えていました。そのような条件で色々と情報を収集していたところ、会計士という職業に出会ったのです。
一念発起して、大学で学ぶのと並行して専門学校に通い始めました。会計士の勉強は本当に大変で、一日13時間ぐらい勉強していました。友人の中には一週間を6分割して、寝る回数を6回に減らすことで勉強時間を確保している人や、寝る時はテーブルの下で寝て、テーブルの上には勉強道具を広げておき、朝起きると同時に勉強を始める人などもいました。
大変な日々でしたが、貴重な経験でした。その友人達とは今でも仲良くつきあっています。
北大生へのメッセージをいただけますか?
今思うと、大学時代は「お金を払って時間を買っている」ようなところがあると思います。社会人は逆に、「お金をもらって時間を売っている」とも言えるでしょう。ですからみなさんは、お金を払って買っている自由な四年間を、色々な経験をする時間に充てていただければ、価値があるのではないかと思います。
それから、柔軟な考え方というのも大切でしょう。あまり杓子定規に考えず、あえて「冗談みたいに」生きてみるのもありかな、と思います。
ただし、「人の役に立つことをして生きる」というのは非常に大切なことだと思います。悪い目的で、悪い稼ぎ方をしても、結局自分に悪い結果が跳ね返ってきます。「善いお金の稼ぎ方」「善いお金の使い方」をして、生きていって欲しいと願っています。