求められている「コミュニケーション能力」とは
近年、経済界などがしきりに求めるコミュニケーション能力。しかしそれが何なのかは、誰も示していません。そもそもコミュニケーションとは何かについて考えることが、科学技術コミュニケーションを考えるうえでも必要だ、と平田氏はまず指摘しました。さらに、欧米のトップ大学の例を挙げ、最先端の研究をするうえでもコミュニケーションやクリエイティビティは必要不可欠であり、大学には頭と体を鍛える場所だけではなく、劇場や音楽ホールといった心を鍛えたり慰めたりする場が必要だと持論を展開しました。
控え室にて
文化によって異なるコミュニケーション
知らない人と電車やエレベーターの中で一緒になったとき、あなたはその人に話しかけるでしょうか。イギリスの上流階級の人々にとっては、紹介されていない人に話しかけるのはマナー違反です。一方、アメリカ人ならエレベーターで乗り合わせた人には誰にでも話しかけます。では、そのようなアメリカ人はコミュニケーション能力が高く、階数表示をじっと無言で見つめる日本人はコミュニケーション能力が低いのでしょうか。それは能力の優劣ではなく文化の違いであり、何がよいコミュニケーションかは文化や民族や時代によって異なる、と平田氏は言います。
コンテクストのずれがコミュニケーション不全をうむ
話し言葉のもつ個性やイメージをコンテクストと呼びます。このコンテクストの一部を共有し、それ故に「ずれ」があることに気づかないとき、コミュニケーション不全が起きます。他者のコンテクストを理解しようとし、理解したコンテクストを相手に返すことで、コンテクストのずれ、つまり「わかりあっていないこと」を顕在化させるのがコミュニケーションの第一歩であり、そこからよいコミュニケーションが生まれると平田氏は言います。そして、これは難しいことではない、と力を込めて付け加えたのが印象的でした。誰もがコンテクストを理解しながら生活しているものの、権力構造や時間制限といった社会的な障害があるためにうまくいかないのがコミュニケーションなのです。
たとえば、ホスピスの患者と医者、0点を取ってきた子どもと親など、立場が大きく異なる場合、いわゆる社会的弱者は直接的な言葉ではなくコンテクストでしかメッセージを送れないことが往々にしておこります。そのため、多様な人々がいる社会においては、まずコンテクストをくみ取ることが大切なのです。
コミュニケーションをデザインする
コミュニケーションを、人の能力の問題だけでなく、話しかけやすさを阻む、環境や場の問題とも捉えるのが、現在のコミュニケーション教育の潮流です。そして、組織体制や情報デザイン、建築などの空間デザイン、さらに まちづくりまでをふくめてコミュニケーションを改善していくのが、コミュニケーションデザインという考え方です。
生きぬくために、したたかに演じ分ける
コミュニケーションにおいて重要なのは、わかりあうことでなく、わかりあえないばらばらな人々が ばらばらなまま何とかするための社交性だ、というのが平田氏の講演のメッセージでした。現代の日本社会も、国際化 多様化しており、そこで必要とされるコミュニケーションも多様になっています。いくつものコンテキストが混在する現在、主体的に、したたかにペルソナを演じ分ける能力が求められているのです。