太田信廣さん(電子科学研究所 教授)を中心とする研究チームが、細胞にアポトーシスを引き起こす画期的な方法を発見し、8月16日、学術雑誌に発表しました。
「アポトーシス」とは、細胞の死に方の一種で、自ら死ぬことで生き物全体をよりよい状態に保とうとするものです。たとえば細胞ががん化したとき、それらの細胞のほとんどは、アポトーシスにより取り除かれます。このアポトーシスがうまく働かないと、がん細胞が増殖しつづけることになります。
太田さんたちの発見は、アポトーシスについての理解を深めるのに役立ち、がんなどの新しい治療法にもつながる可能性があります。北キャンパス(北20条)にある電子科学研究所に太田さんをお訪ねし、話をうかがいました。
これまでの研究の、蓄積の上に
「光と電場、それが私たちの研究のキーワードです」と太田さん。
物質に光をあてると、その物質を構成している分子が光のエネルギーを吸収して、別の光を出したり、物質の状態を変える反応が起きたりします。
このときに物質を、電圧をかけた2つの金属板(電極)の間に置いて(このようにすることを、物質に電場をかけるといいます)同じことをすると、さらに異なった効果が現われます。その効果を詳しく調べることで、物質のなかで分子がどのような振る舞いをしているのか、などを探ることができます。
太田さんは、構造が比較的に単純なもの(有機色素分子など)を手始めに、長年にわたってこうした実験を積み重ねてきました。
細胞に、アポトーシスを引き起こす
そして最近は、もっと複雑な、「分子の究極的な集合体」ともいうべき細胞を対象にして、同じアプローチで研究を始めたのです。
今回発表した研究では、まず細胞の中に、光をあてられると蛍光を発するタンパク質を組み込んでおきます。そのうえで細胞に、レーザー光をあてるとともに、電場もかけます。ただしこの電場は、ものすごい速さでオンとオフをくり返す、パルス電場です。太田さんたちが用いたパルス電場は、1秒間に1000回、オンとオフをくり返すもので、1回のオン状態はわずか50ナノ秒(0.00000005秒)という短さです。この電場を、1分間ほどかけます。
(太田さんたちが実験に使った装置の一部。実験は真っ暗ななかで行ないます。壁も真っ黒。)
そして、組み込んでおいたタンパク質から出てくる蛍光を観測すると、細胞にアポトーシスが引き起こされていることが確認されたのです。
これまでも、化学物質を細胞内に注入してアポトーシスを引き起こす方法が知られていました。しかしこの方法では、細胞を数時間かけて培養しなければなりません。それに対し太田さんの方法では、細胞膜をまったく傷つけることなく、しかも数十秒の時間でアポトーシスを引き起こすことができたのです。
「細胞を傷つけることなく、化学分析をする必要もなく、画像でリアルタイムにアポトーシスを見ることができるというのは、世界で初めてです」と太田さん。
この発見は、悪性の細胞にアポトーシスを起こさせ、それによって病気を直す、という治療法につながる可能性があります。
パルス電場をかけるには、ごく小さな電極を患部に入れるという方法もあるでしょうし、それに替わるこんなアイデアも太田さんは温めています。「光を吸収して電場を作り出すような分子を利用することで、電極を体内に入れなくても、光をあてるだけでアポトーシスを引き起こすという方法も考えられます。」
蛍光の寿命にも着目
太田さんたちは今回の実験で、細胞から出てくる蛍光の寿命(どれだけの時間かけて光が弱まっていくか)も測定しました。
すると、細胞の形が変わって「アポトーシスが起きている」とわかるよりずっと前の段階で、蛍光の寿命に変化が起きていることがわかりました。(下の写真のように、蛍光の寿命を“色”に置き換えて表現し、寿命の変化をとらえます。)
蛍光の寿命に注目することで、アポトーシスをほんとに初期の段階で検出することができるのです。また、アポトーシスのごく初期の段階に細胞内でどのような変化が起きているのか(アポトーシスが起きるメカニズム)を探るのにも、この現象を利用できそうです。
地道な作業があってこそ
太田さんたちがこうした実験を行なうには、パルス電場の中で、一つひとつの細胞の変化を顕微鏡で観測できるような「仕組み」を作りあげる必要がありました。たとえば電極の間で細胞を培養するのですが、その電極の間隔はわずか0.1ミリメートルです。「ポスドクのカムレシュ君が、2年ほどかけ忍耐強く、電極システムを作ってくれました。」
「准教授の中林君にも手伝ってもらいました。」そして、「蛍光寿命を測定する装置など、私の研究室で長年かけて開発してきたものを組合わせて、一つのシステムにしました。」
研究一路
地道に研究を積み重ねてきた太田さん。
「ほんとにベーシックな、これからという研究は、いい研究をしてどこかに発表しておけば、きっと誰かが気づいてくれると思っているんです。」
研究室の壁に「研究一路」の額がかかっていました。
中国近代文学の父といわれる魯迅が生まれ育った地、紹興を訪れたとき、自分でこの言葉を選んで書家に書いてもらったそうです。
「研究に関しては、いたってまじめです」という太田さんですが、気さくで、笑顔のすてきな先生でした。
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