新型コロナウイルスに世界中がふりまわされた2020年。日本では3月の北海道の緊急事態宣言に始まり、全世界的な活動自粛を経て、私たちはいま新しい生活のステージを構築しようと模索しています。この新しいウイルスに関するすべてのこと―――ウイルスの起源、型の種類や変異、感染メカニズム、重症化の条件や治療法、抗ウイルス薬や中和抗体、ワクチンの開発など―――が今まさに研究途上です。この星に住むほとんどの人間にとって脅威となった新型コロナウイルス。ウイルス学の専門家でない私たちも、その研究の動向には無関心ではいられません。日々、情報が塗り替えられていくこの状況で、私たちはこの新型コロナウイルス研究にどのように関わっていけばよいのでしょうか。
ウイルス研究者で北海道大学人獣共通感染症リサーチセンター教授の髙田礼人(たかだ あやと)さんは、これまでエボラ出血熱や新型インフルエンザの感染経路の解明や治療薬の開発研究に尽力してきました。ウイルスについての一般書も出版されています。いまだ研究途上の新型コロナウイルスについて科学的正解を求めることは時期尚早・・・とは重々承知の上で、高田さんに新型コロナウイルス研究の現状と展望を伺いました。加えて、今後の感染症研究と社会との連携の在り方についてもお話をきくことができました。
【池田 貴子・CoSTEP特任助教/奥本 素子・CoSTEP准教授/西尾 直樹・CoSTEP特任助教】
=世界が進める新型コロナウイルス研究=
これまでのウイルス研究の観点から、新型コロナウイルスをどう捉えていますか?
従来のコロナウイルスは風邪の症状を起こすウイルスで、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)はその中でも重症化しやすいタイプのウイルスです。言うなれば「ひっどい風邪」ですね。2000年代初めに流行したSARSも致死率が高かったんですが、ウイルスが淘汰されてすぐにいなくなってしまいました。あのときSARSワクチン開発には研究費がついて、多くの研究者が研究を開始しましたが、ウイルス自体がいなくなってしまったため研究もそれ以上進みませんでした。研究の需要が無くなってしまったんですね。
一方、新型コロナウイルスは文字通り今回初めて出てきたウイルスで、このとおりなかなか収束に向かいません。ですので、ウイルスが確認されて以来、継続して世界中でこの新型コロナウイルスの研究をしているというわけです。
人獣共通感染症リサーチセンターでも、塩野義製薬との共同研究で創薬にとりくんでいる最中ですね(こちらの記事をご覧ください)。各国の製薬会社や研究機関による抗ウイルス薬や中和抗体、ワクチン開発について連日のように報道されますが、改めて、今どういった研究段階にあるのでしょうか?
誰にも注目されていないウイルスだったらごく限られた人しか興味を持って研究しませんが、新型コロナウイルスの場合、治療薬やワクチンの開発スピードは通常より極めて速いと思います。
今回のように、新しい感染症の治療薬やワクチンを急いで開発する際は、まずはすでに薬事承認を受けた他の感染症の治療薬の中から新型コロナに効く薬がないかどうか、探します。やみくもに探すわけではなく、新型コロナに効きそうだなと予想されるものを試します。これまでの他のウイルス研究の知見が、新型コロナウイルスの創薬に応用できるのです。
もちろん、いますぐ効く薬がとりあえず見つかったとしても、完全ではない可能性もあります。例えばインフルエンザウイルスの場合は、すべての人に完璧に効くという薬はまだできていません。さらに、薬に対して耐性をもつウイルスが生まれる可能性もありますしね。だから、新しい作用機序の薬をずっと研究し続けなければならないのです。
先に別の研究チームが創薬に成功したとしても、こちらでまた違う作用機序の薬を開発する意味があるということですね。
ありますよ。とにかく最初はできたものから薬やワクチンを使おうというふうになるかもしれないですけれど、それができたからもうOK、とはなりません。きっとそんな完璧な薬はいきなりできないですから、違う薬、違う薬と開発していく必要があるでしょう。
ウイルスのバリエーションも複数あるようですし、厄介なことに変異もしますしね。今ロンドンでは感染力の強い変異型が急激に拡大していますね。確かに薬やワクチンの開発は終わりのない戦いかもしれません。
=社会情勢がウイルス研究の命運を握る=
ただそれも、このウイルスがずっと流行し続けたらの話ですよ。すごく病原性が弱くなって重症化する人がほとんどいなくなったら薬が売れなくなるでしょう?その可能性も十分あります。SARSだっていなくなっちゃったんですからね。集団免疫がついたり、人間活動の自粛によってウイルスの伝染が阻害されたりして行き場がなくなると、ある時突然いなくなるかもしれません。
そうしたら急に研究費も出なくなるわけです。今、この分野の研究の多くは競争的資金で行なわれています。利益の見込めるものや今問題になっているテーマに集中して研究費がつきやすい仕組みです。従来のコロナウイルスは昔から存在していたにもかかわらず研究者がほとんどいなかった理由は、ただの風邪にそうたくさんの研究費はつかないからです1)。
ですが今回のように、今まで注目されていなかったウイルス研究の知見が急に必要になることもありますから、競争的研究資金ではない研究費をコンスタントに配分して、ずっと研究を続けられるような環境を作っておく必要があるでしょうね。
研究の多様性がリスクヘッジにつながるのですね。ご著書の中でもエボラに関してはなかなか製薬会社が見つからなかったとありますが 2)、新型コロナに関してはどうなのですか?
エボラと違って新型コロナは先進国でも流行っているし、まだしばらく続きそうだし、絶対にお金になりそうだから製薬会社も乗り気でしょう。ただし、感染メカニズムが解明されたとしても製薬までの道のりは長いです。
ウイルス研究は社会情勢や世論に影響されるのですね。
僕らが学生だったころは、感染症なんて相当マイナーな研究分野でした。その頃は1980年に世界保健機関(World Health Organization:WHO)による天然痘の根絶宣言が出されたりして、感染症はもはや脅威ではないと考えられていました。
しかし、1997年に鳥インフルエンザが人に感染する事例が見つかりました。その時はあまり感染は拡大しなかったのですが、致死率は50%以上と高く、未だに警戒が必要なウイルスです。2003年以降、感染例が急増し、また同時期にSARSが流行して、当時のアメリカ大統領であったブッシュ大統領の演説の中にも感染症のリスクが触れられ、注目を集め始めました。人獣共通感染症リサーチセンターができたのもその頃です。このセンターができて、感染症の研究をやりたいという学生もたくさん入ってくるようになりました。癌研究などに比べたらずっと少ないですが、それでも感染症の研究に対して大型の研究費がつくようになったのです。
=私たちが認識している感染症は、ごく一部=
新型コロナウイルスがここまで急速に広範囲に拡大した背景には、現代の生活様式が関係しているのでしょうか?
全般的に、新興感染症の流行が拡大しやすい世の中になっているのは確かだと思います。一つには、グローバル化によってウイルスが運ばれる速度が速まっている点が挙げられますが、実は、新しい病気の検出技術が向上しているという理由もあります。今までもあったけれど見つかっていなかった感染症が、見つかりやすくなっているということです。今、私たちが認識している感染症は、たまたま見つかっただけ。まだ見つかっていないウイルスや微生物は山ほどいるはずです。
また次なる感染症が流行る可能性がいくらでもあるということですね。私達はこれから、新興感染症を予防しながらまあまあ普通の生活を送ることってできるのでしょうか?
感染症というのは、いつこうやって大流行するか分からないので、社会として備えが必要です。現在のように社会の機能を一部停止させたままでは普通の生活はできませんよね。だから、「100年に1度のパンデミックが起きたときにはこういうふうにしましょう」という指針をみんなで決めて、動けるようになれば理想的ですね。
=終わりに=
髙田さんへのインタビューからは、たまたま可視化された感染症のみに一喜一憂することのリスクも見えてきました。新型コロナウイルスの制圧までには長い道のりが待っています。しかし、社会がこの課題への関心や意欲を失えば、たちまち研究の進展は危うくなるでしょう。今そこに見えている脅威への対処は当然として、いつ起こるかもしれないパンデミックへの備えに私たちが関心を持ち続けることが、根本的で重要な感染症対策の一つなのかもしれません。
注・参考文献
- コロナウイルスの研究者の一人である東京農工大学の水谷哲也教授は、「1990年代ごろ、コロナウイルスの研究室は国内で三つぐらいしかなかった。学会では、インフルエンザウイルスやヒト免疫不全ウイルス(HIV)などメジャーなウイルスの陰に隠れた「その他のウイルス」扱いで、「他のウイルスがうらやましかった」と発言している(後藤 2020)。
後藤一也 2020:「日陰者だったコロナウイルス 「研究やめずによかった」」『朝日新聞』2020年6月10日, 朝日新聞デジタル(2020年12月22日閲覧). - 髙田礼人・萱原正嗣(編) 2018: 『ウイルスは悪者か―お侍先生のウイルス学講義』 亜紀書房.