「「安全衛生管理だの化学物質管理だのといった『雑用』はほどほどにして、真面目に研究をやったほうがいいよ」と以前、誰かに言われたことがありました。私はそれを聞いたとき、「そんな風に思われているのならばなおさら、とことん安全衛生を突き詰めて雑用でないことを証明してやろうではないか!」と思ったのです。」大学の安全を模索する道を歩み始めた頃を振り返りながら、こう力強く話してくれたのは、安全衛生本部の教員である川上貴教(かわかみ たかのり)さん(安全衛生本部 教授)です。
安全衛生を突き詰めることを目指してきた川上さんの姿勢は「大学とは本来どのような場所であるべきか」という問題意識に貫かれたものなのです。今回のインタビューでは、ふだんは見えにくい安全衛生本部での川上さんのお仕事について伺うことを通して、大学という学びの場をより魅力的なものへ変えていく川上さんの実践をご紹介します。
【杉浦みのり・CoSTEP本科生/環境科学院修士2年】
川上さんは、時に「雑用」と呼ばれてしまうこともあるお仕事に、これまでどのような姿勢で向き合ってきたのでしょうか。
確かに大学における教員の評価はどうしても研究成果中心になりますから、それに直接結びつかないものを「雑用」と捉える考え方があることは致し方ありません。ただし、それこそ個々の教員が研究成果を挙げていくうえでも、また学生を指導していくうえでも、安心して活動するための備えとしての組織的な安全衛生管理は「雑用」どころか「大学の本務を支える要の部分」だと思っています。
そう考えるようになったきっかけとして、ある企業の人から「大学は安全について学生にちゃんと教えないから、新卒は入社後に鍛え直さないと使いものにならない」と聞いて、恥ずかしく感じたことがあります。教育機関であるにも関わらず大学は研究優先だから安全教育など後回しにしても構わないような風潮すら当時はあったかもしれません。しかし、先に安全の確保があってこその研究活動ですし、学生に至っては、研究の手法だけ学んで安全を学んでいないままの状態で社会に送り出すというのはいかがなものかと思います。これは教えている側の人間が「学生たちが大学で何を学ぶべきなのか」ということを考えて必要な教育を施していかなければいけないものです。
「何を学ぶべきなのか」を考えると、安全教育は評価されにくいと同時に、その重要性が伝わりにくい面があると思います。安全教育を行なう際の工夫などがあれば教えてください。
まず「いままで問題が起きていないから安全教育など必要ない」といった誤解があります。いままで問題が起きていなくても、たまたま運良く問題が起きていないだけで、いつ問題が起きてもおかしくない状態の場合もありますから、現状を把握したうえでこれから問題が起きないように本質的な安全を確保することが重要です。もうひとつ「要するに法律を守れば良いのでしょう」という誤解があります。もちろん法律は守らなければいけませんが、法律を守れば安全が保証されるといったものではありません。信号を守れば交通事故にはあわないというものではありませんね。自ら確認して危険を予測して身を守ろうとする積極的な意識が必要です。それと同じように、何かの法律で決まっていることだけを守れば良い、ではなく事故や怪我は自分たちで防ぐという感覚をもたないといけません。
また、「大学の安全=実験の安全」で「危険なことをする特定の人だけに関係する」という思い込みもよくありません。もちろん専門分野ごとに特化した安全教育は必要ですが、それ以前のごく基本的な「ハザードとリスク」ですとか「安全配慮義務」といった安全に関する考え方は特定の分野だけのものではなく、社会で生きていく上で誰もが知っておくべき素養だと思っています。現状ではほぼ高校までに学ぶ機会はありませんから、せめて北大に入ってきた学生さんには文系理系を問わず基本的な安全に関する教育を行うようにしています。そこで「社会に出たらあなたたちが職場の安全を守る側にもなれるように」という意識付けまでするのが大学のあるべき立ち位置だと考えています。
学生のためにも本来どうあるべきかを探求するという姿勢がとても大切なのですね。しかし、その姿勢を貫き通すことを妨げるさまざまな要因がありそうですね…。
表面的な部分に目を奪われないように注意しないといけません。例えば、私たちの大事な仕事の一つに化学物質管理システムの運用があります。この種のシステムは2000年頃から登場して、現在では多くの大学に導入されていますが、専用のシステムさえあればすぐ管理できるというものではありません。システムを販売する側は夢のような素晴らしい機能・性能をアピールしますが、結局のところ化学物質を管理するのはシステムではなく人間です。
人間がシステムをツールとして活用するためには、化学物質管理の考え方の議論から始まって、具体的なルールの策定、繰り返しの周知や教育、そして実態の把握といった組織的な活動が必要です。派手なシステムの部分が目につくかも知れませんが、実はこういう地道な活動こそが化学物質管理を支えているのです。
専用システムの機能・性能があるからではなく、北大としての化学物質管理の在り方を問うことが、システムをよりよく活用していくことを可能にしたんですね。そういう目立たない仕事の積み重ねによって大学の日常の安全が守られているのだと分かりました。
胆振東部地震の際にも、目立たない仕事の積み重ねが役立ったと考えています。あれだけ大きな地震だったにもかかわらず、本学の被害は比較的少なかった。日頃の巡視によって地震対策としてあらかじめ家具や棚やロッカーを固定するように指導してきたことは大きいと考えています。
ただ、こういう話をしてしまうと「固定したことで何%被害が軽減できたのかエビデンスを出せ」と言われます。棚を固定していないときと固定しているときを全く同じ条件の地震が来て比較するという訳にはいきませんから、根拠とともに数値で示して成果をアピールするというのはできません。このように「安全衛生本部の活動のおかげでこのような成果があった」ということを示すのは非常に難しいのです。
そうしますと、私たちがときどき言われるのが「安全衛生本部は何をやっているのだ?」という疑問です。何事もなければ役に立っているのか、そもそも何をやっているのか目立ちません。一方で、何か事件や事故が起きると同じ言葉ですが語気を荒げて「安全衛生本部は何をやっているのだ!」。まるで我々の活動が足りなかったから問題が起きたような言われ方をされることもあります。そういう意味では安全衛生本部はいつも「何をやっているのだ」と言われたりする、なかなか真価が判って貰い難い部署なのです。
しかし、川上さんを見ているとそんな悲壮感はまったくありませんね。安全衛生の活動には今後どのような期待をされていますか。
これからますます世の中が変わっていくでしょうね。北大だけではなく、いずれはこうした活動をすることがどこの大学でも当たり前になっていって欲しいと願っています。そう考える仲間が周りにも、他大学にも増えてきましたし、変えるために私たちが活動して認められていくように全力でやっていかないといけません。そういったことが私にとってのこの仕事の原動力になっています。せっかくこういうポジションをいただいている以上、大学の安全衛生管理が充実するように尽力していきたいし、その期待にしっかり応えていきたいです。
北海道大学安全衛生本部HPはこちら
学内であれば安全の手引き等をダウンロードが可能です。