北京2022 冬季オリンピックが本日開幕します。氷雪のフィールドが舞台となる冬季オリンピックでは、選手たちは、寒さとも闘わなければなりません。怪我の予防、そしていつものパフォーマンスを発揮するためにもウォームアップで体を温め、準備することが大切です。
では、より効果的なウォームアップとはどういったものなのでしょうか? 実は、ウィンタースポーツを行う寒い環境でのウォームアップ効果については、これまで十分な研究が行われていませんでした。これを科学の観点から明らかにしようとするのが、スポーツ理学療法学を専門とする寒川美奈さん(保健科学研究院 准教授)です。
寒川さんは、昨年行われた東京オリンピックを含めて過去5回、日本選手団をサポートする理学療法士としてオリンピックに同行しました。研究の糸口は、選手たちが実際に競技する現場にあったのです。
※本取材は12月上旬に実施したものです。
【江澤 海・CoSTEP本科生/社会人】
現在、寒川さんは寒い環境での効果的なウォーミングアップを研究しているとのことですが、なぜ寒い環境に注目したのでしょうか?
きっかけはふたつあります。ひとつ目は、はじめて日本選手団のトレーナーとして従事した2006年トリノオリンピックです。私はずっとモーグルのチームについていたんですが、トレーナーがいなかったエアリアルの選手のストレッチを手伝ったんです。エアリアルは体操から転身する選手もいて、体の柔らかさを要求される競技です。
トリノオリンピックで出会ったそのエアリアルの選手は、毎日練習前にウォームアップを1時間半、そして練習後にも1時間半クールダウンをしてコンディションを整えていたんです。
毎日合計3時間も! それはさぞ体も柔らかそうですね。
それが、私のような理学療法士からみると、柔軟性は改善の余地があると思ったんです。試合も近かったので、本人にはあまりお伝えしなかったんですが・・・。
そこで、効率的で選手に役立つウォームアップ方法を見つけてあげられたら、もっと競技の練習に集中できるんじゃないかと思ったんです。 やっぱり選手は自分の体にすごく向き合っています。そういう選手を支えるような理論を作っていかなきゃいけない、っていうのをすごく感じたきっかけなんですよね。
選手のための効率的なウォームアップ研究という大きなテーマを見つけたのですね。
すごくヒントをもらいましたね。そして寒冷環境に着目したふたつ目のきっかけが、モーグル競技のワールドカップで遠征に随行していたときの出来事です。気温差がすごくて…例えばカナダでは0℃から-44℃もの違いがありました。-44℃のような環境下にいる選手を観察していると、手足をブランブラン!と勢いよく振っていたんです。それも全力で。筋肉を温めようとウォームアップ強度を高くしていましたね。
それで、選手は気温ごとに自分たちでアップ方法を調整してるんだなと感じたんです。でも、そのアップ方法が本当にパフォーマンスに繋がってるのかというのは明らかにされていなかったので、研究でその効果と対策をより科学的に考えていこうと思いました。
ウィンタースポーツの現場で、選手の様子や経験から着想を得た研究なのですね。ではウォームアップについて、どのように研究を始めたのでしょうか?
ウォームアップの効果についての研究は、これまで全くされていなかったわけではありません。例えば、マラソンのような持続的な運動よりも、スキージャンプのような筋肉を瞬間的に収縮させるジャンプパフォーマンスの方がウォームアップの効果が高いと、先行研究1)からわかっていました。
でも、ウォームアップによる効果がどれほど長続きするのかという点については、寒冷環境のものはもちろん、室温に近い常温環境における研究としてもあまりなかったんです。そのため、まずは常温環境で異なるウォームアップ強度とそのウォームアップ効果の持続性について調査することから始めました。
ウォームアップの強度とはどのように設定するのでしょうか?
簡単にいうと、最大心拍数から算出しています。1分間の最大心拍数は、簡易的に「220-年齢」で求められます。20歳だったら、最大心拍数は200ですね。この最大心拍数の80%の心拍数になるような運動を高強度、60%を中強度と定義しています。この実験では、正確なウォームアップ強度を規定するため、最大酸素摂取量という指標を用いて高強度(80%)、中強度(60%)、ウォームアップ無しの3条件で比較しました。基礎的なデータをとるため、この実験では24度の常温環境で実施しました。
すると、ウォームアップ強度が高い方が筋肉の温度が上がりやすくなること、その持続効果は高強度と中強度でそこまで差がないという結果が得られました。一方、ジャンプの高さはウォームアップ後でも効果が持続し、高強度で20分間持続しました。この結果から、ウォームアップと競技の間に10分以上の安静時間を確保できる場合は、高強度のウォームアップが適しており、ウォームアップ後すぐに競技が行われる場合は、中強度でも十分なパフォーマンスが得られるということがいえます。
競技によって、効果的なウォームアップの強度が異なるのですね。
はい。そして次に、常温環境と10℃の寒冷環境でその影響の差を調べました。常温環境での研究はすごく多いんですけれども、寒冷研究はまだ全然進んでいないんです。実は機器も10℃ぐらいまでの環境でしか測定できないんですよね。
結果としては、寒冷環境でも常温環境と同じように筋肉の温度も垂直跳びの高さも上がったんですが、問題は上がり幅が少ないというところです。つまり、寒いところだと、いつもの常温環境と同じウォームアップの強さだったら、やっぱりパフォーマンスが落ちますよ、ということですね。現在は、寒冷環境でのウォームアップの強度に注目して、更に調査を進めています。
一般の方々でもウォームアップは必要でしょうか? この季節は、寒さで肩に力が入ってしまったり、雪かきをするときなど、体が温まりにくいなと感じることがあります。
ぜひウォームアップをおすすめします! アスリートが実践していることって実は特殊なことでは無いんです。自分たちの体のコンディションを整える…理学療法では、コンディショニング科学と呼んでいますが、これはアスリート問わず、どなたにも適用できますので、広くお伝えしていきたいと思っています。
今まで理学療法や理学療法士と聞くと、医療現場で活躍される機会が多いのかと思っていましたが、スポーツ現場、ひいては一般の方々にも馴染みの深いものであることがわかりました。
理学療法というのは、怪我や病気・加齢などによって、身体機能が低下してしまう方に対し、問題点を見つけて、運動などの治療訓練を行い、日常生活まで戻すことを指します。医療機関だと、まずお医者さんが診断して、どんな治療やリハビリをするか理学療法士も交えて検討していきます。
私が大学生のときは、理学療法士がスポーツ現場に行くのは稀でした。高齢者向けのリハビリテーションが多かったんですね。そんな中、大学3年生くらいのときにアイスホッケーのナショナルチームの合宿を1日見学させてもらったのを機に、選手の怪我の治療や予防をサポートできる、このスポーツ現場の世界に携わりたいと思ったんです。
昨年の東京オリンピックには、私の研究室の院生たちも2週間、理学療法スタッフとして携わっていたんですが、帰ってきてからもとても生き生きしていて。コロナ禍で、学生たちはなかなか病院への実習にも行けない日々が続いていましたが、現場での経験談を聞くだけでも貴重です。
今、若手の理学療法士たちも、十年後にはメインで活躍する世代になります。例えば、もし2030年に札幌オリンピックが招致されたとしたら・・・東京オリンピックから得たレガシーとともに、どんな活躍をしてくれるか楽しみですね。
今回お話いただいた寒川さんをゲストに、サイエンス・カフェがオンラインで開催されます。今回のサイエンス・カフェでは、プロのスポーツ選手も行っているダイナミック・ストレッチを紹介し、視聴者の皆さんと一緒に実演します。ぜひ冷えたからだを温めてみませんか?
【タイトル】 第122回サイエンス・カフェ札幌「のばして、ちぢめて、動きだせ~冷たいからだもホッとする、ストレッチの科学~」
【日 時】 2021年2月12日(土)15:00~16:00
【配 信】 Zoomウェビナー
【詳 細】 こちらのリンクよりご覧ください
【主 催】 北海道大学CoSTEP
※イベントは終了しました
今回紹介した研究成果は、以下の論文等にまとめられています。
- Tsurubami, R., Oba, K., Samukawa, M., Takizawa, K., Chiba, I., Yamanaka, M. & Tohyama, H. 2020: “Warm-Up Intensity and Time Course Effects on Jump Performance”, Journal of Sports Science and Medicine. 19(4), 714–720.
- Chiba, I., Samukawa, M., Nishikawa, Y., Takizawa, K., Ishida, T., Tohyama, H. 2019: “The effects of exposure to cold temperature during warm-ups on muscle temperature and jump performance”, World Federation of Athletic Training and Therapy (WFATT) World Congress X. Chiba, Japan.