からだの中に翅(はね)をしまう昆虫・ハネカクシ。アリが1万3千種ほどいるのに対して、ハネカクシは知られているだけでその5倍の6万5千種いると言われます。ハネカクシは見た目が似たものが多いにもかかわらず、種数が多いため、同定や分類がたいへんです。実際にその難しさや多様性から長いあいだ研究が不十分な状態が続いてきた昆虫でした。そのため、ハネカクシには、未だに膨大な未発見種、未記載種(新種)がいると言われています。
そのハネカクシを何年もかけて観察することで、世界中の図鑑に変更を迫る新たな分類を提案した科学者が北大にいます。山本周平さん(北大総合博物館 特別研究員)です。山本さんは九州大学時代に恩師との出会いから偶然、ハネカクシを研究し始めました。そして、アメリカでの長期留学期間を経て、やっとの思いで、この研究成果を出したのです。世界にインパクトを与えた、その研究の過程を伺いました。
【長内克真・CoSTEP本科生/農学研究院博士1年】
まず、ハネカクシとはどのような昆虫なのかを教えてください。
ハネカクシは、草原、森林、湿地、砂浜や磯など、多様な環境に生息していて、大きさも多様で体長1mm未満のものから35mm以上の大型種までいます。しかし、2mm〜8mm程度の小さいものが大部分を占めているため、市街地にも生息するにもかかわらず、人々が普段、その存在に気づくことが少ない昆虫です。約40万種の甲虫全体のうち、ハネカクシは約6万5千種と1割以上を占め、種数が多いことで知られているのですが、膨大な数の新種が毎年発見され続けており、未だに全容が明らかになっていない昆虫です。
なぜ、ハネカクシと呼ばれているんですか。
皆さんが良く見るカブトムシなどの甲虫は、翅(はね)が4枚あり、後ろの一対は薄い膜状になっていて後翅(こうし)と呼ばれています。対して、前の一対は硬くなっていて前翅(ぜんし)または上翅(じょうし)と呼ばれ、後翅を覆い隠すことが多いです。一般的にはその上翅が体下半分のほぼ全てを覆うほど大きいため、飛ばない時は、後翅が上翅の下にあり、見えない状態です。
しかし、ハネカクシはその上翅が短いんですね。上翅が短いにもかかわらず後翅が見えない。要するに、ハネカクシは器用に翅を複雑に折りたたんで上翅のなかに隠すことができるからです。それがハネカクシの名前の由来です。もちろん多様性に富む仲間なので例外もありますが、基本的には後翅を隠すような状態になっている種が多いです。ちなみに、ハネカクシが腹部を動かして後翅を折りたたむ過程について、ハイスピードカメラを用いて明らかにした論文にも共著者として携わりました1, 2)。
一般的な甲虫の上翅が体のほぼ全てを覆っている理由は、腹部の保護や水分保持が重要な役割であると言われています。一方、ハネカクシの上翅が短く、結果的に腹部が剥き出しであるのは、土の中などの隙間で腹部をくねらせて、自由に動きやすくするための進化だと考えられていますが、腹部が剥き出しである理由を厳密に検証した研究がないのが現状です。
なぜ、ハネカクシを研究しようとされたんですか?
私は、小学生の頃から昆虫が好きで、いわゆる「虫とり少年」というやつでした。なので、大学でも昆虫の研究をしたいと思いました。昆虫の研究では、北大も有名だったのですが、北海道だと冬場に昆虫が獲れないじゃないですか。なので、昆虫が一年中獲れる九州大学に行こうと決めました。そして、九大に入学後、現在の私の師匠にあたる、九大総合研究博物館の丸山宗利先生に挨拶に行きました。丸山先生が元々の専門がハネカクシだったということもあり、「ハネカクシをやってみないか」というご提案を頂き、ハネカクシを研究することになりました。
ハネカクシは、見た目が似たものが多いです。しかも、約6万5千種と種数が多い。さらには、解剖してきちんと調べないと、種を特定することができないものがほとんどで、分類が非常に難しいんですね。だからこそ、研究者が少なかったという歴史がある。逆に言うと、難しいことをやっておけば、他の昆虫のグループを研究することになってもその経験が活きると思い、私としてもハネカクシを研究することはとても良いことだと思いました。
一番の研究成果はどのような内容ですか?
ハネカクシ科シリホソハネカクシ亜科(Tachyporinae)の高次系統と分類学的再検討を行った研究です3)。以前までは、下図に示すように、シリホソハネカクシ亜科(Tachyporinae)と考えられていた亜科を、キノコハネカクシ亜科(Mycetoporinae)とし(下図の黒枠部分)、さらにシリホソハネカクシ亜科(Tachyporinae)内の属に当たるグループも全面的に改訂しました。
上記の研究の優れた点はどのような点ですか?
実はこの研究成果によって、世界中の図鑑を変えてしまう可能性があるんです。世界中の生物種の目録に変更を迫ったので、そのインパクトは多大なものだったと言えます。世界規模の昆虫を扱える研究者が日本には少ない中で自分がその一役を担い、日本からその研究成果を発信することができた。自分としても非常に納得できる成果だったと思っています。
このような世界的にインパクトのある研究成果を出すことができた要因はなんでしょうか?
世界中のハネカクシを研究対象とすると、そもそも日本には研究に不可欠な実物標本が少なく、ハネカクシの全体像を見据えて研究することができませんでした。そこで留学を決意しました。私が留学していたアメリカのシカゴにあるフィールド自然史博物館には世界最大規模のハネカクシのコレクションがあり、日本にいた時はできなかった世界中のハネカクシを対象とした系統学や分類学の研究を行うことができました。
しかし、留学先のフィールド自然史博物館でも十分な標本が得られなかったんです。だから、アメリカ以外の国の博物館、例えばロンドンの自然史博物館とか、色々な博物館からも材料を取り寄せたりしなければならなかったのです。そうして、やっとの思いで全体像を見ることができたんです。
また、世界中から標本を集めるということは、世界中の研究者との連携が必要です。この世界との連携もおそらく、これまで日本の昆虫学者の中ではあまり進んでなかったと思います。これが留学という経験を通じて可能になったのも大きいですね。
上記の研究の苦労点はどのような点でしたか?
世界中の標本を対象にすると、予想以上に見た目が似た種が多かったために分類が困難で、2年間のプログラムで留学していたのに、2年間で研究を終えることができなかった点です。この時は、さすがに焦りましたね(笑)。色々と悩んだ結果、留学期間を半年間延長するという選択をしました。なので、留学を延長した半年間は特に、プレッシャーが大きかったですね。ただ、そのような困難を乗り越えて、論文として出版することができたので、とても嬉しかったです。
今後の研究の展望をお聞かせ下さい。
ハネカクシは種数が多いので、まずはきちんと種を判別しなければいけないっていうのがあって、その研究は進んできています。もちろん、まだ新種はたくさんいるんですけれど、そろそろ何か一歩進んだ応用的な研究をやっていってもいいような段階に来ていると思うので、そのような研究もなされてくると面白いんじゃないかなと思いますね。
ハネカクシはわかっていないことが多いです。例えば、普通の紙などは折り畳むと折り目がついて、強度が弱くなったりするじゃないですか。でも、ハネカクシは複雑に折りたたんでいるのにそのようなことがなく、羽が途中から2枚に割けるようなことはないんです。それでは、その境目はどうなっているのかななど、ちょっと気になったりするじゃないですか。ハネカクシは、とにかく種類が多いので、ハネカクシの中でもメカニズムが違っていたりして、なかなか興味深い昆虫です。
できればちょっと応用のところにも関わりたいなっていう思いはありますが、ただ、自分としては、基礎研究をまずはしっかりメインでやっていきたいですね。