倉本聰さんのドラマ「北の国から’95 秘密」を観て以来、雄大な北海道に憧れるようになった戸塚芳之さん(1999年3月北海道大学水産学部海洋科学科卒業)にとって北海道大学に進学することは自然な流れでありました。卒業後ほどなくして、戸塚さんは出身地である静岡県掛川市に戻り、市役所職員として地域のために働きはじめます。今回、北大時代のエピソードや掛川市での挑戦についてお話を伺ってきました。
【村井貴・常葉大学造形学部 教育職員/いいね!Hokudai特派員】
いざゆかん!北海道へ
ご出身は静岡県掛川市とのことですが、どうして北海道大学を目指されたのでしょうか。
高校生の時に、倉本聰さんのドラマ「北の国から’95 秘密」を見て、それで強い衝撃を受けました。ドラマで描かれている北海道の雄大な風景を見て、自分はここに絶対行くんだ!と思ってしまったというのが一番の理由です。ドラマを観て以降、北大に的を絞って受験勉強をしていくわけですが、最終的に水産学部に合格しました。
水産学部というと、最初は札幌キャンパスに通学する必要がありますが、札幌はどんな印象でしたか。
まず札幌の都会ぶりに驚きました。ドラマの印象が強かったので、勝手に富良野のイメージを思い描いていたのですが、全然違って札幌は大都会でしたね。一方で、北大の中は自然が豊かで、私が抱いていたイメージに近いものを感じました。一番のお気に入りは中央ローンです。晴れた日に中央ローンで寝転びながら本を読むのが好きでした。あそこは本当に気持ちのいい場所です。
大学以外でのエピソードはありますか。
当時、パチンコ屋のすぐ近くに住んでいたので、なんでも経験だなと思ってちょっとやってみたのですが、全然向いてなかったです。桑園に札幌競馬場があって、競馬もやってみたのですが、こちらも向いてなかったです。ただ一方で、パチンコ屋や競馬場の文化にふれることができたのは貴重な経験でした。人々の息遣いなんかが感じられて、後に私は掛川市役所に勤務することになるのですが、大学の外で経験したことというのは職場でずいぶんと役立ったように思います。
水産学部のある函館キャンパスに移ってからはどんな研究をなさっていたのでしょうか。
卒論のテーマは霧多布湿原が海洋に与える影響についてでした。当時、磯焼けという現象が増えていました。人間が川の上流を開発すると、森林がなくなり葉っぱの中にある鉄分が川に流れなくなります。その結果、川が注ぎ込む一帯の海の海藻が育たなくなります。水質が変わって海藻が育たないとその海藻を食べているウニが育たなくなるわけです。研究では鉄分の測定をしていきました。要するに水質検査ですね。
氷河期時代の就職活動はたいへん…そして掛川市役所へ
令和の時代は比較的売り手市場といわれていますが、戸塚さんの時代の就職活動はどのようなものだったのでしょうか。
当時は氷河期といわれるくらいの難易度でした。超氷河期といってもいいかもしれない…。資料請求したのが120社で、実際に受けたのが50社~60社くらい、内定が出たのが2社で、最終的に本社が東京にある食品メーカーに就職しました。ただ、私は田舎の長男ということもあって、いずれはどこかで掛川市に戻りたいという希望がありました。定年後にでも戻ればいいやという感じでいたのですが、メーカー勤務2年目の年に不意に手に取った公務員試験の参考書をきっかけに受けてみようと思い立ち、静岡県内の自治体を受けたところ、出身地の掛川市役所に採用が決まりました。
掛川市役所ではどんなお仕事をなさっていたのでしょうか。
国民健康保険の管理運営をしたり、静岡県庁に派遣されたり、情報政策の推進をしたり、掛川市の予算・財政を管理したりと多様な仕事をこなしてきました。2022年度末で退職し、今はITbook株式会社で働いているのですが、最後のほうはDX推進課を立ち上げ、行政やまちのDXを進めていました。一番思い出深いのは自治体経営にたずさわれたことです。2010年代後半くらいから「働き方改革」という言葉が社会でいわれはじめるのですが、ちょうどその頃に企画政策課という部署に配属されて、民間企業の人材を市役所の中に入れて公務員と一緒になってさまざまな化学反応を起こしました。公務員の長時間労働は深刻な問題です。こういったサービスを民間の意見を取り入れながら広めていくというのは現場の負担を下げる効果がありますから、働き方改革に資するのではないかと思います。
ITbookにご転職されたばかりなのですね。そちらではどんな業務を行っているのでしょうか。
現在、公務員が減りつつあるといわれています。総務省の試算では2040年までに全国の公務員が半減するそうです。人口が減少しているので仕方がないことではあるのですが、一方で今あるサービスをなるべく維持していくには効率化が必要です。単純なデジタル化だけでは限界がありますから、自治体同士をつなぎ合わせてもっと抜本的な効率化をしなくてはダメで、そういうことをしたいと常々考えていました。当時の立場ではできることに限りがありましたから、思い切って飛び出した感じです。ITbookは官公庁、地方自治体、民間組織などに対し専門的な見地から支援を行う企業です。私は掛川市での経験を踏まえながらコンサルタント業務を行っています。
お仕事の話を伺ってきましたが、オフの時はどのように過ごされていますか。
Code for Kakegawaというシビックテックの団体の代表を務めていて、休みの時間を使ってメンバーらとさまざまなプロジェクトを進めています。シビックテックというのは市民がテクノロジーで社会課題の解決を行うことで、全国に同様の団体が80以上存在し、静岡県にもいくつかあります。
Code for Kakegawaでは”地域をテクノロジーで元気に”をスローガンに、さまざまなプロジェクトを立ち上げてきました。掛川城をレーザースキャナによって三次元点群データを収集して、オープンデータにし、誰でも使えるデータにしたり、そのデータを使って、掛川城のマインクラフトのワールドを制作したり、他にもプログラミングスクールやヘボコンと呼ばれるコンテストを開催してきました。最近は地域で失われつつある”音”をアーカイブして後世に残す「地域の音風景収集プロジェクト」を進めています。私たちが普段何気なく聞いている音というのは、今はそんなに価値がなくても、人口が少なくなり、文化的な資源も失われていくであろう50年後100年後といった未来においては大きな価値を持つようになるのではないかと思い、このプロジェクトを企画しました。
地方にいるからこそできること
今後の抱負をお聞かせください。
東京をはじめとする大都市はなにもかも最先端という印象があるのですが、人口減少社会においては地方が真っ先にあらゆる社会課題と向き合わねばならず、その意味では最先端を走っているといえます。掛川市役所時代に感じた問題意識、ITbookでの経験、Code for Kakegawaでの市民発の挑戦を糧としながら、これからも自分の立場で地方にいるからこそできることを模索していきたいですね。