俳優として全国的に活躍されている北大出身の斎藤歩さんは、現在も活動の拠点を札幌にも置き、劇団「札幌座」のチーフディレクターとして演出や後進の指導を行っています。その斎藤さんが学部向け授業「大学と社会」で講義するために北大にやってきました。
「このN1教室の事はよく覚えていますよ。何を教えてもらったかはよく覚えていませんが…」と懐かしそうに語る斎藤さん。「私の話は何かの参考になるかもしれませんが、真似はしないでください」と前置きして始まったお話に、学生たちは引き込まれていきました。
【川本思心・CoSTEP/理学研究院 准教授】
初めて自分で選んだ場所、札幌
私は1964年に釧路で産まれましたが、その後は大阪や千葉で育ちました。そして北海道の風土や、自主・自立の校風に惹かれて北大を選びました。両親の仕事の都合で引っ越しが続いていた自分にとって、札幌は初めて自分で選んだ土地だったのです。
当時は地質学に興味があって、科学者になりたかったですね。一年中、山に登って化石や鉱物を採取して標本を作成し、山々を眺めながら研究生活を…なんて想像していました。南極に行きたいとも思っていましたし、学生の時にはスペースシャトルの乗組員に応募までしました。とは言え、勉強熱心だったかというと、必ずしもそうではありませんでした。
混沌とした学生生活
今日の講義をしている教室のあたりは当時も学生が様々な活動をしていました。その一つが「青テント」です。現在もあるS棟の階段部分に、演劇研究会がブルーシートでつくった劇場です。でも大学事務はそれを排除しようとしました。私はその騒動の周辺にいつもいて、事務の人たちとにらみあったり、演劇研究会の人達と毎晩のように飲んでいたりしました。
なぜそんなことをしていたのかと聞かれると、抗っていた、ということでしょうか。私たちは自主・自立のサークル活動がしたかったのですが、当時は大学の管理が次第に進んでいった時代でした。ここで頑張らないといけない、つまらない大学にしたくない、という思いがあったのだと思います。
誘われて演劇の世界へ、そして「放校」
そうこうしているうちに、「斎藤は声もでかいし、体も大きいから」ということで演劇をやらないか、と誘われました。青テントでの演劇は緻密な演技というよりは、ロープをつたって隣の棟の2階から突入したり、テントの屋根を破ったりと、派手で大きいものでした。そんな演劇に圧倒されてその世界にのめり込んでいきました。
当然演劇部に入ってからも事務とはいろいろありました。おかげで事務の方々全員に顔と名前を覚えられていましたね。その後、大学を出てから事務の方々と再会して飲んだこともあります。お互いの立場があってやっていたことですが、一方で学生は大人ですから責任は取らなければいけません。実際、今こうして厳しい仕事していますしね(笑)。
留年を繰り返して4年目2年の1986年9月30日。事務の方にポンと肩をたたかれ、「今日中に退学届を出しなさい。このままだと放校だよ」と言われました。そんなものは出さん!と私は息巻いていたのですが、先輩が気を使って退学届を出してくれていました。なので私は北大中退ですが、自分では放校だと思っています。こんな人間を教壇に立たせるんですから北大はおもしろいですね。
プロの演劇世界へ
大学をやめても演劇は続けていて、仲間たちはやはり北大生でした。そして1987年に劇団「魴鮄舎」を立ち上げます。生活のために工具を買い集めて工務店的なバイトもしていました。仕事らしき事をしているのを知って両親も少しは安心してくれたようですが、心配をかけました。
魴鮄舎の公演は次第に評判になって、忙しくなってきました。そこで1992年AGS (Artist Guild of Sapporo)というプロダクションを立ち上げます。北大入学と退学が人生の二つの転機だとすれば、このプロ化は第三の転機です。当時札幌に演劇に特化したプロダクションはありませんでしたから、自分で立ち上げるしかありません。ここでもやはり北大の先輩たちに助けられました。
1997年には初の東京公演を行い、1998年には柄本明さんと共演する機会に恵まれました。柄本さんには非常に大きな影響を受けましたね。共演がなければ今の自分はいなかったと思います。当時のプロダクションの社長には「中途半端になるから東京に軸足を置いて活動しろ」と言われましたが、やはり札幌で活動したいという思いもあり、東京の事務所にうつったのは2年後の2000年でした。
今でも年最低2カ月は札幌で活動していますが、あと5年、55歳になったら札幌に帰ってきたいと思っています。AGSを立ち上げた当時、演劇だけで食べている人間は皆無でした。今はその規模は大きくなっています。次は、自分がかつてそうしてもらったように、次の世代を食べさせ、育てる番です。
北大生へのメッセージ
キャンパスで北大生を見てなんだか安心しましたね。ちゃんと北大生らしいなと(笑)。自分は学生の頃、50のオヤジの言う事なんて聞いていなかった。そんな気持ちで聞いてください。
皆さんの中にも道外から来た人も多いと思います。わざわざなぜ北大に来たのでしょうか。そこには何かがあったはずです。北海道は新しいことができる、と思わせてくれる場所です。浮ついた都会と違って、一歩引いたところから物事を見ることができます。今の時代には今の可能性があります。あまり周りと比較せず、気にしないことから始めてください。そして、アカデミズムの拠点、ネットワークの拠点としても期待しています。私のような人間がいたら助けてあげてほしいと思います。
斎藤さんが講義したのは、全学教育科目の「大学と社会」(木曜日5講目)です。次回の講師は、地球環境科学研究科出身でロート製薬株式会社の山田悦子さんです。
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【ようこそ先輩】#12 斎藤歩さん(俳優・演出家・劇作家)(2014年1月24日)