元プロ野球審判員で現在は日本野球機構(NPB)審判技術委員として、若手審判員の指導をしている山崎夏生さん(1978年文学部卒業)。先日、講演のために北海道(函館・札幌・苫小牧)を訪れた山崎さんが、移動の合間を縫って札幌キャンパスに戻ってきてくれました!北大在学当時の思い出や、29年間の現役審判生活をふりかえる熱い言葉から「情熱をもって生き抜くこと」の大切さが伝わってきます。
(新田孝彦理事・副学長と記念写真。新田理事は山崎さんにとって文学部の先輩でもあります。)
まず、北大に帰ってきた印象をお聞かせください。
実はそれほど久しぶりの訪問ではありません。30年以上も前に卒業して、札幌を離れたのですが、毎年のように北海道を訪れています。仕事/プライベートにかかわらず、そのたびに北大キャンパスにも立ち寄るようにしています。母校ですから。自然の美しさ、学問の営みが生み出す空気は今も昔も変わりません。この空間が好きで、必ず正門からメインストリートを抜けて、北キャンパスにある野球場まで歩くようにしています。青春の思い出、4年間過ごした北大野球部での苦楽も蘇ってきます。
山崎さんの半生をふり返った著書『プロ野球審判 ジャッジの舞台裏』(北海道新聞社)岡田武史氏(前サッカー日本代表監督)も推薦しています。「華やかなプロ野球の陰で試合を支えている審判の大変さ、厳しさ、そしてその厳しい道を志を持ち愚直に諦めることなく歩き続けることの尊さ、–––これな人生の指南書だ。」(書籍の帯より)
「ジャッジの舞台裏」という副題にどのような思いが込められているのでしょうか。
プロ野球の主役はもちろん選手たちです。しかし、よい試合のためには、よい審判が必要です。ルールに則った判定を下し、試合の進行に関する全ての断を下します。とても重要な任務ですが、選手や試合を影で支える地味な仕事かもしれません。また、選手とともに、プロ野球というスポーツの魅力を引きだし、球場に足を運んでくれたり、テレビの前で観戦してくれたりするファンのみなさんに楽しんでもらうよう、試合運びをすることも仕事に含まれます。作為的に試合の流れをコントロールしてはいけませんが、「指揮者」にたとえることもできます。もしチーム全体に覇気がないようなら、盛り上げようと仕向けます。大きな声で選手を鼓舞したり、キャッチしたボールを強く選手に投げ返したりして「観戦にきてくれたファンのために、元気をだしなさい」というメッセージを伝えようとします。大きなアクションで、会場を盛り上げることもあります。興行としての「プロ野球」には正確なジャッジ以上のことが求められるのです。
よい審判とは?
アメリカで受けた審判講習会で学んだ大切な教えがあります。“Be respected”(尊敬される人間なりなさい)という言葉です。さらに、それは「審判に求められる第一の資質」だといいます。人間は神様ではないので100点はとれません。99点までは技術と努力で達成できるかもしれませんが、あとの1点を補うのは「尊敬される人間性」です。僕がはじめてこの世界に入ったときに言われた言葉は「間違えるな」でした。当時の日本プロ野球界は、機械的な正確さを求めていたからです。しかし、アメリカは違っていました。判定ミスが起こる可能性を認めた上で、判定の精度より「人間性」に重きを置いていたのです。審判は一度下した判定を訂正したり、ミスしたことを詫びたりすることが許されていません。しかし、判断が難しい微妙な判定を下したとしても「この審判の判断を尊重しよう」という気持ちが選手にあれば、互いに対等な立場でゲームに集中することができます。日本の審判は技術的には世界でトップクラスですが、選手と審判の関係を含めた球界の組織力はメジャーに一日の長があるといえます。このことを今、若い審判員たちにも伝えています。
(若い審判員の指導のための評価レポート。毎回の試合の記録をとって改善点を審判員に伝えます。しっかり教育することで一日でも早く一軍の舞台に立たせることが今の仕事です。)
もう一つ、僕が心がけていたことを紹介します。それは身だしなみです。審判としてスタンドに立つ時は、磨かれたスパイクを用意し、身体にあった清潔なユニホームと折り目の入ったスラックスを着用します。無駄なおしゃべりは控え、毅然とした姿勢をイメージしながら一つ一つの所作をこなします。お客さんや選手に不快な思いや違和感を持たせないことが、試合への集中力や、安心感・信頼につながるからです。そういう心がけも、尊敬される人間性につながるのではないでしょうか。
(仕事道具。講演活動でも持ち歩いています。)
(仕事抜きで)野球は好きですか?
大好きです!日本のプロ野球はだいたい180試合、その他メジャーや甲子園も見ます。ジョギングをしながら、子どもたちの野球クラブの練習試合に出会うと、つい観察してしまいます。そしてやはり職業病でしょうか…審判の動きも気になりますね(笑)。好きなチームはありません。特定のチームに思い入れがあったら、僕の仕事はできないと思っています。でも、尊敬する選手はいます。例えば、イチローや野茂。彼らの生き方が好きです。
イチローは、4,000本ヒットを打ったとき「4,000本のヒットは誇りではない。それよりも打ち損ねた8126の打席の悔しい思いに向き合ってきたことを誇りに思う」と話しました。しびれるような感情が沸いてきましたね。例えば、5打数2安打の記録に対して普通の選手なら、2安打に満足しようとします。しかし、イチローは打てなかった3打席を見つめています。それが彼の向上心につながっているのでしょう。さらに、彼には二度も国民栄誉賞をもらうチャンスがありました。2001年、メジャーで日本人選手史上初となる首位打者を獲得した時と、2004年、メジャーのシーズン最多安打記録を更新した時です。しかし、二度とも辞退しています。これからもっと記録を更新したいという強靱な思いから出た言葉だったのでしょう。彼のそういう精神性に惹かれます。
「…私がこの仕事で定年を迎えるまで全うできたのは、丈夫な体、周囲の人たちの協力、情熱の持続という三つの条件が備わっていたからだと思っています。」(『プロ野球審判 ジャッジの舞台裏』本文より)
とあります。最後に北大生へのメッセージをお願いします。
強い体力からしか気力は生まれません。逆はありえません。体調が悪いと、残念ながら良い仕事だってできないはずです。「無事之名馬」という言葉がありますが、イチローが素晴らしい記録を残すことができた影には、向上心と、故障をしない体を維持するために努力を惜しまなかったことがあります。すべての基本は「丈夫な体」にあることを忘れないでください。
「周囲の人たちの協力」は、きっとみなさんの生きる支えとなるでしょう。応援してくれる仲間の存在ほど心強い味方はありません。40年前、北大に入学した当時は、札幌に知人はいませんでした。ところが、卒業するころには、寮の仲間、野球部の仲間、文学部の仲間、たくさんの仲間に囲まれていました。札幌を旅立つときも、仲間たちが札幌駅で、寮歌を歌いながら見送ってくれました。ホームで大泣きしたことを覚えています。たったの4年しか過ごしていない札幌ですが、生涯の友人を得ることができました。いまでも、その仲間たちの支えで生きていると実感しています。野球を諦めようと思った瞬間も、仲間たちの支えによって救われました。だから仲間は家族と同様に僕の両輪です。北大は僕の誇りです。北大から生まれるつながりが友人の環を広げてくれています。
(取材中に偶然再会した友人のお一人。髙橋淑子さん・獣医学部卒業。北大野球部のマネージャーとして山崎さんやチームの仲間を支えました。)
最後に。どんなときでも「情熱」も持ち続けてほしい。詳しく説明しなくてもわかっていただけると思います。僕の場合はそれが「野球」でした。決して平坦な道のりではなく、むしろでこぼこ道でしたが、僕が信じて情熱を傾けた「野球人生」に誇りを感じています。