北海道大学 大学院理学研究院 生物科学部門 教授の藤田知道(ふじた・ともみち)さんは、38年間にわたり、陸上植物の進化や環境適応の分子メカニズムを研究してきました。現在は特にコケ植物を対象とし、植物の成長制御や環境適応、極限環境ストレス耐性の仕組みの解明を目指しています。

コケは極限環境に適応できる驚異的な生命体で、藤田さんたちの研究グループは、その耐久性や成長特性を地球環境の保全や宇宙農業への応用を通じて、地球規模の環境課題の解決に貢献しようとしています。さらに、将来的には、人類が他惑星で栽培を行い、テラフォーミングを実現することを視野に入れた研究へと発展させることを目指しています。

この研究のさらなる発展のため、藤田さんは現在、クラウドファンディング「コケを用いた緑化技術で人類の生息領域を広げたい!」に挑戦しています。
藤田さんはなぜコケの研究をしているのですか
コケ植物は陸上に最初に進出した植物で、約5億年にわたり絶滅せずに生き続けてきた極めて高い生存能力を持つ植物です。中でもヒメツリガネゴケは、1997年に植物の中でも特に高い効率でゲノム編集が可能であることが判明し、植物の遺伝子機能研究に非常に適した材料であることがわかりました。
また、コケの葉は細胞一層からできているため、顕微鏡観察が非常に容易です。一般的な陸上植物の葉は複数層の細胞からなるため、中の様子を観察するには切片を作る必要がありますが、コケでは葉をそのまま観察できます。藤田さんは「顕微鏡で観察したとき、その美しさに感動した」と語っています。
さらに、コケは切断しても水と光さえあれば自然に再生するという特性があり、再生のメカニズムや細胞分裂の研究にも適しています。このように、コケは単純な構造を持ちながらも、多くの研究テーマに適した理想的な研究材料なのです。
コケにはどのような特別な環境適応能力がありますか
コケはさまざまな過酷な環境に適応できる能力を持っています。藤田さんによれば、コケは南極のような極寒の地域から、都市のアスファルトの高温環境まで生息することができます。
アスファルトの表面温度が50~60℃に達する環境、つまり「ゆで卵ができる温度」でも、コケは生き延びることができます。

また、乾燥にも強い耐性を持っています。コケは水がなくなると完全に乾燥して休眠状態になりますが、水が与えられると再び活動を始めます。この特性は、日本の伝統的なコケ庭の維持管理にも活用されています。さらに、塩分濃度の高い環境にも適応できる種類もあります。藤田さんたちは高塩濃度環境でも生育できる耐塩性を持つコケの変異体を発見しています。
こうした極限環境への適応能力は、地球外環境での生命研究において、非常に興味深い特性です。
重力実験でコケにどのような変化が見られましたか
藤田さんたちは、九州大学や富山大学の研究者と協力して、通常の重力(1G)と10倍の重力(10G)の環境でコケを育てる実験を行いました。その結果、予想外の発見がありました。

普通は、重力が普通の環境(1G)の方が植物にとって育ちやすいと考えられます。しかし、実験では10Gの環境の方がコケがよく育ち、光合成の力も約20%強くなったのです。具体的には、10Gの環境ではコケの背丈が低く、横に太く成長しました。


この結果を詳しく調べるために、RNA-Seq(RNAシーケンシング)という方法を使い、どの遺伝子が働いているかを分析しました。すると、10Gの環境では特定のグループの遺伝子が特に活発に働いていることがわかりました。さらに、この遺伝子を普通の重力環境(1G)で強制的に働かせたところ、10Gの環境と同じように光合成の力が強くなることも確認されました。
この特別な遺伝子について、藤田さんは「一寸法師」と名付けました。小さいけれど力持ちという特徴があるためです。この遺伝子は、重力の変化に適応するために重要な役割を果たしていると考えられています。
国際宇宙ステーション(ISS)でのコケの実験について教えてください
ISSでは、コケを使った2つの大きな実験が行われています。それが「スペースモス」プロジェクトと「タンポポ」プロジェクトです。

1.スペースモス実験ー宇宙でのコケの成長
「スペースモス」プロジェクトでは、宇宙空間の微小重力(ほぼ無重力)の環境がコケの成長にどのような影響を与えるのかを調べています。
地球では重力があるため、コケはしっかりとした形で成長します。しかし、ISSでは重力がほとんどないため、コケは細長くひょろひょろと成長し、光合成の力も弱まることがわかりました。
しかし、驚くべきことに、細くなったコケは見た目が弱そうでも、実際には茎の横断面積あたりの細胞の数が変化し、強度は変わらなかったのです。この結果から、コケが宇宙環境に適応する仕組みがある可能性が示唆されました。
藤田さんは、真空環境を模擬する装置や、クリノスタットというコケを搭載した回転体を回転させることで、重力方向を分散させ、微小重力環境を模擬する装置を使って実験を行っています。
2.タンポポ実験ーコケの胞子は宇宙で生きられるのか
「タンポポ」プロジェクトでは、コケの胞子をISSの外側に設置し、宇宙空間の極端な環境(真空・強い放射線・極端な温度変化)にさらすことで、その生存能力を調べました。
この実験はもともと6ヶ月の予定でしたが、ロケットのスケジュール変更により、9ヶ月間も宇宙空間にさらされることになりました。それにもかかわらず、実験後に回収された胞子を観察すると、約8割が生存していたのです。
この結果は、コケが極限環境にも非常に強いことを示しており、宇宙開発や火星の環境適応研究にもつながる可能性があると考えられています。
クラウドファンディングを行っている理由と目的は何ですか
藤田さんの研究チームは、コケの環境適応能力をより詳細に解明するため、新たな実験設備の導入や、遺伝子解析の精度向上を目的としてクラウドファンディングを実施しています。特に、塩害に強いコケの発見や、宇宙農業に適した品種改良を進めるための資金が必要とされています。
クラウドファンディングの主な目的は次の2つです。
1.コケの新しい適応能力を探る
コケは、乾燥や高温、塩分の多い環境でも生きられる強い植物です。研究チームは、特に「塩害に強いコケ」を探し、農地などの回復に役立てる研究を進めています。
この研究には、特殊な実験装置が必要であり、クラウドファンディングで得た資金を実験環境の整備に使う予定です。
2.コケ研究の面白さを多くの人に知ってもらう
藤田さんは、「コケの研究がどれだけ役に立つのかを知ってもらうことが大切」と考えています。
そのため、講演会や体験イベントなどの「アウトリーチ活動」を行い、コケの魅力や研究の意義を多くの人に伝えようとしています。
クラウドファンディングのリターン
クラウドファンディングの支援者には、実験室で10Gの環境下で育てた特別なコケをアクリルキーホルダーとしてお届けします。これは、地球上では通常体験できない特殊な環境で育った貴重なサンプルです。また、研究室ツアーでは、藤田教授が直接、コケの驚くべき適応力や最新の研究成果を解説。さらに、最先端の植物研究の舞台裏を体験できる貴重な機会となっています
研究チームは、コケを活用した地球環境問題の解決や、宇宙開発への応用を目指しており、「あなたの一押しが地球を救うコケになる」という思いを込めています。
コケ研究のテラフォーミングへの応用可能性を教えてください
藤田さんの研究チームは、コケの環境適応力を活かして、火星や月の環境を地球に近づける「テラフォーミング」に応用できるかどうかを研究しています。
1.火星や月の「砂」でコケを育てる
火星や月の地表には、「レゴリス」と呼ばれる砂のようなものが広がっています。しかし、これは地球の土とは違い、栄養がほとんどないため、植物が育ちにくい環境です。
藤田さんたちは、レゴリスの上でコケを育てる実験を行いました。最初の3週間はほとんど成長が見られませんでしたが、1.5ヶ月が経過すると、コケがじわじわと育ち始めたことが確認されました。


2.コケが「土」を作る?
コケには、枯れると分解されて土に変わる性質があります。藤田さんは、研究室でコケが自然に枯れて茶色くなり、ふかふかの土のようになったことを観察しました。
このことから、コケを火星や月に植えることで、最初の土壌を作り出し、他の植物が育つ環境を整えられるかもしれないと考えています。
3.火星で育つ「特別なコケ」を見つける
火星や月のような厳しい環境でも育つ「特別なコケ(スクリーニング)」を探す実験を行っています。
この実験では、たくさんのコケを育ててみて、その中から特に成長の良いものを選び出すという方法を使っています。このようにして、火星の環境でも生きられる「強いコケ」を見つけ、それがなぜ特別に強いのかを詳しく調べます。もし、火星でよく育つコケが見つかれば、その仕組みを応用して、たとえば、稲のような他の作物を火星で育てるヒントになるかもしれません。
コケ研究は将来どのように応用される可能性がありますか
コケの研究は、宇宙開発や環境保全、医療、食料生産など、多くの分野での活用が期待されています。特に、極限環境への適応能力を持コケの特性を生かし、以下のような応用が考えられています。
1.宇宙農業とテラフォーミング
コケは重力の影響を受けにくく、宇宙空間での植物栽培技術の開発に役立つと考えられています。たとえば、「一寸法師」遺伝子の研究は、宇宙環境での植物の成長を助ける鍵となる可能性があります。また、火星や月のレゴリス(土壌のようなもの)にコケを植えることで、他の植物が育つための土壌を作ることも検討されています。
2.地球環境の修復
コケは乾燥や塩害、重金属汚染などの過酷な環境に適応できるため、環境修復にも活用されます。例えば、中国のゴビ砂漠では、雨季にコケが広がり、砂漠の緑化に貢献していることが確認されています。また、「本門寺苔」のように銅を吸収するコケを利用して、汚染された土地を回復させる技術も研究されています。
3.医薬品と食料生産
ヒメツリガネゴケは、人間に適した医薬品を作る技術の開発に使われています。特に、糖鎖修飾という特性を持つため、大腸菌よりも適した医薬品タンパク質の生産が可能です。さらに、ゼニゴケは鉄分を多く含むため、宇宙食としての研究も進められています。
4.環境技術と産業利用
コケの重金属吸収特性を活用し、環境浄化技術を開発している企業もあります。また、屋上や壁面の緑化にもコケが利用され、都市の温暖化対策や空気の浄化に貢献しています。
コケ研究は、地球環境の保全から宇宙開発まで、幅広い分野で革新的な解決策を生み出す可能性を秘めています。特に、極限環境での生命の可能性を探ることは、人類の宇宙進出や地球外生命の探索にとっても重要な課題となりそうです。
藤田さんがチャレンジするクラウドファンディングは、現在受付中です。
▼詳細・ご支援はこちらから
プロジェクト名:コケを用いた緑化技術で人類の生息領域を広げたい!
プロジェクトURL:https://academist-cf.com/projects/375?lang=ja
期間:2025年02月04日(火) 08時00分 から 2025年03月27日(木) 17時00分
目標金額: 1,200,000 円
NEXT GOAL: 3,000,000 円
藤田さんの所属研究室はこちら
北海道大学 大学院理学研究院/大学院生命科学院 形態機能学講座I 植物進化発生制御研究室