「狂犬病」と聞いて、あなたは何を思い浮かべますか?古い映画に出てくる凶暴な犬?それとも、日本ではもう過去の病気でしょうか。実はこの感染症、世界では今なお年間約59,000人もの命を奪い続けています。その半数が15歳未満の子どもたちです。
北海道大学総合イノベーション創発機構ワクチン研究開発拠点(IVReD)特任助教の板倉友香里さんは、新しいアプローチで狂犬病ワクチンの開発に挑戦しています。世界から狂犬病を撲滅する研究の最前線をご紹介します。

狂犬病 ―― 致死率ほぼ100%の「顧みられない熱帯病」
狂犬病ウイルスはほぼ全ての哺乳類に感染し、治療法が確立されていないため、発症するとほぼ100%の確率で死に至ります。このウイルスは感染した動物に噛まれることで、次の感染を引き起こします。神経指向性が高く、噛まれた傷口から体内に入ると「末梢神経 → 脊髄 → 脳」という経路で移動し、脳で増殖します。発症したイヌが、いわゆる「狂犬」のような行動をみせるのは、脳神経を侵された結果です。人間の場合、発症すると水を見るだけで痙攣する「恐水症」や風を感じるだけで激しい苦痛を感じる「恐風症」などの症状が現れます。
特筆すべきは潜伏期間の長さで、通常は1〜3ヶ月ですが、1年以上かかる場合もあります。この長い潜伏期間のあいだに、感染した動物が広範囲に移動し、そこで新たな感染を引き起こすのです。

なぜ狂犬病はなくならない?
日本は1957年に狂犬病法が制定されて以降、狂犬病の国内発生がない「清浄国(特定の伝染病が発生していない、またはワクチン接種によって撲滅された国や地域)」となっています。これは、島国という地理的特性、野良犬の捕獲、飼い犬のワクチン接種の義務化という徹底した対策の成功例といえます。しかし世界に目を向けると、アジアやアフリカの発展途上国では今も猛威を振るっています。すでに効果的なワクチンが存在するのに、世界から狂犬病がなくならないのは、なぜなのでしょうか?
そこには、発生国特有の理由がありました。
1 医療アクセスの悪さ、コールドチェーン(低温物流)の不備
狂犬病の発生国は多くが貧困の問題を抱えています。そのため、予防接種ができるような医療施設や人材の確保が困難です。また、ワクチンは先述の通り「生ワクチン」なので冷蔵保管が必須ですが、発生国ではコールドチェーン(低温物流)が整備されておらず、保管施設もありません。
2 狂犬病発生国には野犬がとても多い!
ヒト狂犬病の99%はイヌ由来です。狂犬病の拡大を防ぐには、野犬の集団内で70%以上のワクチン接種率を達成する必要があります。しかし、発生国には野犬が非常に多く、例えばインドには6200万頭の野犬がいるといいます。これだけの数の野犬を捕獲してワクチン接種のために注射をしてまわるのは、とても現実的ではありません。そこで現在、いくつかの研究チームで、「食べる」タイプのワクチンの開発が進められています。

ヨーロッパでの成功例-「食べる」ワクチンの効果
ヒトが口から摂取する「経口ワクチン」は他のウイルス対策としてもすでに例がありますが、狂犬病ワクチンの場合は野生のイヌに食べてもらわなくてはなりません。ヨーロッパでは1980年代から「ベイト(餌)ワクチン」を活用し、キツネなどの野生動物における狂犬病を効果的に制御してきました。これは餌の中に液状のワクチンを入れることで、野生動物に自然に摂取させる
革新的な方法です。
1983年には赤い点で示された広範囲に狂犬病が発生していましたが、2017年にはほぼ発生は認められません。このように、ベイトワクチンを野外に散布するこの方法は、非常に効率的かつ広範囲に狂犬病を制御できることがわかっています。

しかし、このベイトワクチンを実際に使用するには、社会的な問題があるといいます。
それは、「生ウイルスを使用している」ため、人間の居住域での大規模散布はリスクを伴うことです。特に狂犬病発生国では野犬と人間が生活環境を共有しているため、現行のベイトワクチンの大規模使用は承認されていません。
そこで、板倉さんの研究チームは、「生きたウイルスを使わない」安全な経口ワクチンの開発に取り組んでいます。この革新的なアプローチは、世界でもIVReDだけが挑戦している最先端研究です。
「安全性」と「有効性」を両立した新しい経口ワクチン開発への挑戦
「生きたウイルスを使わない」ことで、社会的な問題はクリアできます。しかし、こんどは科学的な課題が生じます。
課題1.
抗原(ウイルス)が胃で消化されてしまう-感染、増殖しないので胃酸や消化酵素により分解されるため、免疫が誘導されにくい
課題2.
抗原が体に行き渡りづらい - 抗原が分解を免れても、体内で増殖しないため抗原の送達効率が低い
これらの課題を解決するため、板倉さんは二つの革新的技術を組み合わせた新規モダリティー(基盤技術の方法・手段)の開発に取り組んでいます。ひとつは消化されないための工夫として、ある寄生虫の表面タンパク質を利用すること、そしてもうひとつは、少量の抗原でも効率的に免疫を誘導するための手立てとして、抗原遺伝子を組み込んだ「自立増殖型RNA」、いわゆるレプリコンを活用することです。この組み合わせにより、板倉さんは「安全性」と「有効性」を両立した革新的な経口ワクチンの実現を目指しています。
寄生虫のタンパク質?!レプリコン??
気になる単語が登場しましたが、これはまた、次のおはなし。
板倉さんが取り組む新しい経口ワクチン開発を紹介するサイエンスカフェが、3月23日(日)に北海道大学医学部百年記念館で開催されます。
寄生虫のタンパク質とレプリコンを使って、どのようにワクチン開発を進めているのか。そして、世界の狂犬病制御にどのように貢献できるのか、経口ワクチン開発の展望と課題について、ぜひ会場で詳しくお聞きください。
サイエンスカフェ特設ページはこちら
第140回サイエンス・カフェ札幌
「ワクチン? 何それ、おいしいの?〜経口ワクチンで狂犬病から世界を救え!〜」
- 日 時:2025年3月23日(日) 15:00~16:30
- 会 場:北海道大学 医学部 百年記念館 2F 多目的ホール
(北海道札幌市北区北15条西7丁目) 地下鉄南北線北18条駅より徒歩15分、JR札幌駅より徒歩20分
※正門近くの百年記念会館ではありません。ご注意ください。 - 話し手:
板倉 友香里(いたくら・ゆかり)さん/北海道大学 総合イノベーション創発機構 ワクチン研究開発拠点 特任助教 - 聞き手:池田貴子(いけだ・たかこ)/北海道大学 CoSTEP 特任講師
- 参 加:無料、申し込み不要
- 主 催:
北海道大学 CoSTEP
北海道大学 総合イノベーション創発機構 ワクチン研究開発拠点(IVReD) - このイベントは、「ワクチン開発のための世界トップレベル研究開発拠点の形成事業」の一環として開催します。
板倉さんの所属研究室はこちら
北海道大学総合イノベーション創発機構ワクチン研究開発拠点(IVReD)