
CoSTEPとダイバーシティ・インクルージョン推進本部の連携企画、ロールモデルインタビューFIKA。
FIKAとは、スウェーデン語で甘いものと一緒にコーヒーを飲むこと。
キャリアや進む道に悩んだり考えたりしている方に、おやつを食べてコーヒーでも飲みながらこの記事を読んでいただけたら、という思いを込めています。
シリーズ19回目となる今回は情報科学研究院の小柳香奈子さん。理学部で分子進化という分野に出会い、現在、ゲノムのコンピュータ解析によるヒトやイネの遺伝情報の進化過程の解明に挑む小柳さん。研究者としての将来への不安、子育て中の研究活動の停滞という大きな壁を、どのように乗り越えてきたのか伺いました。
【森沙耶・いいね!Hokudai特派員 + ダイバーシティ・インクルージョン推進本部】


母が育んだ生命への興味
小柳さんが生まれる前から「子どもが女の子だったら理系に育てたい」と母親は決めていたといいます。でも、理科のことを直接教えるというわけではなく、子守を頼まれた父親がプラネタリウムや水族館に連れて行くなどして、自然な形で科学への興味を育んだそうです。
高校生になり、漠然と「生きてることの仕組み」や「人がどうやって進化してきたのか」といった、生命の根源的な仕組みに興味を持っていた小柳さんは、京都大学に霊長類研究所(当時)があることを知り「面白そう」と感じ、進学先に選びます。
「向いてない」と言われた生物学で出会ったDNA配列
希望通り、京都大学理学部に進学した小柳さんでしたが、壁が立ちはだかります。
「理学部の生物系は、生物を観察して、スケッチしたり実験したりするのが基本です。でも、私は空間認識が苦手で、立体的なものを想像するのが難しく、絵を描くのがとても苦手でした。そのせいでいつもスケッチの評価が悪く、先生に『あなたには生物は向いてない。物理系にはこういう人が結構いる』とまで言われてしまいました」
生物の道は自分に向いてないのではないか、と思い始めていた3年生の時、転機が訪れます。分子進化学の宮田隆先生の授業に出会ったのです。
「コンピューターを使って生物の遺伝子を解析する、という研究が、パズルを解くように感じられて、私にすごくフィットしました。スケッチや生物実験が苦手でも生物学ができるという感動は大きかったです。それに、ヒトとチンパンジーのDNA配列を比較するだけで、ヒトとチンパンジーがいつ分かれたかがわかる分子時計の話は驚きでした。『この研究をやってみたい!』と思いました」
DNAはA、T、G、Cのわずか4文字の配列ですが、過去に蓄積した突然変異の情報等が詰まっており、種が分かれた時期だけでなく、計算することで、昔の集団のサイズまで推定できるという研究分野に、強く惹きつけられました。小柳さんは、宮田先生の研究室に入り、修士・博士課程へと進みます。

博士課程の暗中模索と、心の安定をもたらした結婚
研究の面白さが先行していた修士課程でしたが、博士課程に進むと、その先にある研究者になるという未来への不安で、純粋に研究と向き合うことができなくなってしまったといいます。
「修士時代はすべてが新しくて楽しかったのですが、博士課程に進んでしばらくするととても辛かったですね。一番辛かったのは、やっぱり先が見えないこと。そして、指導教員から『研究者は大変だよ』『性格的に向いてないよ』と心配されており、自分でも内向的な性格だと思っていたので、自信もありませんでした」
小柳さんは自分は研究者に向いていないのでは、と悩みました。さらに、研究テーマも指導教員のアイデアで進めていたため、「いつか自分でテーマを持つ研究がしたいけど、本当にできるんだろうか」という不安もありました。
不安を解消するため、博士課程2年の頃には、公務員試験を受けるなど、就職も検討していたといいます。この暗中模索の時期を乗り切る上で、支えとなったのが(後の)夫でした。
「D2からD3になる時に、研究室の同級生と結婚しました。それで精神的にすごく安定したところはあります。将来のことは全くわからず、どちらかがポストについたら、そちらについて行こう、ぐらいの気持ちでした」
精神的安定を得て、その後博士号を取得。京都大学でのポスドク期間を経て、東京の生物情報解析研究センターでの国際プロジェクトにポスドクとして参加します。
「そこは女性も多く、研究者以外のエンジニアや英語が堪能な事務の方など、非常に多様性がありました。毎日海外の先生とやり取りする中で、風通しの良さと、こういう多様な環境に身を置くことがこんなに居心地がいいんだ、というのを初めて感じました。ポスドクという不安定な立場ながら、人生で一番羽を伸ばした2年間でしたね」と振り返ります。

ワンオペ育児でも研究はマラソンのように走り続ける
その後、奈良先端科学技術大学院大学で助手を経て、2004年に現在の北海道大学工学部の助教授(当時)として着任します。小柳さんはこの「任期なし」のポストに就けたことが、研究人生史上最もラッキーな出来事だったといいます。
しかし、パートナーも同時期に関西の大学でポストを得たため、当時から現在に至るまで別居生活を続けることになります。
「キャリアアップの過程で、どこかで一緒に暮らせれば、とは思っていました。その当時はここまで長くなるとは思っていませんでしたが、離れているからこそ仲良しでいられるという面もあります」
2006年に出産。産休・育休中は東京の実家で過ごしましたが、その後は札幌に戻り、子どもと2人きりのワンオペ状態で仕事と育児を両立することになります。
「もう本当に大変でした。保育園の隣のマンションに引っ越し、すぐに預けられるようにしたり、NPO法人の子育てサポートを利用してシッターさんをお願いしたりしていました。夫も毎週末、関西から飛行機で札幌に来てくれていました。小学校に上がってからも習い事の帰り時間が自分の帰宅時間と合うように調整したり、子どものお友達のお家にお世話になったりと、本当に様々な人の協力と制度を活用して何とか乗り切りました」と振り返ります。「でも子育ては大変さを優に上回るかけがえのない体験で、本当に幸せな時間でした。こんな幸せな時間を、離れて暮らす夫ともっとシェアしたかったなぁ、と思うことはあります。」
子どもが小さい時期は、研究活動の割合はとても少なくなったといいます。そのような中で意識していたのは研究と育児の比率を50:50を目指すのではなくて、「0:100にしないこと」だったそうです。
「結婚した時に、指導教員に『研究はマラソンと一緒だから、一回止まったら、もう一回走り出すのは辛いよ』と言われました。なので、研究ができない時期でもゼロにしない。できる限り少しでも続ける、研究のことを0にしないようにしていました」
本格的に自分の研究テーマに取り組み、研究費や論文の成果が出始めたのは、子どもが小学校に上がってからだったといいます。また、職場の環境にも恵まれていたことも子育てとの両立には、とても助かったと小柳さんは言います。
「研究室の教授の先生の理解が本当に大きかったですね。例えば、子どもの発熱などで休む際、『休まれたら困る』とか逆に『どんどん休んでいいよ』と言われると逆に不安になるけれど、先生からは『必要なだけ休んでください』と言われたんです。そうすると、研究室としてはあなたが必要ですということが伝わってきて、精神的にとてもありがたかったです」
さらに、北大の「女性研究者支援室(現・ダイバーシティ・インクルージョン推進本部)」による雇用支援制度を活用し、研究室で事務補助員を雇うことで、自分がいない間も研究を止めずに済むなど、精神的な負担が大幅に軽減されたといいます。

今、研究に絶好調の「ポスドク気分」
周囲の協力で乗り切った小学生時代。しかし、その先に待っていたのは新たな試練でした。
「娘が中高生になると、スマホでの友人関係などに目が届きにくくなり、親としての苦労が増えました。ちょうどその頃はコロナの時期で、さらに私自身も年齢的な不調が重なったのか、朝起き上がれないほど体調を崩してしまったんです。自分自身のケアも家族のことも思うようにできず、本当に大変な時期でした。娘に食事を作ってもらうこともしばしばあり、逆に助けられました。」
そんな子育てと研究の両立における激動期を終え、娘さんは今年の春、道外の大学へ進学し独立しました。かつて小柳さんが母親から受けたのと同じ「こっそり教育」の影響か、選んだのは同じ理系の道です。
娘がいなくなり寂しさを感じる一方で、母としての肩の荷を下ろした今、小柳さんはポスドク時代のように、再び研究に没頭できる環境を取り戻しました。
「回復には時間がかかりましたが、今はもう絶好調です。娘が家を離れたことで時間の制約もなくなり、中断していた研究への意欲が『あれもやりたい、これもやりたい』と湧いてきているんです。本当に楽しいですね」 小柳さんは、晴れやかな笑顔でそう語ってくれました。
現在取り組むテーマは、細胞に残された「痕跡」から、その細胞の過去を読み解く研究です。 遺伝情報(ゲノム)そのものではなく、そこに後から書き込まれた化学的な「しるし(エピジェネティック修飾)」に着目。異なる細胞についた「しるし」を比較することで、ひとつの細胞が分裂を繰り返し、私たちの体ができあがるまでの過程を推定しようとしています。
また、長年共同研究で続けていたイネのゲノム解析にも、主体的に取り組み始めました。現在イネは膨大なゲノムデータが蓄積され、様々な実験も進んでいるため、研究の可能性がますます広がっています。北海道でお米が実るようになった背景にもゲノムの変化があり、ゲノムからイネの歴史を読み解くことにも取り組んでいます。
学生には『こうしなきゃいけないってことはない』ということを伝えるようにしています。結婚や出産も、やってみてから、その時に合わせてキャリアを調整しても遅くはありません。一度立ち止まっても、また歩き出せばいい。『研究はマラソン』ですから」
小柳さんは、ペースを落とす時期があったからこそ見える景色を楽しみながら、「研究のマラソン」を、今まさに駆け抜けています。

FIKAキーワード 【小4の壁】
小柳さんも頭を悩ませていた子どもが小学生のときの放課後や長期休暇時の過ごし場所。
こども家庭庁の調査では学童保育の待機児童数において、学年別の割合を見ると小学4年生が一番高いことが明らかになっている。
これは、地域によっては小学三年生までを入所の要件にしていたり、定員の関係から低学年の受け入れを優先するローカルルールの存在などが要因として考えられている。
そのため、高学年は放課後や長期休暇時に、家で留守番をしたり塾や習い事に行ったりと、学童に替わる居場所を確保する必要がある。
