1986年春に水産学部を卒業し、現在は就職サイト『キャリタス就活』の運営を指揮する陶山千里さんが「大学時代を楽しく過ごす!」と題して、学部1年生対象の講義をつとめてくれました。水産学部食品科学科で「ホタテ貝の麻痺性貝毒」について研究し、卒論を発表した陶山さんは、新卒で株式会社INAXへ入社。その3年半後(株)ディスコへ転職。1996年32歳で札幌支社長に就任。就職サイトの業界(リクナビやマイナビ)で初の女性支社長となりました。陶山さんの授業の一部を紹介します。
私がいま取り組んでいるメインの仕事は『キャリタス就活』サイトの運営です。大学のキャリアセンターへの営業や『キャリタス就活』のプロモーションの他、ボストンなど海外で学んでいる日本人学生や、日本語を学んでいる海外の学生の就職支援として、合同企業説明会なども実施しています。率直に言って『キャリタス就活』は『リクナビ』や『マイナビ』よりも認知度は低いです。ですから、このような授業の機会を用意していただければ、積極的に学生さんの前でお話しするよう心がけていますし、サイトの運営だけではなく、駅中の広告などを通じて、より多くの学生さんのキャリア支援を通して「働くことについて」考え、行動てほしいと思っています。
仕事柄様々な大学を訪れるのですが、やはり母校である北海道大学のキャンパスが一番好きです。広いし、四季折々の景色を楽しむことができて、本当に素晴らしい環境ですね。学生の頃はクラ館の前でよくジンパ(ジンギスカンパーティー)をやっていました。今は構内の指定場所でしかジンパをできないのですよね…。実は社会人になってからも東京同窓会が主催している、500人のジンパ@江戸川に参加しています。同世代とはもちろん、世代を超えてつながりを持てる機会があるということも北大同窓会の魅力だと思います。
水産学部へ入学
私は子どもの頃から獣医になりたいという夢を持っていました。昔、『カンガルー・スキッピー』というドラマを見て、オーストラリアに住んでみたいと憧れました。みなさんはどんな夢をもっていましたか?受験生のころまでその夢は持ち続けていました。特に好きな科目は数学。物理も生物も好きでした。でも化学は不得意でした。当時の獣医学部の入試は難関だったという理由もありますが、高校の担任から同じ生物でも「魚」と向き合える分野を紹介してもらったことがきっかけで、水産学部の入学を希望しました。私は生まれも育ちもずっと札幌で、実家を離れた経験がありませんでした。水産学部は2年の途中から函館キャンパスに通学することになるので「一人暮らしにもできる!」ということでワクワクした記憶があります。当時の水産学部で女性は1割程度(20/200人)でした。
女子学生はマネージャーをしていると就職が有利?
入学直後に受けた地学の授業の先生の言葉が印象的でした。「女子学生はマネージャーをしていると就職が有利」。剣道部や弓道部、高校でやっていたバトミントン部への入部も検討したのですが、毎日の稽古に耐える自信もありませんでした。それで、その地学の先生の言葉を(理由はよくわかりませんでしたが)信用してしまい、たまたま最初に目に入った「アメフト部マネージャー募集」看板に惹かれて、部員の方におそるおそる声をかけたのが運の尽き。拉致されるように入部が決まってしまいました。でも週のほとんどが部活で、毎日通うことになります。大変でしたが、今では貴重な経験をさせてもらったとふり返っています。ちなみに、1983年、私が2年生の時に道内で初優勝しました。それからアメフト部の活躍は続いていると聞いています。同期のアメフト部員は5人いるのですが、実は今でもつきあいがあります。11月にも集まって食事をする約束をしているくらい仲が良いのです。たったの1年半という短い札幌キャンパスでの経験でしたが、このような生涯を通じた仲間をつくることができたのもアメフト部のおかげだと思っています。
「お金を稼ぐこと」の大変さを学ぶ
函館に移ったあとは時間に余裕が生まれました。だからアメフトの試合があるときだけ札幌に戻って、マネージャーの仕事もしておりました。一方で、函館キャンパスの剣道部に入部し初段までとりました。勉強は(まあまあ)真面目に取り組んだと思っています。忙しい学生生活でしたので、アルバイトは週1回程度の家庭教師くらいしかできませんでした。でもアルバイトを経験することで「お金を稼ぐこと」の大変さを学ぶことができました。最近、某量販店で販売されているような質の高いダウンジャケットも、当時は5万円ほどしました。そのジャケットがどうしても欲しくて、アルバイトでお金を貯めて買いました。だから今でも手放さずに持っています。働いてお給料をもらうって大変なことなのだと、しみじみ感じた記憶があります。
「お姫様は今すぐ去りなさい」
函館キャンパスに移ってある先生に言われた衝撃の言葉が「お姫様は今すぐ去りなさい」でした。世の中は甘くない、というメッセージだったのですが、当時そんなお姫様気分で進学したつもりなんてなかった私は怒りを覚えました。でも、少し時間が経過すると「やっぱり自分は甘かった」ということに気付かされます。あの先生の言葉で目が覚めたような気がしました。そのせいもあってか、水産学部の女性たちは揃って男気のあるような同志が集まっていたように記憶しています。同窓会があると今でも一緒に「水産放浪歌 」や「都ぞ弥生」を歌っているんですよ(笑)。
ずっと働き続けることができる仕事を目指して/みなさんへのアドバイス
いよいよ学部4年生になって就職活動が始まりました。教育実習も受けていたので、中学の理科と高校の生物の教員免許もとりました。安易な考え方だったかもしれませんが、教員免許さえあれば、いつか役に立つかもしれないと考えたのです。
就職活動のスケジュールは毎年変わっているようですから、私の経験は参考にならないかもしれません。でも、ぜひみなさんにお薦めしたいことがあります。それは毎日「新聞を読むこと」と「テレビのニュースなどをチェック」することです。新聞を隅から隅まで読む時間はないかもしれませんが、見出しに目を通すだけでもいいのです。それで世の中の動きをつかむことができます。見出しというのは一番大きな文字で構成されています。だから大きなタイトルは大事なことだと信じて、読み続けてみてください。
私の就職年は1986年で、ちょうど男女雇用機会均等法がはじめて施行された年です。だから就活中はまだその法律がありませんでした。求人票を見ても女性の募集はほとんどありません。就職の厳しさを目の当たりにしたのですが、そこでめげるわけにも行かず、私が手に取ったのは「電話帳」でした。そしてめぼしい会社に電話をかけ続けました。とてもアナログな方法だったと思います。50社に電話をして1/3の15社くらいから、会社訪問のアポイントメントを取り付けることができました。その中にINAXがあり、苦労はしましたが内定をもらうことができました。INAXでは3年半、ショールームに勤めました。
INAXに在職中、北大法学部/アメフト部出身の先輩に転職を誘われました。彼は(株)DISCOに勤めていて、初めて札幌支社を立ち上げるので協力してほしいという相談でした。INAXではショールームに勤務する専門職として働いていましたが、総合職への憧れもありました。もう少し仕事の幅を広げてみたかったのです。(その後INAXも専門職から総合職へ移動する仕組みが生まれたようです。)転職は大きなチャンスかもしれないと考えましたがやはり迷いました。DISCOという会社のことを徹底的に調べました。すると世の中の学生に無料で就職支援の冊子を配布している会社であることを知りました。当時INAXは社員数6,000人、一方でDISCOは150人規模の会社だったのです。「小さな会社=倒産の可能性大」という図式が頭をよぎり、一度は断ったのですが、辛い就職活動での経験を思いだし、女性である自分こそ、これからの中小企業に貢献したいと考え、引き受けることにしました。転職したのは1989年です。
時代はバブルの全盛期ということもあり毎日忙しかったです。朝9時に出社して、その日中に帰宅できるような日はほとんどありませんでした。それでも若かったせいか、苦ではありませんでした。生きがいを感じながら働いていていたように記憶しています。特に印象に残っていることは、ある営業先の方からもらった言葉です。「初めは女性が担当者と知って、がっかりしたけど、仕事を続けていくうちに君が営業担当で本当によかったと思っている。どうもありがとう。」
そして32歳の時に札幌支店の支社長に任命されました。それからは得意としていたマネージメントの業務に専念できるようになっていきました。支社長の経験をしておもしろかったことは、様々な企業のトップに会って話を聞くことができることでした。社長インタビューなども私の仕事の一つだったのです。そのような仕事を通じて、含蓄のある言葉や、人生にとって大切なことを聞き出し学ぶことができたと思っています。東京本社に転勤後もさまざまな経験を積みながら今にいたっています。
最後に。学生のみなさんへのメッセージとして
これから社会人になるみなさんに、学生のうちから心がけてほしいことがあります。それは「計画を立てたら実行する」ことです。私の経験ですが、例えば部活を(なるべく)休まないという目標を立てます。シンプルな目標ですが、実行し続けることはそれほど簡単ではありません。毎日通い続けるとメンバーから信頼されるようになります。するとマネージャーが頑張ってくれているから、俺たちも頑張ろうという空気が生まれてきます。そしてチームがまとまってきます。すると楽しくなります。つまり楽しくなるから、また部活を休まなくなるのです。一つ一つの勝利に向けてプラスのスパイラル生まれるわけです。ささいなことかもしれませんが、そういう意識を持ち続けて欲しいと期待しています。それが、コミュニケーション力や想像力の成長を支えてくれるはずです。
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陶山さんが講義したのは、全学教育科目の「大学と社会」です。次回の講師は法学部出身の金田一真優さん(KIN Sugar Labo.主宰)です。お楽しみに。