カエルを題材に、学生をあの手この手で鍛えぬく北大屈指の人気授業「蛙学(あがく)への招待」。抽選に通った幸運な学生たちは、この授業の中で大変な苦労をしながらも大きく成長を遂げていきます。その現場には、意欲を引き出す巧みな授業デザインときめ細かなコミュニケーションがありました。
前後編に渡って授業の秘密に迫る今回の企画、後編は授業を担当する鈴木誠さん(高等教育推進機構 教授)に、自身が取り組む「意欲の研究」と「蛙学の授業づくり」の関係や、その背景について話を伺います。
【村山一将・CoSTEP本科生/社会人】
系統解剖実習では、学生たちの意欲の高さが印象的でした。学生の学ぶ意欲を引き出すために、どのような指導をしているのでしょうか
直接的に「意欲を高める」というつもりはまったくありませんね。「蛙学」の解剖実習と高校までの解剖との大きな違いは、事前に覚えておくべきテクニカルタームの数です。カエルには、あらかじめ知っておくべき器官・組織が140以上あります。解剖の基礎となる知識量が高校とは全く違います。どの器官の手前にどの神経が走っているのかまで予想しながらでないと、解剖はなかなかうまく進まないからです。
ただし、こういう基礎の部分は授業ではやりません。学生の希望に応じて、一緒に昼食をとりながらのランチミーティングや、朝7時からのブレックファーストミーティングをすることもありますし、小テストのようなものをゲーム感覚でやるときもあります。学生は一人ひとり、毎年異なるので、年によってグループ学習にすることもあれば、個別指導をすることもあります。いずれにせよ、この基礎の学習をやってからでないと、絶対ハサミを握らせないというのが私の信念です。
つまり、「解剖のために覚えなさい」と指導するのでしょうか
「覚えてこい」とは言いません。解剖するのに何が必要かを最初に考えさせます。それは、「心技体」です。私は、この実習はウシガエルの命と引き換えに行うのだということをくり返し学生に言うのですが、心技体が充実していないと「命と引き換え」にはなりません。命を無駄にしないためには、しっかり知識とスキルを身につける必要がある。器官の名称を覚えて、それをドライ・ラボの模擬解剖で確認していくなかで、解剖の流れやスキルを身につけていく。そうすることで、本物がもつ圧倒的な情報を詳細に見抜いていけるようになります。
もちろん、感謝の気持ちが必要だということも、みんなに理解してもらいながら進めています。私だって本当は解剖が好きなんじゃない、カエルに手をかけるのはものすごい負担なんだ、ということも正直に言います。来年こそ、解剖はもうやめよう、と思うくらい葛藤しています。いくら教育、生命観育成という理念があっても、指導する側にとっては大きな負担ですから。
必要性に気付けば、学生たちは自発的に覚えるようになる、ということですね
そもそも、私の授業で一番大事なことは、大学に入ったばかりの学生たちに、問題解決の「入口」を見せることなのです。私の願いは、独創性や創造性に富んだ人材の育成であり、そのような人材に欠かせないのが情報収集・情報処理・推論・メタ認知といった問題解決のプロセスです。
キーワードは「本物との出会い」。いまの世の中、えせ全盛で、それが欠けているでしょう。本物のもつ情報量の多さをもっと大事にしないといけないと思っています。そして、正確に情報をとること、こだわること。そのために例えば、4月の下旬に鮭の科学館に行き、そこにいる8種類の両生類に見たり触れたりさせてもらいます。5月の上旬には野外に出て、エゾサンショウウオの卵塊の調査をします。その次に来るのがこの解剖です。この題材を通して、しっかり対象物を見て、正確に見抜く力、そしてこだわる力を醸成するわけです。
でも、系統解剖で「蛙学への招待」が終わるわけではありません。この授業の最終的な到達点は、解剖ではなく、学生主体のインタラクティブな「学生授業」です。授業終盤の第11回からは、学生自らが教師役となり生徒役の同級生を指導していく学生授業へと移行していきます。5人1組のグループで、テーマ設定・情報収集・授業シナリオの立案・教材作成・リハーサルを行い、最終的に60分間の授業をすることを目標としています。
授業の到達点として、プレゼンテーションではなく「学生授業」という形式にこだわる理由は?
いい質問です(笑)。話し手が一方的に情報伝達をするのがプレゼンテーションです。授業は、いわば教師と学生の「共同作品」であり、相互作用があって初めて成り立つものです。生徒役の学生を巻き込んだ双方向型授業、つまり教師も学生も一緒になってゴールを目指していくような授業、そういうスタイルをものすごく私は求めるわけです。このような相互の学び合いを、「ディープ・アクティブ・ラーニング」と呼びます。学生を完全に生かし切り、教師が学生から学ぶ。これは私と学生の関係でも同じことで、私にとっては学生たちが教師、私自身が学び手です。
いま中学校・高校で試み始めている「アクティブ・ラーニング」は、たんに生徒にディスカッションやプレゼンテーションをやらせているだけのものがほとんどです。また、何でもかんでもアクティブ・ラーニングをすればいいというわけでもありません。例えば、解剖前に両生類の組織を140種類覚えるという授業なら、絶対に一斉型や個別指導がいいでしょう。「蛙学」では、鮭の科学館に行ったり、時にはカエル料理を食べたり、採集に行ったり、解剖したり、さまざまなことをやっています。そのうえで最後は学生を活躍させる、そういう全体のバランスを考えながらやることがアクティブ・ラーニングには必要です。
そうやって学生を生かし切ること、活躍させることが意欲の高さにつながるのですね。では、そもそも意欲の研究をはじめたきっかけは、どのようなものだったのでしょうか
20年程前、中学校・高校で教員をしていたときに、荒れた学校の生活指導を担当したことがあります。その経験の中で、勉強嫌いで悪態つくけれどもこちらにかまってくる生徒は、実は「生きる力」があるということに気付いたのです。こういう生徒をなんとかしたい、彼らの学ぶ意欲・モチベーションを磨くにはどうしたらいいのだろうと考えたとき、「そもそも意欲って何だ?」という疑問がわいてきました。私は教育学部ではなく理系出身なので、そこから独学で意欲の研究をはじめました。30歳のときです。いずれにしても、そういう生徒に出会って、今の自分があります。もし違うタイプの生徒に出会っていたら、違った教員になっていたかもしれません。
「蛙学への招待」は、将来的にどのように発展させていくのですか
解剖に関しては2016年度を究極の1年にして、そこで打ち止めにしたいと思っています。「蛙学」には解剖以外にもいろんな要素があって、別の要素をもうちょっと磨きたい。退職するときに突然辞めてしまうのはすごい衝撃が来ると思うので、あと2・3年で「蛙学への招待」の幕を引きたいですね。
私にとって授業は、研究活動との両輪で、大事な柱なんです。目標は、究極のアクティブ・ラーニングの形で授業をして、そこで学生たちに研究者としての種をまいていきたい。教育って種まきじゃないですか。5年後10年後にどうやって芽が出てくるか。とにかく学生を無責任には社会に出したくない。それはたぶん、荒れた学校での経験があるから、そう思うのです。
最後に、今後の目標・野望などあればお聞かせください
日本の科学教育を根底から作り変えること。いまの科学教育のコンテンツをばらばらに組みかえてみる。例えば、幼児にゲノムを教えてしまう。こういうことをきちんとした理念やコンピテンスに基づいてやれば、それによって日本の学習指導要領が大きく変わるし、もっと先のことを狙っていける。いまはその研究に燃えています。
あともう一つ。さわってみるここ?……筋トレ。60にして腹を割る。肉体改造!フットサルのために!(笑)
—-前編はこちら—
【#63 「蛙学」が導く問題解決への入口【前編】解剖実習で見た学生たちの学ぶ意欲】
(2015年11月19日)