東日本大震災から3年。被災地では復旧・復興が進んでいますが、まだまだ課題があります。今回は、震災当時から被災地の復興支援に取り組んできた、森傑さん(工学研究院 教授)に、震災直後のこと、そして3年経た現在の活動と課題について聞きました。
3年前の震災直後のことを振り返っていただけますか
私が学生のときに阪神・淡路大震災を体験したのですが、被災地にすぐに調査することに対して難しい面があると理解していたので、北海道にいる自分としてまずできることをやろうとしました。そう考えたときに、1993年の北海道南西沖地震で、特に奥尻島では大きな津波などによって多大な被害を受けたことを思い起こしました。そこで私たちは奥尻島に行き、被災から復興への道のりについて、住民の方々にインタビューしました。そうしてまとめ、ウェブサイト上に公開したのが 「奥尻シート」でした。こうした情報は、復興へ向かっている東北の被災地の人たちに役に立つのではないかと思ったのです。
(被災から間もない気仙沼市小泉地区の様子。復旧作業が始まっている。森さん提供(2011 年8 月))
その後、実際に被災地で支援活動を行ったのですね
「奥尻シート」を公開したところ、宮城県気仙沼市小泉地区の方から、復興へのまちづくりについて手助けしてくれないかという依頼がきました。そこで、震災から3ヶ月後に、被災地に初めて入ったのです。小泉地区に入ってまず感じたのは、住民への心のケアでした。私が住民の方々に話を聞いている間はいいのですが、その後、不安を感じる人たちが出てきました。そして2週間後くらいに私がまた地域を訪問し、住民の方の話に耳を傾けると、安心したような表情を浮かべることがたびたびありました。
私は、大学で建築や都市計画について研究していますが、住民と行政からは中立的な立場から支援できると考えています。その間に入って、まちづくりについて、ハード面だけでなく、総合的に助言・支援していきたいと考えております。
(小泉地区の住民とワークショップを行う森さん(中央))
3年ほど経ち、いまどのような状況でしょうか
小泉地区の造成は2013年6月に着工となりました。工事は順調に進んでいますが、課題がないわけではありません。大臣の同意を得た整備計画を策定した時点に比べ、集団移転に参加する方の人数が減り、災害公営住宅を希望する方の割合が増えてきています。これに対応すべく、現在は2次造成の設計変更に取り組んでいます。
集団移転者の離脱については、他の被災地でも同様に起こっています。しかし、これは被災者が批判されるべきことではありません。心身ともに不安定な避難生活の中で、将来の何もかもが不確定な中で、どこに家を再建するのかを冷静かつ確定的に決断できるわけがありません。どうなるか分からないのでひとまず手を上げておく、というのは当然だと思います。
今後重要なのは、刻々と変化する被災者の状況とニーズに、どれだけ事業や制度が追従できるかです。そして、人口減少を含む将来の変化にも対応できる柔軟なシステムも求められます。復興まちづくりは決してハードなカタチを決めることではありません。変化に対応するマネージメントのあり方こそが大事なのです。
(小泉地区の造成工事の様子(2014年2月)。(提供:小泉地区の明日を考える会))