2017年2月10日(金)に、北海道大学創成研究機構主催の第14回創成シンポジウム「科学と芸術のあいだ アートが北大を変える」が、北海道大学の学術交流会館で行われました。第2回札幌国際芸術祭のゲストディレクターを務める音楽家の大友良英さん、研究とともにバイオアート作品をつくり続けている早稲田大学の岩崎秀雄さん、鳥の求愛行動を研究している北海道大学の相馬雅代さんを迎えて、学内外の科学者を交えながら科学と芸術の関係について自由闊達に語るイベントです。「科学と芸術の間にはガラスの壁がある」という中谷宇吉郎の言葉の紹介から、イベントは幕を開けました。
まず最初は、朴炫貞さん(北大CoSTEP特任助教)による「北大で芸術祭ってなんだ?」と題したオープニングトークです。
(朴炫貞さんによるオープニングトーク)
自身もアーティスト活動をしている朴さんは「大学にある文系、理系、アート系の人たちの垣根を越えることが芸術祭の目的、これが科学と芸術の間にあるガラスの壁を割ることにつながる」と捉えています。その原動力になるのは好奇心です。北大で芸術祭を行う理由は、科学と芸術の違いを考える良いきっかけになるからだといいます。「科学は再現性がないと成り立たない。アートはその人にしかできない表現。それぞれ体験や経験が再現されている。それらを想像/創造するのが芸術祭」そう朴さんは芸術祭を位置づけました。また、芸術祭の「さい」は「祭り」であり、「差異」でもあり、さらに韓国語で 사이(さい)は「間」を意味するなど、不思議な偶然があることを紹介しました。重要なことは、北大で芸術祭を行うこと自体を問い続けることであり、今日はその始まりであると力強く宣言してくれました。
次は、岩崎秀雄さん(早稲田大学教授/美術作家・生物学者)の「『表現としての科学』の可能性から科学を再考する」が続きました。
(岩崎秀雄さんによる講演)
岩崎さんによれば、アートは、自然(Nature)の中で生きている人間の活動の総体を表す言葉です。科学はアートの一部に含まれます。その一方で、科学はアートを含む自然を観察対象としています。つまり、自然の中にアートがあり、アートの中に科学があり、その科学が自然を捉えるという入れ子構造になっているのです。それゆえ岩崎さんは、「両者の間にガラスの壁はない」と看破し、「科学とアートの関係はメビウスの輪やクラインの壺のようなもの」であるとします。
岩崎さんは、モノはいかにして生命を持つか、人工生命体や人工細胞に死はあるのかという観点から生物を研究しています。そして、生命と芸術の間には、近い関係があると考えています。
例えば、骨はリン酸カルシウムという物質に過ぎません。しかし、葬儀の際に私たちが骨を見るとき、そこにはしんみりとした「いのち」を感じることができます。生命性は対象と人々の相互作用の間に宿っていると岩崎さんは話しました。芸術もまた鑑賞者に体験をもたらします。作品と我々の体験の相互作用の中から芸術が生み出されるのです。二つに共通するキーワードは関係性と相互作用です。
茨城県の県北芸術祭で行われた発酵微生物の慰霊祭や、自分の論文を切り刻んでメッキにして緑色のバクテリアを埋め込むなど、特異な芸術活動を展開する岩崎さん。生命にかんする感覚をずらす実践的なプラットフォームとして、芸術を援用しながら、生命とは何かを常に問いかけています。
最後は、「音とノイズのあいだ」と題したトークセッションです。音楽家の大友良英さんと相馬雅代さん(北海道大学大学院理学研究院准教授)に加わっていただきました。
(大友良英さん)
大友さんは、NHKの『あまちゃん』の音楽から映画のサウンドトラック、ノイズ音楽まで幅広く楽曲を手がけています。しかし、歌うことが苦手で音楽の授業が大嫌いだったそうです。
「専門的な音楽は、アスリート活動と同じ。スポーツ選手がコンマ一秒を競うように、専門的な音楽について探究し続けることは、深い穴を延々と掘るようなものです。理解してくれる人も多くなく、世界で50人くらいしかわからない世界です」。専門的な音楽活動を続けてきた大友さん、今は、逆に一般の人と音楽をやることが楽しいと言って憚りません。そのきっかけは、障害を持った人たちとの音楽ワークショップと、2005年の大阪の展覧会で、ピーッと音が出る巨大コイルの作品や声の位相がひっくり返るバルーンの作品に「泣くくらい感動した」ことだったそうです。
(相馬雅代さん)
相馬さんの研究分野は、鳥類や鳴禽類を中心とした生物学、心理学です。相馬さんは、歌いながらパーカッションする鳥や、ビートサウンドに羽を広げてリズムを取ってダンスをする鳥、タップダンスでメスに求愛するオス鳥などのユニークな映像を紹介して会場を盛り上げました。「リズムを取る能力は人間固有か?」という問いから、鳥の求愛行動や鳴き声の分析を通して生命の秘密に迫っているとのことです。
次に、朴さんが会場から出た質問を採り上げながら、トークに花が咲きました。
ノイズについて大友さんは「たとえ眠いのに名演奏家に横で演奏されてもうるさいだけだと感じるので、この音だからノイズ、という区別はない」とします。
科学と芸術が分断されている現状について、相馬さんは「穴を掘れば掘るほど壁ができる。でも何が役立つかではなく、何が楽しいかが重要」と主張されました。
それを受けて、岩崎さんは「深く穴を掘った結果、違う鉱脈にも繋がるのではないでしょうか」と科学と芸術の関係についての考えを述べました。
福島で十代を過ごした大友さんは、日本人の科学信仰と3.11以降の土壌汚染の問題から「科学だけでは解決できないこともあります。芸術で解けるわけでもなく、わからないものはわかりません。祭りは、科学だけで考えることだけでなく、視野を広げて考える役割もあるかと思う」という自説を展開します。
「芸術祭はビジネスになるのか」という問いに、相馬さんは「なんの役に立つの? いくらになるの?」という質問をしない深い思考が必要と明言しました。大友さんも、まちおこしで、芸術を使って成功した例もあるけど、そうでない例もあることを引き合いにして、「芸術はまちおこしのためにあるのではありません」と警鐘を鳴らします。
札幌で芸術祭をやる意義について、札幌で芸術祭をやりたい人が市を動かして今の芸術祭があることから、大友さんは「『自分たちの未来像をどうするか?』という問いを突きつけられている」と自分の役割を認識しています。「札幌には、多様な場所で芸術活動を実施できる土壌があります。だから北大にも芸術祭に入ってきて欲しい」と、北大の芸術祭への期待を述べました。岩崎さんは「科学と芸術の融合ではダメだと思います。重要なのは関係性です。その意味で大学は芸術祭をやるのにいい場所」とします。
最後に岩崎さんが、ハーバード大学は総合大学で芸術学科があるため、いろんな分野の卵がお互いの分野についてどう自由に議論することができることを紹介すると、それを受けて大友さんは「北大に芸術学部を作るといいのでは?」という大胆な提案をされました。
北大が札幌国際芸術祭と連携することで、ジャンルやカテゴリーに囚われない自由な発想をする場として、北大の新しい可能性が切り開かれていく。そんな期待を抱かせてくれるシンポジウムでした。