スーパーの食品売り場に毎日並ぶ新鮮な農畜産物は、私たちにとって当たり前の光景となっています。その農作物を生産している現場では、労働力不足と生産者の高齢化が深刻な問題となっています。野口伸さん(農学研究院 教授)は、この問題をトラクターの自動化で解決しようと、日々奮闘しています。
ロボットトラクター実用化の鍵の一つが、日本版GPS「みちびき」です。その3号機の打ち上げは8月11日に迫っています。今、注目を集めているロボットトラクターの研究の一部を、3月に三省堂書店札幌店で開催されたサイエンスカフェでのお話を中心にご紹介します。
【千脇美香・社会人/CoSTEP研修科13期生】
(田んぼを無人で走るトラクター)<写真提供:野口伸さん>
日本の農業が抱える問題
野口さんは、衛星利用測位システム(GPS)を使い、農作業を行うロボットトラクターの研究開発を行っています。なぜ、野口さんは農業にロボットを取り入れようとしているのでしょうか。その背景には日本の農業が抱える様々な課題があります。
「やはり労働力不足が深刻です。そして高齢化も進んでいます。人を雇用したくても周りに人がいない。その中で生産性を上げていかなければならない。ここに課題があるわけです。北海道の一経営体当たりの経営耕地面積は、都府県の11倍に当たる22haです。この面積は年々拡大傾向にあり、100haを超える生産者もいます。このような農家の大規模化が進む背景には、農家戸数の減少があります。過去20年間で戸数が半減している。所有者がいなくなった土地を、残った人達が耕すことで、大規模化が進んでいるのです。そして広い土地を少ない人数で管理しなければならなくなっています」。
野口さんは、人の変わりにロボットができることを模索し、トラクターの自動化を思いつきました。
(カフェでお話する野口さん)
ロボットトラクター1号機の誕生
「今から23年前に開発した1号機は、GPSがない時代でした。畑にセンサーを二つ設置して、トラクターの位置や角度を計算し、その情報を無線で送るという仕組みで動かしていました。さらにこの研究にはとてもお金がかかるため、1号機は捨てられていた機械から、使える部品を集めて作りました。当時は走るだけで精一杯です」。
(トラクター上部と、地上のセンサー2か所のあわせて3か所からの位置情報を用いて、走行を可能にしています)
<図提供:野口伸さん>
野口さんの研究は、2号機3号機と改良を重ね、少しずつ成果を上げていきました。さらに、時代とともに私たちの日常生活に浸透したGPSを使い、農業をロボット化してきました。
「私が研究に使い始めた頃のアメリカのGPSは、軍事用に使われている時代でした。今は民生用に使われ、カーナビやスマートフォン、飛行機や船舶のナビゲーションなど、とても身近な技術になっています」。
クリアしなければならない課題
「実際に社会の中で新しい技術を使うためには課題があります。一つ目は、安全性の問題です。無人作業中に人に危害を加えてしまったら誰が責任を取るのか。人が側にいて監視しているのなら、省力化にはならない。しかし、ひとりで2台動かしたらどうだろう。前の車が無人で走り、後ろの車に人が乗る。後ろの車の人間が安全を確保することで責任は人間がとることができる。これは、農家の方のアイディアから生まれました」。
(後ろの車には人が乗っていますが、前の2台は無人で走行)<写真提供:野口伸さん>
もう一つの課題はコスト面です。ロボットトラクターを複数台所有すると、とても高価になります。生産者の使い易さを考え、野口さんはロボットトラクターに工夫をしました。
「農作業機には様々な種類があります。畑を耕すトラクターや田んぼに苗を植える田植え機、収穫作業を行うコンバインなどです。でも実は田植え機は春しか使いません。それぞれの作業に合わせて、使用する機械が異なる場合があります。そのため、全ての農作業機械をロボット化すると生産コストが非常に高くなります。受信機を付け替えることで、コストを削減し、1年中使えるようにしたいと考えています」。
可能性を秘めた衛星の活用
「研究に使用しているGPSは非常に高性能です。2~3センチメートルの誤差でトラクターの位置を測位できます。走行時の誤差は5センチメートル以下です。そのため作物を傷つけることなく、作業が行えます。トラクターはコンピューターのサーバー上に、測定した自分の位置をあげます。トラクター同士が位置情報を共有しながら作業を行うため、衝突することなく同時に何台でも作業が可能となります。ハンドルを操作しなくてもよいので、高齢者や女性、未経験者でも大丈夫です」。
野口さんの研究にはアメリカのGPSが非常に重要な役割を果たしています。しかし、防風林などの近くでは正確な位置情報を測定することが困難です。また、衛星からの信号を受信できない時間帯も存在します。しかし、日本政府が取り組んでいる準天頂衛星「みちびき」を活用することで、より高精度で安定した位置情報を得ることができるようになります。
(みちびき3号機)<画像提供:内閣府宇宙開発戦略推進事務局>
技術が繁栄するための三つのポイント
「開発した技術を生産者が現場で使うには重要なことが三つあります。一つはインフラです。岩見沢市では、市内13カ所に設置された気象観測装置でデータを解析して、50メートル四方ごとの収量や病害発生を予測して情報提供を行っています。また、非常に精度の高いGPS補正基地局を設置しています。二つ目は自治体やJAなどの関係機関が応援してくれることです。そして最も重要な三つ目は、現場の生産者が積極的だということです。新しい技術の有効な使い方を自分たちで考えることができる。この三つが揃うことで、技術が繁栄します」。
最後に野口さんは、研究と地域に対する思いを口にしました。
「大切なことは地域の産業として農業を育てることです。ロボット農機が導入されて、大きな面積の農作業が少人数で効率的にできるようになる。しかし、地域に人がいなくなっては困ります。この技術によって、付加価値の高い農作物を作る。それによって地域を育てたいと思っています。そのための道具がロボットトラクターです」。