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#125 旧小熊邸から考える、歴史的建造物の保存と価値

藻岩山の麓に「旧小熊邸」という古い瀟洒な建物があります。元の家主は、北大出身で日本における遺伝学の父でもある小熊捍(おぐま・まもる/1886-1971)です。北大にとってはもちろん、北海道にとっても貴重な歴史的建造物ですが、保存までの道のりは平坦ではありませんでした。運動の中心人物であった東田秀美(とうだ・ひでみ)さんから、保存に成功した経緯と歴史的建造物の価値についてお話しを伺いました。

【望月貴文・CoSTEP修了生/社会人】

(深く張り出した軒。特徴的な大きな窓。旧小熊邸は北海道の近代建築を支えた田上義也の初期作品である。2001年に第10回札幌市都市景観賞を受賞した)
旧小熊邸の歴史と保存の転機

旧小熊邸は北海道帝国大学教授、小熊捍の自邸として1927年に札幌市中央区南1条西20丁目に建築されました。1948年に小熊が北海道から離れた後、1951年からは株式会社北海道銀行が所有し、頭取の社宅や社員の研修施設として利用されていました。

(五角形の幾何学模様の窓は、田上が師事した近代建築の三大巨匠のひとりフランク・ロイド・ライドの特徴でもある)
(2階には小熊の写真が飾られている。建物と人物の歴史の重みを感じる場所となっている)
(1998年~2017年までの20年間は「ろいず珈琲館」として活用され、2018年からはフライフィッシングショップ「ドリーバーデン」としてリニューアル。店内ではコーヒーも飲める)

転機が訪れたのは、老朽化が進み取り壊しが検討された1995年。保存を求める声が多くの市民や建築の専門家から集まりました。1996年6月に「旧小熊邸の保存を考える会」(以下、「保存を考える会」)が設立されたことが、保存運動の始まりとなります。

建築の専門家ではなく、一市民として保存運動に関わる

「保存を考える会」には多くの有識者が集まりました。東田さんも立ち上げのメンバーの一人でしたが、建築の専門家ではありません。

東田さんが保存運動に参加したきっかけは、インテリアコーディネートを教えていたカルチャーセンターでのこと。百貨店勤めの経験を活かして働きつつも、自分の経験や力を今とは違う形で社会に貢献していきたいという気持ちもあり、進路について悩んでいた時期でした。そんな中、受講生の一人から保存の話を聞き、「悪魔が囁いた」と講師の職を辞め、運動の参加を決意しました。

しかし、初めて参加した保存を考える会の設立に向けた準備会で思わぬ出来事に遭遇します。会議の進行する人間がいなかったため、具体的な話がなかなか決まらない状況にありました。そこで東田さんは思い切って口火を切り、百貨店時代に学んだ組織運営のイロハを実践し、具体的な運動の指針を提示しました。その結果、東田さんは運営委員や事務局から支持を受けるようになり、以後、中心人物として活動に奔走することとなります。

(東田さんは小樽市出身。幼少期は歴史ある運河や石蔵に囲まれた中に育ったため、歴史的建造物に強い興味・関心を持っていた)
過去の歴史と、市民の下支えによって保存を実現

1年以上に渡る精力的な活動が功を奏し、1997年9月に北海道銀行は保存を決定し、株式会社札幌交通開発公社(現在:株式会社札幌振興公社)が所有することになります。そして1998年9月に現在の場所、中央区伏見へ移設されました。

東田さんは成功の秘訣を「過去の保存運動や歴史から学んだ」と語ります。旧小熊邸の運動以前も、北海道では多くの歴史的建造物の保存運動がありました。しかし、市民権を得られない場合も多く、簡単に取り壊されたり、保存が成されたしてもその後の活用に市民が関与できない例もありました。東田さんは、それらを踏まえて、当初から次の四つを、保存へ向けた命題として掲げました。

1 保存活動は一部の専門家だけの活動ではなく、市民も含めた活動にすること

2 所有者と保存を求める側の間で、対立の構造にならないようにすること

3 文化や歴史は市民にとって大事だと語る機会を活動の中で実践すること

4 保存が決まった後も、活用に対して発言できる立場にあること

実際の活動でも、署名活動やアンケート、絵葉書販売など市民の力が大きな原動力となったそうです。また東田さんは、旧小熊邸の活用に関与していくために、歴史的建造物好きの市民が結成した札幌建築鑑賞会と保存を考える会の協働で、協力提案書を札幌交通開発公社へ提出したほか、保存が決まった翌月の10月に任意団体である旧小熊邸倶楽部を設立しました(1999年、NPO法人化)。

(札幌建築鑑賞会が制作した絵葉書。写真は小熊が実際に住んでいた時期のもの)〈旧小熊邸所蔵〉
建築の専門家とも対話

東田さんは、旧小熊邸を札幌の歴史・文化として残し、親しまれていくためにどうすればいいのかを、建築の専門家とも顔を突き合わせ、じっくりと考えを共有してきました。保存を考える会会長の北大の越野武さん(当時:工学部建築工学科教授、現在:北海道大学名誉教授)の研究室には毎日のように通ったといいます。

中でも、そこで出会った副会長の角幸博さん(当時:工学部助教、現在:北海道大学名誉教授)とは、その後も協働は続き、角さんが教授職を退いた後は、NPO法人歴史的地域資産研究機構(れきけん)を共に立ち上げ、現在も一緒に活動しています。

(1998年9月の移築記念祭の様子。前列中央右の女性が東田さん、一番右の男性が角さん)〈旧小熊邸所蔵〉
歴史的建造物の「光」と「影」に向き合う

歴史的建造物にはどのような価値が求められていくのか、東田さんに尋ねると、「正の側面も負の側面も、歴史・文化としてきちんと向き合うことではないか」と答えました。

2018年に北海道命名150年を迎えた北海道には、特徴的な建造物が多数存在しています。絢爛豪華なものはごく一部。全道各地にある監獄や集治監、炭鉱施設など、歴史の影にあったものがほとんどです。旧小熊邸も負の側面を持っています。1930年、小熊は日本軍に依頼し捕らえられた中国東北部の抗日武装活動家の精巣を入手。その細胞の染色体を観察し論文を発表したという過去があります。

歴史的建造物とそこに関わる人物が持つ負の側面をどう捉えればよいか、20年以上1000件を超える歴史的建造物に向き合ってきた東田さんでも、歴史の影を的確に捉え表現することは難しいと言います。新たな歴史的建造物に対する価値基準を生み出すため、東田さんは今、深く考えている最中にあります。

(東田さんは、歴史的建造物の保存・活用の以外にも、北海道立市民活動促進センターの相談員としてNPOの立ち上げ支援も行っている)

 

こちらの記事もご覧ください

  • 【ようこそ先輩】#14 角 幸博さん(北海道大学名誉教授・NPO法人歴史的地域資産研究機構(れきけん)代表)(2014年03月14日)
  • 【過山博士の本棚から】#5 遺伝学者の光と影(2018年07月12日)

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2019.05.13

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