2019年3月、札幌駅地下に新しく誕生した、アイヌ文化を発信する空間「minapa」。その南端に、大きなシマフクロウ(コタンコロカムイ=村の守り神)が設置されています。この木製の像は、二風谷のアイヌ工芸家の手によって作られました。二風谷は、「二風谷イタ(盆)」と「二風谷アットウシ(樹皮の反物)」が北海道で初めて伝統的工芸品に指定されるなど工芸が盛んな地域。多くの工芸家が自由な発想で、独創的なアイヌ工芸品を生み出しています。そして北大には、彼らと連携し、学術の力で工芸の発展を支えている研究者がいます。
【小池優・CoSTEP本科生/農学院修士2年】
アイヌの精神を込めて彫る匠
二風谷(第1・2回参照)の多くのアイヌ工芸職人が集う「二風谷アイヌ匠の道」の中心に位置する「北の工房つとむ」。ここには、木の香りに包まれながら作品を彫り続ける工芸家、貝澤徹さんがいます。冒頭のコタンコロカムイは、貝澤さんによる作品。明治時代に名工と呼ばれた曽祖父 貝澤ウトレントクの血を受け継いだ生粋のアイヌ彫刻家です。2018年にはイギリス・ロンドンの大英博物館で初めてのアイヌ工芸品の常設展示に作品を出品するなど、国境を越えて活躍をしています。
見ていただきたい代表作品があります。「アイデンティティ(2011年製作)」です。この作品は、木材を素材としながらに布のような柔らかさが足された樹布という独特の表現方法で作られています。木からできているとは思えない見事な写実彫刻作品です。
ファスナーの隙間から見える中身はアイヌ文様であり、アイヌとしての精神を表現しています。日常生活の中では和人と同じく洋服を着て暮らしていますが、置かれる状況に応じて、自らのアイヌとしての部分を「ファスナーを上げ下げするように」出したり隠したりしている、現代におけるアイヌのアイデンティティを表現しています。「3つの選択肢を会うたびに仲間の人たちに問いかけている作品」だと貝澤さんは語ります。ちなみに、冒頭のコタンコロカムイの台座にも同じモチーフが用いられています。細部に違いがありますので、ぜひ実物を見てご確認ください。
二風谷への誇り、地域も業界も超えて
北の工房つとむから沙流川に向かっ伝統的なチセ(家屋)が並ぶ道を歩き進むと、二風谷工芸館があります。ここには持ち前の行動力でアイヌ文化を全国に発信する工芸家、関根真紀さんがいます。
関根さんは、より多くの人にアイヌ文化の魅力を知ってもらうために様々な形の作品を手掛けています。その作品は、伝統的な文様と技法を基にした、名刺入れや自動販売機、芸能人とコラボレーションした洋服ブランドなど多岐にわたります。「気軽に手に取って、みんなで気軽にアイヌ文様を身に着けてもらえるように。触れてもらえるように。っていうこだわりで色々作っていますね。」と関根さんは語ります。
行動力が強い関根さんは、自ら直接、コラボレーションしたい相手にアプローチするため、業界を超えて親しい人が多くいます。関根さんが手掛けたアイヌ紋様とコラボした作品や商品が全国、そして世界へどんどん広がっています。しかし、それができるのも二風谷への誇りがあるからこそ。「新しいことに挑戦しても、いつでもここに帰ってこれる。アイヌ工芸の大事なものの全てがあるのよ。」という関根さんの言葉から、二風谷との揺るぎない絆を感じることができました。
アイヌ文化を研究の力で支える
北海道大学には、二風谷伝統の技を研究の力で支えている研究者がいます。その一人である山崎幸治さん(北海道大学アイヌ・先住民研究センター准教授)にお話を伺いました。山崎さんは二風谷の工芸家と深い関わりがあります。学生時代には、二風谷など沙流川流域を自転車でフィールド調査をしたそうです。その際は、関根さんの実家が運営していたライダーハウスをよく利用していたとのこと。また国内外の博物館に所蔵されている沙流川流域で作られたと推測される工芸品を、地元の工芸家とともに共同で調査をおこないながら研究を進めてきました。
山崎さんは、国内外のアイヌ工芸品について調査やデータの整理を行っています。また、アイヌ文化の展示にも積極的に関わっています。地元から離れ海外等で保管されているアイヌ工芸品には、地元の工芸家に存在すら認知されていないものが多く存在しています。そういった工芸品と地元の人をつなぎたいという想いが山崎さんの活動の原点にあります。
実際に、工芸家へ「こういう作品もありましたよ。」と言って山崎さんが博物館に所蔵されている古い工芸品の写真や作品情報を見せると、工芸家からは「そんな作品あるの知らなかった。」「ああ、こんなに(作風は)自由で良いんだ。」といった関心の声があがるそうです。博物館に所蔵されている先人が生み出したアイヌの品々は、現代の工芸家に新たなインスピレーションを与え、作品の幅を広げるきっかけになるのです。
アイヌの工芸活動に研究者が入ることによって、作品や活動の幅が広がり始めています。アイヌ外からのアイヌ文化への意見を取り入れることができ、アイヌ文化にも精通する研究者はアイヌ内外を行ったり来たりできる存在です。そんな特殊な立場だからこそ、アイヌと和人をつなぐのに一役買うことができるのでしょう。次の第5回では海外から日本に来て、アイヌの「言葉」を守り、伝えるために奮闘する研究者を紹介します。