出生後、病気を起こす恐れがある卵子から核を取り出し、健康な女性由来の卵子に移植する技術「ミトコンドリア置換」。現在イギリスにおいて、この技術を解禁する法改正が提案されており、大きな議論となっています。
石井哲也さん(安全衛生本部・准教授)は、この問題を生命倫理の観点から検討した論文を発表しました。「ミトコンドリア置換の解禁」には、どのような問題があるのでしょうか。そして人の生殖に関わる科学について考える、生命倫理の「見方」とは? 石井さんに聞きました。
【神田あかり・CoSTEP本科生/理学院修士1年】
ミトコンドリア置換とは、どのような技術なのですか
病気を起こす可能性があるミトコンドリアを、子どもに伝えないようにする技術です。ミトコンドリアは、細胞が活動するためのエネルギーをつくる、生命活動に不可欠な細胞内器官です。ミトコンドリアの異常によっておこる病気(ミトコンドリア病)は、母から子へ、卵子にあるミトコンドリアを通じて遺伝します。そこで、母親の卵子の核だけを、健康なミトコンドリアを持つ他人の卵子に移植して、子どもを産む技術が考え出されました。これが「ミトコンドリア置換」です。
(上段:健康な他人の卵子(右)を用意し、その核を抜いておきます。下段:母親の卵子(左)の核をそれに移植し、核の入った卵子を母親の子宮に戻します。)
なぜ、ミトコンドリア置換という技術に注目したのですか
ミトコンドリア置換は、「自然界では起こりえない変化を卵子に起こす」という点で、これまでの生殖補助医療とは違います。これまでの手法は、自然界で生じる変化を補助するもので、まったく異なる変化を起こすものではありませんでした。「生殖にかかわる細胞について、いかなる遺伝子改変もしてはならない」という国際的な取り決めがありますが、ミトコンドリア置換はこれを逸脱してしまうのです。遺伝学的には母親、父親、卵子提供者の3人を親にもつ子が、生まれることになるからです。
今回イギリスで議論されている法改正は、「ミトコンドリア病の予防のため」といいう名目でおこなわれようとしています。もちろん、ミトコンドリア病と分かっている女性の「健康なわが子がほしい」という思いは正当なものです。この病気の発症率の低さ(5千人~1万人に1人)を理由に、「少数派だから我慢しろ」、「養子をとればいい」という議論も倫理的に誤っているでしょう。
しかし、法改正をする前にもっと議論するべき要素もあります。たとえば他の遺伝病ではなく、ミトコンドリア病を救うためだけに法改正をすることは、どう正当化されるのでしょうか。これにはまだ、はっきりと答えが出ていません。
また、病気を抱えたミトコンドリアを排除しただけで、ミトコンドリア病が完全に解決するかのような語られ方も気になります。実際には、核の中の遺伝子が原因でミトコンドリア病を発症する場合もあるのです。ミトコンドリア病を救うため、という名目で法改正するのなら、初めはミトコンドリア置換だけでも、いずれ核の中のDNA改変まで、解禁することになるかもしれません。また、生殖補助医療をリードするイギリスでの解禁は、他国での解禁を誘い、これまでの議論では予想していないような、誤った医療が生じる恐れもあります。
石井さんが生命倫理の研究に進まれたきっかけは?
京都大学で働いていた時、パーキンソン病の治療のために、「胎児由来の組織を移植する」という方法を聞く機会がありました。そのセミナーは技術について説明するものだったのですが、その「胎児由来の組織」がどこから来るのか、とても気になってしまいました。
よく調べてみたところ、その組織は中絶によって取り出された胎児に由来していました。事前に中絶を決めた人の同意をとって得た胎児組織ですが、あとで本人の考えが変わることもある。中絶は当事者にとって、とても繊細な問題です。本当に適切に同意が得られたと言えるか、疑問を感じました。
こういった情報は、生殖医療ビジネスや研究の発表ではほとんど表に出てきません。参考論文などをたどってたどって、ようやく見つけることができる。明かされている情報のバランスが悪いと感じます。
ミトコンドリア置換の例もそうですが、「この病気を治すため」などと語られるストーリーはとても“美しく”見えます。でも、本当にそれでいいのか、欠けている情報があるのではないか、と倫理的に注意する必要があります。もちろん、すべての情報をオープンにすべき、というわけではありませんが、肝心な部分が語られないことが多いのではないでしょうか。
情報を分かりやすく開示するしくみがあるとよいのですが
情報をオープンにする際、単純に分かりやすいだけでは問題があります。イギリスでは、行政の機関がミトコンドリア置換の実用化についての話し合いを各地でもち、市民に対して積極的にコミュニケーションをとりました。しかし、そこで提供される情報はミトコンドリア置換の有用性に傾いていて、世論がおおむね賛成に向かうことになりました。
現在の日本の社会には、生殖医療や科学と生命の係わりについて語ることをタブー視する風潮があるように思います。オープンに話し合われず、詳しい情報を要求しないことが、肝心な部分を語らないことに拍車をかけています。
昨年私も参加して12月におこなったサイエンスカフェでは、科学と生命を語る場としての可能性を感じました。まだまだ模索が続いていますが、生殖医療について、もっと多くの人が語れるような場づくりを考えていきたいですね。
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石井さんの出演するサイエンスカフェが開催されます。
昨年12月に開催された「生命に介入する科学」の第二弾。前回参加された方もはじめての方も、生まれる命をめぐる科学について、一緒に考えてみませんか。
生命に介入する科学 II 〜受精の前から始まる次世代コントロール〜
日 時:2014年10月19日(日)16:00~17:30
場 所:紀伊國屋書店札幌本店1階インナーガーデン
ゲスト:児玉真美さん(メディカルライター)&石井哲也さん(北大安全衛生本部特任准教授)
聞き手:大津珠子(北大CoSTEP特任准教授)
参加費:無料、当日会場にお越しください
詳 細:イベントHPをご覧ください
サイエンス・カフェ札幌「生命に介入する科学」第一弾の報告はこちら。
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石井さんは過去のいいね!Hokudai記事にも登場しています。
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今回取り上げた論文
Reproductive BioMedicine Online, 29 (2), pp150–155, August 2014