いいね!Hokudai「匠のわざ」の「ほくだい技術者図鑑」シリーズは、北海道大学で働く技術職員にフォーカスをあてた、CoSTEPと技術支援本部の連携企画です。広報を担当する技術職員がインタビュアーとなり、キャンパスのさまざまな場所で業務を遂行する技術職員への取材を通して、北大の隠れた「技術(technē:テクネー*)」を探求します。
「ほくだい技術者図鑑」は、技術支援本部が運用するWebコンテンツです。学内に蓄積された教育・研究支援技術情報を可視化し、技術を求める人や技術を活かしたい人、そして未来の技術職員へ情報発信しています。
*「テクネー」とは、「テクニック(技巧)」や「テクノロジー(技術)」の語源となった古代ギリシア語で、「技術知」とも和訳されています。ここでは、大学という場で、教育・研究における知識生産の一端を担う技術職員の「技術知」として位置づけています。
シリーズ第1回目は、理学研究院の技術専門員、熊木康裕さんにインタビューしました。熊木さんは、理学研究院の学内共同利用施設である高分解能核磁気共鳴装置研究室で、核磁気共鳴装置(Nuclear Magnetic Resonance: NMR)の運用に携わっています。北大で働く技術職員は、チームを組んで業務を行う場所もありますが、熊木さんは、施設の管理、装置のメンテナンス、依頼測定、分析データの処理など、施設に関わる数々の業務を技術職員として1人でこなしています。
「研究者が面倒くさくてやりたくないようなことを、できるだけ肩代わりする」のが技術職員の仕事であると、飄々と話す熊木さんの「技術(technē:テクネー)」を探るべく、お話を伺いました。
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NMRは、あらゆる物質の中にある分子構造を調べるための技術で、有機化合物やタンパク質、核酸といった生体分子など、分析対象となる物体を物理的に破壊することなく、原子レベルでの構造を特定できることに特徴があります。強力な磁場を発生させた装置の中に分析試料を置くと、物質の中の原子核が、その特性に基づく電磁場から影響を受けます。その原子核と電磁場の相互作用を測定することで、分子構造について詳細な情報を得ることができます。
測定は装置が勝手にやってくれる
熊木さんの運用する施設のWebサイトを見ると、12時間以上の「長時間測定」も行われていることが分かります。やはり測定がメインの業務なのか、熊木さんの業務のルーティンを伺うと、意外にも、多くの時間をデータ処理や解析に費やしているとのこと。
「NMRの場合、測定というのはある意味、それが長時間でも、機械が勝手にやっているだけ」なのだそうです。データ処理や分析の難しさを、熊木さんは次のように語ります。
「NMRのデータ処理は、他の測定法に比べると複雑ですね。未処理のデータというのは、利用者さんにそのまま渡してもほぼ何の役にも立たないというか、よく分からないものです。なので、それにデジタル信号処理の世界で使うような、数学的な処理を、何段階かに分けて行って初めて、人間が読んで意味があるようなものが得られるんですよ。そこはとくに分析法に慣れてない方は非常に負担というか、敷居が高いところだろうと思います」
データ処理の例として見せてくださったデータは、キシロース、キシロビオース、キシロトリオースという化学構造が似た物質の混合試料を測定したものです。三つの物質は化学構造が似ていて、未処理の分析データからは、どの信号が混合試料のなかのどの物質の特徴なのかを判別することができません。しかしここで適切なデータ処理を行うことによって、キシロース、キシロビオース、キシロトリオースのそれぞれに由来する信号を解析できるようになるとのこと。熊木さんは、このDOSY処理における問題点について、全国の技術職員が集まる研究会(総合技術研究会 2021)で研究報告されています。
NMRのデータについて説明する熊木さん
利用者と装置開発者の仲介者
データ処理のほかに、多くの時間を費やしているのは、膨大な量のマニュアルの読み込みだそうです。装置によっては百科事典のような厚さのマニュアルから、施設の利用者に関わる重要度の高いところや、経験的に「こういう使い方が多いな」と思われる測定方法をピックアップして、オリジナルの「盛り込みすぎない」マニュアルを作成されています。
「日本のメーカーの装置だとマニュアルは日本語なんですけど、海外のメーカーの装置は英語ですね。普通の利用者さんはそんなの読みたくないので(笑)、そういう利用者さんがやりたくないようなことを肩代わりするというのは、分析系の技術職員の仕事かなと思うんですよね」と語ってくれた熊木さん。
利用者が「面倒くさくてやりたくないようなこと」のもう一つは、装置メーカーとのコミュニケーションだそうです。分析が上手くいかないときに、装置に起因する問題が疑われることがあるそうです。そうしたときに、いかにスピーディーに解決に直結する回答を得るか、そのためにメーカーが遠隔地で判断可能な材料をいかに揃えるか、技術職員としての手腕が問われるとのこと。
「メーカーが、サンプルが原因なのではないかと言えるような逃げ道を作らない。そのために『これもやりました、あれもやりました。そういったことで、やっぱりどう考えても装置に原因がありますよ。しかも、おそらくこういう理由じゃないですか?』と提示する」というのが、熊木さん流の問い合わせ術。技術職員は「利用者とメーカーの仲介者」だと考えているそうです。
技術は時代とともに変わるもの
熊木さんが最初に核磁気共鳴という技術の存在を知ったのは、高校生の頃。お母様が脳出血で倒れた際にMRI(Magnetic Resonance Imaging:核磁気共鳴画像)検査をされたときだったと熊木さんは振り返ります。当時「磁石で見るっていうのはどういうことかな」と興味を持ったものの、大学でNMRの研究室に配属したのは「じゃんけんで2回くらい負けた」からだそう。
NMRとの出会いは成り行きだったと笑って話す熊木さんですが、「器用ではないので」NMRを集中して極めることに決めて、30年以上、立場を変えながらNMRに関わってきたとのこと。培ってきた技術の継承についての考えを伺いました。
「年齢重ねていい歳だから、若い人たちに頑張って伝えていきたいというのがあるんですけど、技術というのは当然、時代で変わってくるので、あんまり細かい技術というのを伝えても、ぼくはしょうがないのかな、というふうに思います。むしろ、どんな時代が変わっても通用する考え方とかそういったものの方に興味がシフトしてきているというふうに思いますね」
こう語る熊木さんは、技術職員が所属する全学的な組織である技術支援本部で、「スタッフディベロップメント実施専門部会(通称、SD部会)」に所属し、技術職員の分野横断的な能力や資質向上の機会についても実践的に検討されてきました。
覚えているのは失敗の話ばかり…
印象に残っている仕事を伺うと、「うまくいったことって、まあ、ほとんど覚えていないですね。うまくいったことがなかったのかもしれないし、記憶にないのかもしれないけども、やらかしたことのほうが本当に多いですね」と笑いながら、NMRで使用した後のヘリウムガスを回収する極低温液化センターの技術職員に「迷惑をかけてしまった」失敗談を聞かせてくれました。
このような経験から、技術職員にとって重要なスキルの一つは、細かな観察力であると熊木さんは言います。とくに、何か少しおかしいなと感じたときに「まあ、いいか」で済ませずに、立ち止まって考えることのできる「異常検知力」を大切にされてきたとのこと。
NMRから得られるスペクトルのわずかな変化を見逃さずに、そこから分析の精度を上げるための手がかりを得るといった「気づき」の大切さは、農学研究院でNMRの分析を担当する技術職員の福士江里さん(技術専門員)との交流によって気付かされたと熊木さんは話します。
言語化できないほんの僅かな変化を体感することは、今回取材に伺った技術職員も皆それぞれに経験があり、他人事とは思えないお話でした。すべてがうまくいっているときは、むしろその存在が目立たない……技術職員とはそういう存在なのかもしれません。
熊木さんにとって「技術(technē:テクネー)」とは?
――では、最後に、熊木さんにとって「技術」とはなんですか?
「答えにはなってないと思うんですけど、ぼくは技術職員ではあるけども、あんまり技術にこだわりすぎてもいかんな、ということは思っていてですね」
「だから、あんまり、技術、技術、と推さないで、技術的なものもそうだし、要は、支援して何かお役に立てればいいわけじゃないですか。それが一応、技術職員がいて助かる、ということになるので、それは、必ずしも技術的な面とは限らないかなと思いますね。だから、あんまり技術にこだわらないで、自分がどうやったら貢献できるかっていうことを考える」
「技術って言っても、いろいろな技術があると思うんですけど、今後も生きる技術もあれば時代とともになくなる技術も。AIの発展でこういう仕事がなくなるとか、そういう話があるじゃないですか。技術職員が管理や分析の支援をしなくても使える分析装置が、これからもどんどん出来てくると思います。そうしたときに、今まで自分で技術だと思っていたものが、果たして必要とされるのか?というのは簡単にわからない」
「だからむしろ、新しい自分の貢献の仕方を、時代が変わるとともに模索していく。そういう能力の方が必要なのかな、と思います」
装置の操作よりも、データの加工やマニュアル作りの考え方、そして装置を「当たり前に」稼働させるための日々の気づきを大切にしているということを、熊木さんは、取材の中で何度も話されていました。個別の技術よりも、技術を生かすための職業的な規範を受け継いでいきたいという想いを、取材者一同もしっかりと受け止めたいと感じました。
【解説!技術職員業界用語】
スタッフディベロップメント実施専門部会(SD部会)
北大の技術職員のほとんどが、理学研究院や農学研究院などの部局等に所属し、全学の技術職員組織である技術支援本部を兼務先としています(令和6年度現在)。技術支援本部は、北大の教育研究支援体制強化並びに技術職員のスキルアップやキャリア形成を目的とした組織で、技術職員の人材育成にも取り組んでいます。技術職員として必要な知識や技能を習得するための研修を企画、立案、実施するのが、SD部会です。これまでに、新任・中堅技術職員研修、学外研修等参加支援、自己研鑽支援、他機関との技術交流、技術研究会などの活動を進めてきました。