明治時代初めに北海道に開拓使が置かれて本格的に開発されてから150年近くになります。それ以前の人々の生活や社会はどうだったのでしょうか。
北海道大学文学研究科准教授の谷本晃久さんは、江戸時代の北海道について歴史学の見地からアプローチしています。北海道大学留学生センターが開講する「一般日本語コース」の上級総合科目「北海道大学を、もっと知ろう」(2014年度後期)の授業の一環で、中国からの留学生の李曼葛(リ マンカツ)さんが、北海道の歴史研究について日本語でお話を聞きました。
北海道の歴史について、どこに注目して研究していますか?
かつての北海道は実は中国やロシアとも深いつながりがありました。日本人(和人)はアイヌの人々と交易し、彼らを介して中国、ロシアと文物のやり取りが3~400年前からあったのです。複数の文化が北海道にもたらされ、折り合いをつけていたと言えるでしょう。
世界各地で民族紛争がありますが、それをどう解決するか大きな問題になっています。考え方や言葉、文化に違いをもつ人々が、どう折り合いをつけながら付き合ってきたか、北海道の歴史を通して考えていこうとしています。
(インタビューをする李さん)
江戸時代、アイヌの人たちにはどういう交流があったのですか?
函館の近くに松前という町があり、松前城があります。かつて松前藩があって大名がいました。大名は毎年1回、参勤交代をし、江戸の将軍に献上品を届けました。
当時の北海道の大部分は「蝦夷地」と呼ばれ、アイヌの人たちが広く住み、鮭などの魚介類を獲ったり、毛皮や鳥の羽根を獲ったりして、それを和人に売っていました。そして松前藩が将軍にお土産として持って行ったのです。
当時のアイヌの主な生活基盤は、漁業、狩猟、交易の3つ。北海道のアイヌは日本の松前藩と、サハリンのアイヌはそれに加え沿海州経由で中国とも交易していました。そして千島列島のアイヌはカムチャツカ半島から南下してきたロシアとも交易していました。
谷本さんの研究の手法は?
日本の歴史について昔書かれた文書(古文書)を分析し、それをもとに考察しています。古文書の実物を見てみましょうか。
これは300年以上前の貞享3年(1686年)の手書きの史料です。札幌市に住んでいる方からお譲り頂いたものです。
「知行」と和紙に墨で書かれていますね。この土地から税金を取っていいですよ、という殿様からの許可状です。地名、コメの生産高、日付、殿様の印鑑、そして宛先に家来の名前などが書かれています。
仙台近辺に白石という城下町があります。札幌の白石区の由来となった場所ですね。そこの殿様の家来が持っていて、その子孫が北海道に移住したときに、一緒に持ってきたのです。どうして大切に北海道まで持ってきたのでしょう? 白石の武士たちは幕末の戊辰戦争に負けて、北海道に移住したのですが、「今度いくさに勝ったら戻って、また使えるかもしれない」と思っていたと推測できます。古文書は動くのです。
もうひとつの古文書は、幕末の嘉永3年(1850年)の出版物。歴代の将軍の家系図が載っています。続いて、全国各地の大名の名前と家系、役人、参勤交代で献上する物などが書かれています。松前藩も載っています。献上物である鮭、昆布、数の子、シイタケなどは、本州へ出荷していたことがわかります。
文献調査から解き明かされる歴史の広がり
当時、アワビ、昆布、ナマコなどは、北海道から長崎を経由して中国へ輸出され、売ったお金で中国の文物が買われていました。また、鹿児島、沖縄経由の交易ルートもありました。こうした国内外の交易や将軍への献上品について、将軍からの許可が得ていたことが古文書から読み解くことができるのです。
また、着物を留める玉などのなかには、サハリンのアイヌが沿海州経由で中国と交易して手に入れたものも含まれます。高級な武具として珍重されるラッコの皮はウルップ島が主産地で、千島列島に住むアイヌを介して、和人が手に入れていました。こういう古文書を分析することにより、北海道の歴史を読み解くことができるのです。
(日本、中国、ロシアの交易関係について地図を示して解説する谷本さん)
研究していて、うれしかったことは?
古文書の中に「これは面白い」という箇所を見つけたときです。例えば、アイヌの人たちはかつて「奴隷のように使われていた」と思われていましたが、史料を読み解いてみると、船などの財産をもっていた人も多くいたことがわかりました。
逆に、苦労した点は?
古文書の文字を解読することですね。破れていたりすることもあります。また、フィールドワークのため外国の研究機関とやり取りし協力体制を構築するときに大変な面もあります。今度、ロシアのサンクトペテルブルクに調査に行くのですが……。
どんな調査ですか?
200年ほど前、帝政ロシアからレザノフが日本に来航したときに、幕府によって追い返されました。彼らはその後サハリンに立ち寄り、その土地の文物などを持ち去っていきました。また明治以降、ロシアの学者が来日し、東京や札幌などで古文書を買っていきました。今それらのコレクションが、サンクトペテルブルクの東洋古籍文献研究所に収蔵されています。その中に、経営帳簿など貴重な古文書があって、当時のアイヌの人びとが和人とどう取引をしていたか細かくわかるのです。これまで研究の素材になっていなかった「宝の山」と言えるでしょう。その研究所と東大や北大が協定を結び、少しずつ研究を進めようとしているのです。
(日中間の共通言語である漢字を使って丁寧に解説してくれました)
北海道にも貴重な文献が残っていますか?
札幌、函館などが知られていますが、それ以外に北海道各地にあります。最近2か所の個人のお宅を訪問したことが印象深いです。かつて松前に住んでいて、明治以降に利尻島に移住した方の子孫のお宅に、松前の経営帳簿が残っていたのです。利尻で松前のことを新たに発見したことには驚きました。もうひとつは道東の斜里のお宅。江戸時代末期からそこに定住されているのですが、当時からの経営文書が残っていました。非常に嬉しかったですね。
江戸時代のアイヌの人びとは無文字社会のなかでその文化を紡いできたため、古文書が伝わることは大変まれなことです。しかし、民間に残っている和人の旧家の古文書から、近世の北海道に住む人たちの生活や社会の一端について知る手がかりを得ることはできます。これからも未発見の文献が出てくると思います。そこから新しい歴史像が生まれるのではないかと、とても期待しています。
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この記事は、北海道大学留学生センターが開講する「一般日本語コース」の上級総合科目「北海道大学を、もっと知ろう」(2014年度後期)の成果の一部です。
【取材:李曼葛(リ マンカツ)さん(北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院・研究生)+CoSTEP】