6人組の男性アカペラボーカルグループとして人気のRAG FAIR(ラグフェア)。2011年3月から活動を休止していましたが、2012年12月に再集結し活動を再開したそうです。奥村さんのパートはボイスパーカッション。出身は大阪で、阪神・淡路大震災を経験しました。その経験から、災害ボランティア活動に関心をもち、東日本大震災の被災地でも、継続的にボランティア活動を行っています。
全国を飛び回って、芸能活動〜ボランティア活動を続ける奥村さん。職業は?と聞かれたら何と答えるのですか?
実は僕自身も一言で答えることができずに困っています(笑)。“RAG FAIR”のメンバーとして活動を続けていますし、最近、ピアニストの松永貴志さんとユニット“So Cool”を結成し全国ツアーも始めました。その他にも被災地支援やIT誌のコラム執筆、また気象予報士、防災士、保育士として現役で活動しています。
アリトテレスやライプニッツ、絵画、建築、解剖学、発明…と様々な分野に関心をもち、万能人と呼ばれたレオナルド・ダ・ヴィンチに思いを馳せると、学問も芸術もどこかで繋がっているのだと思います。だからそんなに特別な働き方だとは思ってはないんですよね(笑)。
どうのようなボランティアをしているのですか?
東日本大震災が発生し、すぐに現地入りしました。はじめの1年間はとにかくマンパワーが必要とされていたので、ありとあらゆるリソースを使って何でもやりました。そして2年目くらいから、自分にしかできないことを考えはじめました。支援のあり方が変化するフェーズだったのでしょうね。それで芸能活動を中心に、首都圏と被災地を繋げる活動やニーズの調査、まちづくりの提案などをしています。いろいろやっていますが、やっぱり僕の柱となる活動はエンターテインメントです。先日は石巻で、人前に出ることを経験してもらうワークショップをしました。改めて、芸能にチカラを感じましたし、現地の子供たちの笑顔に(逆に)勇気づけられました。
北大で学ぼうとしたきっかけは?
気象予報士として防災士として、専門的な内容を伝えるスキルをさらに磨きたいと思ったからです。あまり意識的ではありませんでしたが、これまでも僕なりのコミュニケーション実践をしてきたつもりです。しかし我流でしかないかも…という不安がありました。それで昨年5月から北大CoSTEPを受講。体系的に “科学技術コミュニケーション”を学びはじめ、新しい考え方も習得しながら、これまでの活動を振り返り整理しています。これが次のチャレンジにつながる大きな成果です。
北大の印象は?
広大な自然環境と大学の共生は素晴らしいですね。僕は筑波大学出身なので、一つのまちのように広いキャンパスには懐かしさも感じました。この一年で何度か札幌キャンパスを訪れ、新しいネットワークが生まれました。被災地でも北大OBたちと出会い、話が膨らむことがあります。北大というキーワードが僕のチャンネルに加わったことに感謝しています。でも一つだけ心残りがあります。それはジンパ(ジンギスカンパーティー)を経験できなかったこと。次回の札幌訪問で必ず体験したいと思っています。
追記:このインタビューは“So Cool”のライブイベントのために札幌を訪れていた奥村さんにお会いして実現。その日の夕方の便で札幌を発つ予定でしたが、暴風雪のため飛行機の欠航が心配されていました。翌日は朝から保育士としての仕事が待っていた奥村さん。無事現場に入られるか気になって仕方ない様子で、携帯電話で何度も保育所と連絡をとりながら、万が一に備えて保育業務の打ち合わせしていました。
後日談:飛行機は無事離陸し、真夜中に帰宅。 そして朝一番で保育所に向かったそうです。疲れを知らない奥村さん。やさしい笑顔を振りまきながら子供たちと思いっきり遊んでいる様子が目に浮かびました。奥村さん、何度でも札幌へ、そして北大に帰ってきてください。これからのご活躍を楽しみにしています!