定池祐季さん(北大地震火山研究観測センター助教)は1993年、中学生の時に奥尻島で北海道南西沖地震を経験。その後、災害復興への関心を持ち続け、大学で災害社会学・防災教育を研究しています。定池さんからのメッセージを紹介します。
地域防災の情報提供を見直す
2011年4月、北大地震火山研究観測センターに着任しました。その日から、鳴り止まない電話への対応が始まりました。このセンターのメイン業務は、地域防災の情報提供のために大学の研究成果をわかりやすく発信(アウトリーチ)することでした。しかし、3.11以降の対応を通して、市民の知りたい情報にどれだけ応えられるかが肝心だと肌で感じています。
地震や活断層についての質問にこたえながら、なぜか話がかみ合わないという経験もしました。根気強く話を聞いているうちに「地震のあと、夜も眠れない、怖い、どうしたらいいかわからない」といった悲鳴のような感情に行き着くこともあります。市民のニーズをくみ取ったうえでの情報発信が求められているのでしょう。
被災地と向き合う
1ヶ月の半分は道内外へ出向いています。私は中学の時に奥尻島で北海道南西沖地震を経験しました。そして、自分の経験を災害時に生かしたいと願ってきたにも関わらず、東北が被災する前に何も役立てることができなかった。悔しかった。研究以外の依頼出張は、道内であれば自治体の職員研修、住民向け防災普及啓発、東北の被災地では奥尻島の復興プロセスに関する情報提供(行政、支援団体、住民団体、学校など)が多く、その中で、奥尻島の子どもの話をすることがあります。
今年は北海道南西沖地震から20周年。復興への軌跡を記録としてまとめるつもりです。そして20年の経験知を東北の被災地に届けたい。奥尻と東北を繋いで、津波からの復興の橋渡しをしたいと考えています。それがめぐり巡って奥尻の人々の生きた証となるはずですから。
もう2年。されど、まだ2年間
災害復興には、3年目ならではの難しさがあると言われています。復興はゴールの見えないレースのようなもので、疲れがでてきて、無力感や後戻り感に襲われるようになります。心のケアが、これまで以上に重要です。格差の広がり、という問題もあります。復興が順調に進む地域と、そうでない地域との格差です。東松島の野蒜地区を訪れたのですが、瓦礫がすっかり撤去された地域のすぐ隣りに、ランドセルやスリッパが無残な状態で残されている地域がありました。「被災者」と一括りにせず、一人ひとりの人格を尊重する、一人ひとりのスキルや能力を生かせる環境を作ることも大切です。
遠く離れた北海道からできることは?
関心を持ち続けることです。将来、被災者に出会うこともあるでしょう。そのとき、労りの言葉を自然にかけてあげられるでしょうか。遠く離れた土地から関心を持って見守りつづける、そこに生まれる優しさこそが、東北のみなさんの生きる支えになるのです。
****定池さんからシンポジウムのお知らせです。
地震火山研究観測センター2012年度シンポジウム「世界に出て 北海道を知る~地震火山研究観測センターの海外調査研究~」入場無料・申し込み不要です。どなたでもご自由に参加いただけます。
日時:3月20日(水・祝日)13時30分~16時00分(開場:13時00分)
会場:北海道大学 学術交流会館小講堂(札幌市北区北8条西5丁目北大正門前)
http://www.sci.hokudai.ac.jp/isv/center/seminer/symposium/2012-3/post-92.html