DNA配列の特定の箇所を狙って変異を誘発する「ゲノム編集」は、生物学の基礎分野はもちろん、医療や農業・畜産業・水産業分野でも研究が進められています。そのなかのひとつが、ゲノム編集による農作物の品種改良です。
農学研究院 講師の山田哲也さんは、アレルギーの原因となるアレルゲンタンパク質を含むダイズを、ゲノム編集によって「低アレルゲンダイズ」にする研究に取り組んでいます。前編では、山田さんに実験室を案内してもらいながら、ゲノム編集による品種改良の詳細を伺いました。
後編では場所を移し、山田さんはゲノム編集をどのようにみているのか、これまでの品種改良の歴史と、社会との関係に目を向けながら、お話を伺います。指定された教室で待っていると、トレイやシャーレの入った黄色いかごを手にした山田さんが入ってきました。
【細谷享平・CoSTEP本科生/理学院修士1年】
山田さんは北海道大学に着任して以来、ずっとダイズの研究を続けられています。山田さんはダイズのどのようなところに魅かれるのでしょうか?
まずはこちらをご覧いただきたいのですが…。このトレイには、大きくて色が黒いもの、ぺったんこで緑色のもの、いろいろ入っていますが、実はこれ全てダイズなんです。
同じダイズの、異なる品種です。ただここで注目してほしいのは、この中で一番小さい、1cmにも満たない小さな黒い粒です。
これもダイズなのでしょうか?
これはツルマメというダイズで、実はこれがダイズの祖先野生種なんですよ。ツルマメという小さなマメから、人の手で、より美味しくより実の大きいものを、人類は少なくとも3千年以上のあいだずっと選抜してきました。その結果、今さまざまな品種のダイズが存在していることになります。
長い歴史を経て、さまざまな品種が生み出されてきたのですね
私の研究の興味は、こんな小さな粒みたいな祖先野生種から3千年以上かけていろいろなバリエーションが出てきた、ダイズの多様性にあります。なんてダイズは多様なんだと、感動しません?
これほどいろいろなダイズがあるとはびっくりしました
これらを生み出してきた品種改良の技術として、一番メジャーなものが交雑育種と呼ばれるものです。異なる品種を交配し掛け合わせ、そこから収穫された種子の中から、味の良いものや香りが良いものを選び出してくる方法です。今、スーパーなどで日常的に目にする野菜や果物、穀物は、ほとんどがこの交雑育種によって品種改良されてきたものです。
交雑育種と、山田さんが研究で行っているゲノム編集による育種、どこが違うのでしょうか?
交雑育種をはじめとする従来の育種は、DNAの配列にランダムに生じる変異を利用したものです。変異は自然に起きたものを利用する方法や、放射線や化学物質で変異を引き起こす方法があります。いずれにせよ、どの方法であっても私たちが求める変異が起きるかどうかは運任せとなります。場合によっては、交配したものを何千何万とみたとしても、結果自分が求めているものは無かった、というようなこともありえるわけです。一方でゲノム編集はそれとは違い、DNAの特定の配列を狙い撃ちして、そこに変異を誘発することができます。
このゲノム編集を使って、DNA配列の各部分の機能を明らかにすることが、私の研究の興味にあります。例えば緑色の青ダイズがありますが、これは実は、DNA配列中のふたつの箇所が壊れるだけで、黄色から緑色になるんですよ。そしてそれを確かめたいときにゲノム編集が使えます。実際にその二箇所を壊して、本当に緑色になるかどうかを確かめれば分かりますよね。
DNAの狙った部分を変えられるのが、ゲノム編集のすごいところなのですね
どこかをピンポイントで改良するには、今のところゲノム編集に勝るものはありません。従来の品種改良技術では、新しい品種をつくるのに10年や15年、ものによっては20年とかかることがありました。これがゲノム編集では、数年で新しい品種をつくることが可能です。
ゲノム編集がそれほど革新的で便利なものなら、従来の品種改良で得られた品種が、すべてゲノム編集で改良された品種にとって代わられる、なんてこともあり得るのでしょうか?
先ほどダイズの祖先であるツルマメをお見せしましたが、ツルマメから3千年以上の時間をかけて、さまざまなDNAの変異が積み重なって、今のダイズができたわけです。それを考えると、ゲノム編集は確かにすごい技術ですが、ツルマメからいきなりダイズがつくれるわけではない気がしますね。ですので、今まで品種改良を積み重ねて得られた品種が、ゲノム編集でつくられた品種に全て置き換わるということはないと、私は考えています。
今あるダイズが、全てゲノム編集ダイズにとって代わられるわけではないのですね
ただ、今ある品種についても、開花時期であったり匂いであったり、少し変えたい部分がでてきます。その時に、そこをピンポイントで改変することで、従来の品種をさらに活用していく。その一つの手段として、ゲノム編集は使われるのではないかという気がしています。
研究で得られた新しい品種は、いずれ実用化につながるものだと思います。山田さんの低アレルゲンダイズの研究も、実用化を見据えたものなのでしょうか?
そうですね、実用化という意識はありますね。私の研究でDNAの各部分の機能が分かったら、そこからどういう品種をどうやったらつくっていけるのかという情報が手に入ります。その情報を元に、社会が求めているものが副産物としてつくれるのであれば、それはぜひトライして社会に貢献したい。そういう思いで研究しています。
遺伝子組換え作物の実用化については、多くの議論がおこりました。ゲノム編集作物についても、実用化となったときに懸念を抱く方もいると思います。社会の反応についてはどのようにお考えでしょうか?
ゲノム編集でつくった作物が受け入れられるかどうか、これはその作物がどのようなものであるかによると思います。ゲノム編集という新しい技術でまだわからない部分があるかもしれないけれど、健康によいとかアレルギーの方でも食べられるとか、その作物を選ぶことにメリットがあり、そして実際にそれを食べたいという人がいるのであれば、それは意味があることですし、そう思えるものをつくる必要性があるという気がしますね。
一方で、農家の方からは病気に強いとか、除草剤に強いとか、もっと栽培しやすい品種をつくってほしいという意見があります。ただ、それらは作物を育てる上でのメリットです。例えば除草剤に強い品種ができても、他の品種と比べ味や値段がさほど変わらなければ、消費者があえてゲノム編集作物を選ぶメリットはないわけです。そうなると、ゲノム編集作物が食卓にあふれてくるようになるのはちょっと難しいのかなという気がしますね。
ゲノム編集を使って、どういった形質を狙って、だれを対象にし、品種開発を行うのか。これをかなり明確にしておくことが、実用化のハードルを乗り越える上で大事になるのではないかと思います。
社会のニーズと向き合っていく必要があるのですね。ありがとうございました
DNAの特定の箇所を狙い撃ちするゲノム編集は、品種改良にとって画期的なものです。が、一瞬で思い通りの作物を生み出す魔法などではありません。前編でお伝えしたように、ゲノム編集による品種改良の裏には複雑なプロセスがあります。また、現在の品種は長年の改良の歴史の末に生み出されたものであり、そこには生産者や消費者のニーズも大きな影響を与えてきたことが、今回の山田さんのお話から伺えました。広い意味では、だれもがゲノム編集作物を運用する担い手であるといえるでしょう。私もそのうちの一人として、ゲノム編集に何を求めるのかと考えを巡らせながら、農学部をあとにしました。