北海道では2021年に赤潮が発生し、漁業に推定約80億円の損害をあたえました1)。この被害の原因のひとつは、毒素をつくる単細胞のプランクトン「渦鞭毛藻」によるものです。一匹一匹は小さな渦鞭毛藻ですが、短期間に急激に増えることで、周囲の海洋生物に甚大な影響をおよぼします。また、貝や魚に蓄積されることで、それらを食べた人間が中毒をおこすこともあります。
私は今、毒素をつくる渦鞭毛藻の一種であるオストレオプシスの毒素の産生機構を解明することで、この問題の解決にむけて取り組んでいます。サンプル採取のために北海道から沖縄まで移動し、実験室では大量の遺伝子の分析をしているとは、昔の私はきっと思ってもいなかったでしょう。この研究は私にとっても新しい挑戦ばかりです。
【Lim Kay Hian・理学院修士1年】
猛威をふるう、小さな生きものの毒素
渦鞭毛藻は世界中におよそ1,500以上の種類が生息し、それらが作りだす毒素も様々です(下表)。その中でも、私が研究をしている渦鞭毛藻オストレオプシスは、魚やカニなどに蓄積されるオバトキシンという毒素をつくります。これは、非蛋白質性物質の中で最も毒性が強いとされるパリトキシンと似た構造をもっています。
これらの毒素は、世界中で多くの野生生物に死をもたらしています。2008年にカナダのセントローレンス河口でおきた赤潮では、サキシトキシンを含む麻痺性貝毒をつくる渦鞭毛藻の一種、アレキサンドリウム・タマレンセ Alexandrium tamarense が、魚、鳥、哺乳類の死因であることが明らかになりました。これらの動物の死体を調べたところ、消化器系と肝臓で有意なレベルの麻痺性貝毒が見つかったのです3)。
2013年、米国フロリダ州ではマナティー277匹の死が報告されました。その犯人はブレベトキシンをつくる渦鞭毛藻カレニア・ブレビス Karenia brevisです。マナティーが海草などを食べた時に毒素も体内に入ってしまったと推測されました4)。小さなプランクトンがこれほどまでの死をもたらすとは、想像もつかないことです。
The dead fish just keep coming. This is Coquina Beach in Manatee Co. #redtide pic.twitter.com/Kr8mMLEf8J
— Brad Davis WFTS (@BradDavis_WFTS) August 10, 2018
(参考。2018年フロリダでの赤潮被害)〈@BradDavis_WFTS/2018年8月11日投稿〉
BREAKING: Ecological disaster unfolding in Southwest Florida today at the Cape Coral Yacht Club. One manatee found dead, another clinging to life. Activists are claiming that blue green algae is the culprit. More to come on this story ASAP. #manatee #algae #sayfie pic.twitter.com/RTsIzZvNln
— RISE NEWS (@RiseNewsNow) July 31, 2018
(参考。2018年フロリダの赤潮ではマナティーも数多く死んでしまった)〈出典:@RiseNewsNow/2018年8月1日投稿〉
現在でもこれらの毒素に対する特効薬はなく、中毒にかかっても症状を抑えるしかありません。漁業では、毒素に侵された魚はそのまま捨てるしかなく、大量の廃棄物が出てしまいます。北海道のように漁業が大きな産業である地域では、経済への影響は計りしれません。
網羅的に調べて、毒素をつくる遺伝子を見つける
これまでの研究から、渦鞭毛藻の毒素の種類はわかっていましたが、どのように作られるかはまだ謎に包まれています。それがわかれば、赤潮の具体的な対策も見えてきます。毒素がどのように作られるかを調べる方法のひとつは、どのような遺伝子が関わっているかを知ることです。渦鞭毛藻の毒素は特定のタンパク質でできており、その情報はDNAの中にあります。しかし、情報をもっているだけではタンパク質はできません。DNAがRNAに転写され、それが元になって、はじめてタンパク質がつくられるのです。
そこで登場するのがトランスクリプトーム解析です。この解析では、ある時点の細胞内のすべてのRNAを検出します。そうすることで、どんなタンパク質が作られているのか、そのタンパク質を作る情報は遺伝子のどこにあるのかが分かります。次に、毒素がある渦鞭毛藻と、ない渦鞭毛藻からのデータを比較します。もし違いがあったら、それは毒素をつくる能力に関係している遺伝子だと推測することができます。
この研究のコンセプトはシンプルですが、その作業はとても面倒です。ひとつの細胞の中には数十万のRNAがあると言われています。これだけの情報の中から、必要のない情報をふるい落とすことを想像すると、大変な作業だということがわかるでしょう。
フィールドとラボでつづく私の挑戦
私はこの研究をしようとしたのは、ただ社会的に有意義なだけではありません。この研究を通して、様々な技術を身につけることができ、普段体験できないことが体験できるからです。大学時代だからこそ、今こそ新しいものに挑戦するいい機会ではないでしょうか。
それに、この研究はフィールドワークと実験の両方に取り組むことができるのも魅力です。サンプルを取るために沖縄に行くことができ、沖縄科学技術大学院大学と共同研究をする機会にも恵まれました。渦鞭毛藻の研究では世界的にも有名な北大での研究を通してDNA/RNA抽出、系統分析やデータ分析など、様々な技術を身につけることができたのもとても良かったと思っています。
これからも、今まで積み上げてきた経験をいかして、良い結果を出していきます。かつての私が今の状況を想像できなかったように、これからの私もおそらく想像できないでしょう。この研究は新しいものへの挑戦ばかりです。
参考文献:
- 日本経済新聞 2021: 「北海道赤潮被害80億円?170億円?「深刻度」確定に時間」2021年12月 2日(2022年6月11日閲覧).
- Catania D. 2007: “The influence of macroalgae on the proliferation and regulation of the benthic dinoflagellate Ostreopsis cf. ovata blooms” Thèse E de doctorat, Université Côte d’Azur.
- Starr M. et al. 2017: “Multispecies mass mortality of marine fauna linked to a toxic dinoflagellate bloom”. Plos one, 12 (5).
- NOAA Fisheries 2021: “Hitting Us Where it Hurts: The Untold Story of Harmful Algal Blooms”, Last updated: 2021, October 7(2022年6月11日閲覧).
この記事は、リムさん(理学院修士1年)が、大学院共通授業科目「大学院生のためのセルフプロモーションⅠ」の履修を通して制作した作品です。
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理学院 自然史科学専攻 多様性生物学講座II Wakeman 研究室(Kevin Wakeman教授)