文化遺産にまつわる研究を「ヘリテージ・スタディーズ」といいます。
東南アジアの遺跡を研究する田代亜紀子さん、イスラエル・パレスチナの遺跡を中心に研究する岡田真弓さん、トルコの遺跡を中心に研究する田中英資さん。
この3名の研究者が所属する国際広報メディア・観光学院ではヘリテージ・スタディーズを盛り上げていきたいという機運が高まっているといいます。
ヘリテージ・スタディーズとはどのような研究なのか、そしてこの分野の魅力を対談形式で語っていただきました。
【森沙耶・SciBaco/いいね!Hokudai特派員】
まずはご専門を教えてください
田代さん: 私のフィールドは東南アジアです。そこで遺跡の保存、そしてその遺跡と地域との関係について研究しています。地域の人にとって遺跡というのは観光資源でもあり、宗教的な意味合いも含む、特別な存在です。我々研究者は単に研究するだけでなく、地域にある遺跡をどのように地域の方と共に保存、活用していくのかを考える必要があります。
岡田さん: 私は大学院時代から中東のイスラエル・パレスチナをフィールドに研究してきました。北大に来てからは、アイヌ民族をはじめとする先住民族の文化遺産の保全や活用についての研究も行っています。
専門はパブリック考古学という、考古学と社会の相互関係を対象にした考古学の一分野です。考古学は歴史学的な分野ですが、私は考古学の研究成果が社会の人々にどのように受け止められ、それがどのように活用されているかというところに関心があります。
田中さん: 私は主としてトルコをフィールドに研究を続けてきました。トルコにおける文化遺産をめぐる問題について「文化遺産とされるものは誰のものか」ということに焦点をあてながら、文化人類学の観点から考えています。
現在のトルコ共和国の国土の大部分を占めるアナトリアには長い歴史の中で宗教的にも民族的にも多様な人びとが暮らし、多くの国家が興亡してきました。そんなアナトリア各地にみつかる多様な文化遺産を現在のトルコの人たちがどのように考えているか、特に遺跡の周りに住んでいる人が遺跡のことをどう考えているのか、ということを観光と絡めて研究しています。
考古学や文化人類学など様々なバックグラウンドを持つ分野なのですね
田代さん: 研究手法がフィールドワークがメインという点では3人とも共通しています。私はインドネシア語、田中先生はトルコ語で調査しています。
岡田さん: 例えば、英語で言うヘリテージは、日本語では文化遺産と訳すことが多いですが、地域によっては、用語のニュアンスや使われ方が微妙に違う場合もあります。たとえば、「文化財」という用語を直訳しても、他の国でそのまま同じような意味で伝わるとは限りません。各地域における文化遺産(文化財)概念の成り立ちも異なるので、基本的に現地の「遺跡」「文化財」「文化遺産」を指す用語について深く理解した上で考察や議論を行います。
言語による差異が出ないように現地の言葉を使って調査するのですね。ヘリテージという言葉はあまり聞き馴染みがありませんでしたが、日本語ではどのように訳すのでしょうか
田中さん: 英語のヘリテージは日本語に直訳すると遺産ですが、日本では「遺産」という言葉では個々人の遺産という印象が強くなってしまいます。この研究分野でいうヘリテージとは集団が過去から受け継いできて、未来へ引き継ぐという意味合いがあり、遺産と訳しても一般の人にはなかなかピンとこないかと思うんですよね。
実際のところ、ヘリテージをどう日本語に訳すかは、研究者の中でも定まっていません。例えば、文化遺産だけでなく自然遺産もヘリテージの枠組みのなかで議論されるので、ヘリテージを文化遺産と訳すと、自然遺産はどうする?という議論になります。それに、文化遺産といえば、文化に関わるものとなるわけですが、英語の文献だとculturalを飛ばしてheritageだけで記述されることの方が一般的です。
ミュージアムはミュージアムと書いていても伝わりやすいんですけど、ヘリテージという言葉はそこまで広まっていないので、ヘリテージという言葉とともに学問としても広めていきたいです。
これまでどのようなフィールドワークを行ってきたのでしょうか?
田代さん: 遺跡といっても今は公園化していることが多いので、学生のボランティアガイドと観光客の会話の内容を分析する、という調査や、地元に住んでいる人に「何か遺跡にまつわる話を知りませんか?」と聞くこともありました。
町並みが対象だったときは、この家古そうだなという家を訪ねてみて「いつ引っ越してきたんですか?持ち主は誰なんですか?」など住民の方に聞くこともありました。
チームとして動く場合と、個人として動く場合があるので、誰と動くのかというのも結構大きくかかわってきます。ヘリテージは学際的なチームで動くことも多く、これまで考古学、建築学、保存科学、歴史学、造園学の研究者とチームを組んで動いたりしました。
岡田さん: 文化遺産は制度の中で作られる(規定される)面と、その時々の人々の価値観と結びつきながら作られていく面とがあり、私はこの両者の相互関係に関心を持っています。そのため、制度的な運用と文化遺産の担い手である地域社会の取り組みと両方セットで調査することが多いです。
これまでの調査では、遺跡公園を管轄する行政の担当者に法制度や運用の実態について、地域の人たちには遺跡に対する印象やこれまでの遺跡に対する働きかけなどについてヒアリングをしました。また、イスラエル/パレスチナ地域の遺跡は時代(文化)が重層的なので、今日の遺跡公園ではどの時代(文化)が保存されているのか、遺跡公園の目玉としてどの時代(文化)が来訪者に紹介されているかといった点を明らかにするため、掲示されている説明版などの文言を分析したりしました。イスラエル/パレスチナの調査の際は、発掘調査チームとフィールドに行くことが多かったので、考古学者だけでなく歴史地理学や建築系の研究者たちと一緒に調査をしていました。最近取り組んでいる北海道の調査は、文化遺産に森林が深く関わっているので、造園学や林学の研究者たちと一緒に研究しています。
田中さん: 私は個人で動くことが多いですが、社会学、地理学、法学、歴史学、建築史学の研究者と共同で調査した経験があります。
文化人類学だと学生の時は1年半から2年という長期間フィールドに入ってフィールドワークの手法を学びつつ研究を進めていきます。ただ、勤め始めると長期の現地調査は不可能で、長くても2〜3週間です。そのため、今は同じ場所に何年も通って関係を深めていって、その中で話を聞いていくという手法をとっています。長い付き合いになれば、お互いに打ち解けて、通り一遍の話ではなく本音が見えてくることもあります。そういったところを聞かせてもらえるように心がけています。
また、調査期間の長さに関係なく、フィールド調査では準備をかなりしていかなければいけないのですが、実は準備していないところに大事なことが転がっていることもよくあります。期間が短いとその転がっているものをつかむ可能性も小さくなってしまうというジレンマがあります。
他分野の研究者とチームを組んで調査することもある学際的な分野ということですが、ヘリテージ・スタディーズを北大で学ぶ魅力を教えてください
田代さん: 文化遺産は観光と密接に関わってくるので、もはや切り離して考えることはできません。学院の中では観光創造コースなので「観光」ではなく「観光創造」である意味を学んでほしいと思っています。インターディシプリンなので、どのような分野からでも入ることができますし、教員もそれを歓迎しています。日本の学生にも海外の学生にももっと知ってほしいですし、どんどんアピールしていきたいです。
岡田さん: 先ほどヘリテージの訳の話がありましたが、海外と日本だけでなく、日本の中でも文化遺産に対する認識はステークホルダー間で違ってきます。ここでは批判的視点という学究的アプローチに加え、現地でのフィールドワーク実習や実際に文化活動や観光現場に携わる方からの講話等を通じて、マルチボーカリティの視点を養いながら文化遺産と観光の結びつきや広がりを学べるような授業を心がけています。
※ マルチボーカリティ:様々な立場の人々が異なる考えに触れて自らの考えを見直す建設的な相互作用が推奨される「マルチヴォーカル」な環境のこと
田中さん: 最近のヘリテージ研究では、「ヘリテージフューチャーズ」という用語とともに、ヘリテージとは単に過去から受け継がれているというだけでなく、過去を通して未来を生み出す働きがあるのだという議論が盛んになってきています。
一方で、観光創造や観光開発といった言葉は、観光を通して何かを作り出したり発展させたりするというという意味で、すべて未来を志向しているといえます。観光と結びつけて考えられることの多いヘリテージについても、何のためにヘリテージとされるものを守るのかということを考えれば、観光とヘリテージの関係性において、未来のことはずっと意識されてきたと考えることができると思います。
文化遺産という観点から観光を考えることは地域の未来を作っていくことにつながるということを学べますし、それを伝えていきたいですね。
文化遺産を守っていくことは、それ自体が未来と直接関わっていて、観光を通して地域の未来を考えることにつながるのですね。
先生方のお話を伺って、文化遺産を研究していく意義や守っていく必要性を感じました。
田代先生、岡田先生、田中先生、貴重なお話をありがとうございました。