必死に泣き声を押し殺す同級生。普段気丈な母が一瞬だけ見せた不安そうな顔。見慣れた道に散乱するコンテナ。
2011年3月11日14時46分。宮城県三陸沖を震源とする最大震度7の東北地方太平洋沖地震が発生しました。それに起因する津波などによる死者は2万人を超えます。あまりの衝撃の強さに、当時小学校4年生だった私には忘れたい記憶しかありませんでした。わずかな記憶も年々薄れ、今では断片的な記憶が残っているだけです。一時はそのまま忘れようとしていましたが、大学院での経験を機に当時の記憶に向き合うようになりました。
私は今、「命を守る災害情報制度の在り方」を研究しています。
【網敷千時・公共政策大学院修士2年】
災害経験に向き合う
東日本大震災から今年で13年。かつての私は当時の記憶を忘れようとしてきました。東北3県に比べ比較的被害が小さかった茨城県にいた私が、当時を思い出して「つらい」という感情を持つことに、どこか申し訳なさを感じていたからです。しかし、2022年度、広域防災連携をテーマとするゼミに参加したことを通じて、考えが変わっていきました。東日本大震災で災害派遣に従事した元自衛官の自治体職員の講演を聞き、1年間「防災」というテーマに向き合うことで、当時の記憶にも少しずつ向き合うようになったのです。
現在、日本の基礎自治体は、人員と予算の制約の中で、自然災害という不確実なものへの対応に苦慮しているように感じます。また、人間の記憶は風化していくものであり、震災直後に比べて社会全体の関心は薄れているでしょう。経験を伝え、二度と同じような悲劇を繰り返すべきではないのにもかかわらず、忘れようとしてきた自分の姿勢に疑問を抱くようになっていきました。
葛藤を抱えていた昨年3月、当時の実態を知り、向き合うため、東北3県を回って震災遺構を訪れました。故郷である茨城県からひたすら北上。福島県の東日本大震災・原子力災害伝承館。宮城県の門脇小学校、旧女川交番、大川小学校、南三陸町防災対策庁舎。そして、岩手県の東日本大震災津波伝承館。当時の被害の実態と12年という時の流れを目の当たりにする中で、これまでの自分の姿勢への違和感がたしかなものになってきました。経験は属人的なものであり、誰かに伝える必要があること。災害経験を語り継ぐことは現在の防災意識の向上だけでなく、将来、災害が起こった際に誰かの命を守るために意味を持つであろうこと。そう考える中で、大学院残り1年の研究テーマを防災にすることを決めました。
災害情報とは何か
「防災」という大きな枠の中で私は、災害情報制度の在り方に関心を持っています。災害情報とは、文字通り、災害に関係する情報のことを指します。その中でも特に重要なのが、避難に関わる情報です。避難に関わる情報は災害から命を守るために非常に重要な役割を果たします。その情報は大別して「災害予測情報」と「避難情報」に分けられます2)。災害予測情報とは、災害の危険を警告する情報で、予警報などを指します。一方、避難情報とは、人々に避難行動を促すための情報であり、避難指示等を指します。避難情報については、過去の災害の経験から見直しが行われ、一昨年にガイドラインの大幅な改定が行われました。
(「避難情報に関するガイドラインの改定(令和3年5月)」を知らせるポスター〈内閣府3)〉
災害情報と避難
そういった避難に関わる災害情報をどのように伝えれば命を守る行動につながるのか。それが私の研究テーマです。
過去、災害情報が実際の避難につながらなかった事例は少なくありません。例えば、2005年9月に大分県竹田市で土砂災害警戒情報を基に出された避難勧告や、2008年8月に岡崎市で水害に備えて出された避難勧告の避難率は極めて低くなっていました4)。また、2013年10月25日に台風第27号が接近した際には伊豆大島全域に避難勧告が出されましたが、実際に避難したのは島の人口の約15%にあたる1282人だけでした4)。降水量や津波の高さ・到達時間、避難指示といった災害情報をどのように伝えれば、実際の避難につなげることができるのか。多くの研究者や政府の実務家たちが向き合い続けています。
将来の大規模災害に向けて
近年の日本では豪雨災害が頻発5)し、今後30年以内に震度6弱以上の大規模地震に見舞われる確率が26%以上の地域は広範囲に及びます6)。
その中でも甚大な被害が予測されている南海トラフ巨大地震(駿河湾駿河湾から日向灘沖にかけてのプレート境界を震源域として発生する大規模地震。マグニチュード8~9クラスの地震が今後30年以内に発生する確率は70~80%とされている7))は、最悪の場合、32万人以上の死者が発生するとされていました8)。しかし、地震直後に避難を開始する住民の割合が高くなり、さらに、津波情報の伝達や避難の呼びかけがより効果的に行われた場合には、想定に比べて約8割の被害が軽減されるという推計があります7)。災害情報を実際の迅速な避難につなげることができれば、災害による死者数を減らすことができるのです。今後の研究では、過去の災害における避難状況についてのヒアリングやアンケート調査、各機関が発表している報告書の分析などを通じて、より良い災害情報制度の在り方を考えたいと思っています。また、研究活動以外では発災後にも目を向け、今年1月1日に発生した令和6年能登半島地震を機に、友人と災害復興を支援する学生団体を立ち上げました9)。
少しでも将来、誰かの命を守ることに貢献したい。そんな思いが、目を背けていた過去に向き合う原動力です。
参考文献:
- 国立国会図書館東日本大震災アーカイブ, https://kn.ndl.go.jp/#/
- 中村功 2010:『災害情報と避難:理論とその実際』晃洋書房.
- 内閣府防災情報のページ, https://www.bousai.go.jp/oukyu/hinanjouhou/r3_hinanjouhou_guideline/, (2024年3月8日閲覧).
- 関谷直也 2021:『災害情報―東日本大震災からの教訓―』東京大学出版会 ,p.570.
- 気象庁 2023:「大雨や猛暑日など(極端現象)のこれまでの変化」, https://www.data.jma.go.jp/cpdinfo/extreme/extreme_p.html, (2024年3月8日閲覧).
- 地震調査研究推進本部 2021:「全国地震動予測地図2020年版の概要」, https://www.jishin.go.jp/main/chousa/20_yosokuchizu/yosokuchizu2020_gaiyo2.pdf, (2024年3月8日閲覧).
- 内閣府政策統括官(防災担当) 2017:「南海トラフ地震臨時情報が発表されたら! 1.南海トラフ地震とは?」, https://www.bousai.go.jp/jishin/nankai/rinji/index1.html, (2024年3月8日閲覧).
- 内閣府政策統括官(防災担当) 2019:「南海トラフ巨大地震の被害想定について(建物被害・人的被害)」, https://www.bousai.go.jp/jishin/nankai/taisaku_wg/pdf/1_sanko2.pdf, (2024年3月8日閲覧).
- 全国学生復興支援ハブ:X(旧 Twitter), Instagram, お問い合わせメール先: rs.studenthub@gmail.com
この記事は、網敷千時さん(公共政策大学院修士2年)が、2023年度大学院共通授業科目「大学院生のためのセルフプロモーションⅠ」の履修を通して制作した作品です。
網敷さんの所属研究室はこちら
公共政策学教育部 公共経営コース