2003年春に法学部を卒業し、現在はアイシングクッキー教室『KIN Sugar Labo.』を主宰している金田一真優さんが「北大女子から転職・結婚・起業という選択」と題して、学部1年生対象の講義をつとめてくれました。北海道大学を卒業後、数社を経験し、結婚後にご主人の転勤を契機にお仕事を辞め、旭川へ移り住みました。出産後に趣味ではじめたアイシングクッキーの教室を主宰するようになりました。金田一さんの授業の一部を紹介します。
私はアイシングクッキーの教室を開いています。アイシングクッキーというのは砂糖でデコレーションしたお菓子のことで、自宅で教室を開いたり、カルチャースクールや企業などで講師活動も行ったりしてします。旭川の北にある和寒町のお寺の境内に子どもたちを集めて教室を開いたこともありました。
他に、夏休みや冬休みといった時期に親子向けイベントを開催する仕事もしています。「ワークショップコレクション」というイベントで、ブースごとに子どもたちがものづくりを楽しめるイベントです。私を含め4人の普通の主婦が、企業からの協賛金集め、企画立案、場所借り、出展者集め、広報活動まで担っています。
(授業ではフキダシの形に「Boys,be ambitious!」と書かれたアイシングクッキーが学生たちに配られました。)
法曹界に憧れて、法学部へ。そして、就職
16年前、法学部に入学したのは法曹界がなんとなく格好いいという憧れをもっていたからで、特にこれといった強いモチベーションがあったわけではありません。3年時に周りの学生たち同様に就職活動をはじめてみましたが、自分がどの業界で働きたいのか、あるいはどの職種が向いているのかも分からず、深く自己分析する気も特にありませんでした。入学時に憧れていた法曹界に対する気持ちもとっくに薄れており、法曹界で働くことは向いていないと考えるようになっていました。
世は就職氷河期まっただ中の時代です。その中で、私もいくつかの会社に応募してみました。就職活動をはじめる際に、一番早く内定をもらえたところに就職しようと心に決めていたため、とある会社から内定をもらって早々に就職活動を終えました。その会社というのが、今はなき「武富士」です。
仕事のやりがいを見つけるために
当時の武富士は消費者金融最大手の会社です。法学部へ入った時と同じく、金融業にそれほど強い興味関心があったわけではありませんが、それでも取り立て日数の浅いお客様の対応、電話応対、接客から街頭でのティッシュ配りまで数多くの業務を担当していました。そんな中、「ジャーナリスト宅盗聴事件」というのが起こります。武富士のことを悪く書こうとしているジャーナリストの自宅を盗聴するよう、武富士代表の指示の下、実行された事件です。会社が傾きかけていたこともあり、特にやりがいを感じていなかった私はこの事件をきっかけに転職を決意しました。
転職先は札幌市中央区の法律事務所です。弁護士先生の書類整理や来客対応を中心に行っていました。そこで働いていても、自分はどんな仕事がしたいのか、どんな仕事なら活き活きと働けるのか、漠然とした不安を常に持っていました。
ある時、そんな不安を払拭するような出会いに恵まれることになりました。ある企業の採用担当者の方で、当時は女性ばかりで構成された営業部門を作ることに注力なさっていました。その方と営業職の魅力について話す機会があり、そこから営業職に対する興味を強く持つようになりました。私は昔から、他人と話すことが大好きだったので、それをフル活用すれば、やりがいを持って営業職で働けるのではないだろうかと考え、再度転職を決意するに至りました。
次に就職したのはジャパンビバレッジ株式会社です。自社で管理する自販機に各飲料メーカーの商品を並べて販売するというビジネスモデルの会社です。ここで、営業職として働きました。毎日、数十件の飛び込み営業を続け、多い時には最大200件も訪問していました。普通に考えたら、とてもたいへんなお仕事なのですが、私には向いていました。毎日違う人と話すのが楽しく、クルマでいろんな土地にでかけるのも気分転換になってよかったのです。また、営業職に就いて気づいたのは数字のプレッシャーに強いタイプだったということです。しばらくすると、営業所でトップの営業成績も出せるようになり、私にとって営業職はまさに天職とも呼ぶべき仕事になりました。
さらなるステップアップ、そして退職
仕事にやりがいを感じていた私はより高額な商品を販売できる営業職を目指して、不動産業界に転職しようと考えました。現職の会社に勤めながら、宅地建物取引士(通称、宅建)の資格を取得し、転職活動を行いました。次に採用されたのは東急リバブル株式会社です。そこでは住宅や土地を仲介する仕事を担いました。具体的には売り出し価格を決め、内覧会をやり、売り手と買い手の交渉の間に入り、不動産契約書を作り、契約をさせます。とても大変な仕事で休みはなく、夜遅くまで働いていましたが、前職以上のやりがいを感じる日々でした。
そんな時に、転機が訪れます。ある日、夫に辞令が下り、旭川市に転勤することになったのです。夫を単身赴任させるわけにもいかず、また東急リバブルの支店が旭川市になかったことから、仕事を辞め、旭川市についていくことになりました。28歳の時です。
専業主婦から、起業へ
転勤してから丸2年、専業主婦をやりました。主婦業以外に特にやることが見つからなかったので、子どもを育ててみようと思い、30歳の時に子どもを産みました。
この間、悩んでいなかったわけではありません。せっかく努力して、北海道大学を卒業し、営業職という仕事にも出会えたのに、私はなにをやってるんだろうと。その中ではじめたのが趣味のアイシングクッキー作りでした。子どもが寝て、夜な夜なクッキー作りに励んでいたら、近所の子育てサークルの人たちが注目してくれるようになりました。クリスマスやひな祭りのイベントでクッキーを親子で作る企画の準備を手伝っていたら、参加したお母さんたちが本格的に教えてほしいとおっしゃってくださり、そこから現在の仕事へとつながりました。
アイシングクッキーの教室の仕事はクッキーのデザインを発信する仕事から、場所借り、カリキュラムやフライヤーの作成、告知宣伝、教室準備、実際のレクチャーまで多岐に渡ります。忙しいですが、やりがいはありますし、なにより今の自分に合った働き方であることに誇りを持っています。
悩み続けた先輩から後輩へのメッセージ
私の人生は一つの会社を勤め上げる生き方ではなく、複数社の転職、結婚、出産をして、起業するという怒涛の人生です。そんな私から伝えたいことがあります。何が向いているのか、どこに向かえばいいのか、答えを見つけるのはとても難しいです。ですが、考え続けて模索していれば、いつかは見つかります。そのために、若い内に社会人の方々の話を聞いてみましょう。希望の職種だけじゃなく、いろいろな会社の職業に考えを巡らせてみてください。
不況の時代なので、勉強ができるだけでは切り抜けられない時代です。高学歴だろうと、大企業に務めていようと、挫折は必ずやってきたます。その時、立ち上がるチカラが大切なのだと思います。
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金田一さんが講義したのは、全学教育科目の「大学と社会」です。次回の講師は理学部出身の河合淳一郎さん(キリン株式会社)です。お楽しみに。