いまのあなたを創り上げたものは、何ですか? 夢中で読んだ本でしょうか。それとも大切な人との出会いでしょうか。坪田敏男さん(北海道大学獣医学研究科 教授)は、大学生になりたての頃に2册の本に出会いました(『いのちに触れる―生と性と死の授業』『竜馬がゆく』)。やがて野生動物獣医学の研究を続けるうちに、憧れの研究者との共著を果たします(『ホッキョクグマ:生態と行動の完全ガイド』)。坪田さんが3册の本を通して私達学生に伝えたい事は何なのでしょうか。
【仲間陸・総合理系1年/中村凌太郎・総合理系1年/政本真希・水産学部1年】
人生に影響を与えた1冊
『いのちに触れる―生と性と死の授業』鳥山敏子 著(太郎次郎社/1985)
動物研究者であり獣医師でもある坪田さんを創り上げた本は、やはり「いのち」をテーマとした本でした。この本は、小学校の授業のなかで子供達が自分の手で鶏を殺し、食べる、という経験について克明に記したドキュメンタリーです。坪田さんは、家畜を殺して私達の食物としている事実を正面から教育した試みに感銘を受けました。
「ぜひこの本を若いうちに読んでほしい」と坪田さんは言います。「我々人間も他の動物を犠牲にして生きている動物だということを、ちゃんと心と体で知っておく必要があるとおもいます。スーパーマーケットに行けばお肉がきちんとパックされてきれいに並べられている…そういうものだけを食べて生きているというのは、やっぱりごまかしているところがあるわけで。」
坪田さんがこの本にここまで深く感銘を受けたのには、理由がありました。この本と出会う前に、屠場で家畜を殺して食材を作る現場に立ち会った経験があったのです。本の著者と同じく、頭で学習するだけでなく体で実感する経験があったからこそ、いのちをいただくことへの理解が深まったのです。いのちを扱う職業に就く人にかぎらず、「頭と心と体をぜんぶ使って」取り組むことの意味に気づかせてくれる1册です。
学生に読み継いで欲しい1冊
『竜馬がゆく』全8巻 司馬遼太郎 著(文春文庫/1974-75)
坪田さんが『竜馬がゆく』を読んだのは、大学進学のために大阪から北海道へ来た頃、ちょうど私たち取材班と同じ年の頃でした。遠い大阪からやってきた理由は獣医学部に入るためでしたが、当時はまだ将来の目標がはっきりとは定まっていませんでした。前回の記事で紹介した「ヒグマ研究グループ」というサークルで情熱的な仲間と出会い、将来の指針や自分の「芯」となるものができ始めた時期に、この本に出会ったのでした。
読書家ではなかったという坪田さんでしたが、この本だけは全8巻を一気に読んでしまったといいます。心ざしをもって一つのことをやり遂げる竜馬の生き様に共感し、ヒグマ研究グループの仲間達や自分自身を重ねたのです。やがて坪田さんは、真剣にクマの調査と向き合うこととなります。「研究」という一つのものに打ち込むきっかけとなった本です。
今ホットな研究がわかる1冊
『ホッキョクグマ: 生態と行動の完全ガイド』 アンドリュー・E. デロシェール 著、ワイン・リンチ 写真、
坪田 敏男 翻訳、 山中 淳史 翻訳(東京大学出版会/2014)
「国際クマ会議」という単語が、坪田さんとの話でたびたび出てきました。世界中のクマ研究者がこぞって参加し、皆でクマについて語り合うというものです。坪田さんはそこで憧れのホッキョクグマ研究者、アンドリュー・E. デロシェールさんと出会い、親しくなりました。後に日本を訪れたアンドリューさんは、ホッキョクグマについてもっと日本人に知ってもらいたい、と思うようになり、そこで坪田さんと一冊の本を共同制作することになりました。それが『ホッキョクグマ:生態と行動の完全ガイド』です。
この本、訳本とは思えないほどとても読みやすいんです。どんな工夫をしたのか伺うと、翻訳者の一人である山中淳史さんという、昔の教え子の方の話をしてくださいました。「彼と協力して一緒に翻訳作業をしたことが大きい」と嬉しそうにおっしゃいました。
「(クマ研究者達とは)飲みながらいろんな話をしますね。楽しい仲間なんでね。飽きないですね、面白いです。」と坪田さん。クマ研究に対する情熱がつないだ人との縁を楽しんでいるようでした。
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人生の転機に出会った本との縁が、今の坪田さんの研究人生を創りあげていました。「きっとそのタイミングで出会うべくして出会った」と坪田さんは言います。どの本があなたの運命の一册で、いつ出会うか、なんて分かりません。だから、いま気になった本を読んでみてください。それがあなたにとっての始まりの本かもしれませんよ。
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この記事は、仲間陸さん(総合理系1年)、中村凌太郎さん(総合理系1年)、政本真希さん(水産学部1年)が、全学教育科目「北海道大学の”今”を知る」の履修を通して制作した成果物です。