私たちは人間で、人間は哺乳類です。では、その哺乳類の体はどのようにしてできるのでしょうか。かつて受精卵というたった1つの細胞だった私たちは、細胞分裂による増殖に加え、さまざまな種類の細胞に分かれる「分化」という過程を経て体を形成します。ある時期までの受精卵は、顕微鏡で見ても全く区別がつかない細胞の集団ですが、突然、見た目でもはっきりと異なる2つの細胞系統に分化します。この最初の分化に関わっていると考えられるのが、「Hippo(カバ)」とよばれるシグナルです。
「カバ」と名付けられたこのシグナルは、「細胞の密度を感知する」というまさに「そんなカバな!」という機能を持っています。私は現在、そんなカバの「細胞密度感知能力」に着目して、ウシの胚発生について調べています。
【山村頌太・農学院修士1年】
カバとの睨み合いの毎日(イメージ図)
生物の不思議さ
「唯一生き残るのは変化できるものである」(チャールズ・ダーウィン{※後世で創作された言葉と言われている})、「生物は遺伝子の乗り物に過ぎない」(リチャード・ドーキンス)、これらは私のお気に入りの名言です。いずれも生物の不思議さに対する答えを探そうとしたものでしょう。生物の分子レベルでの解析技術が著しく発達した現在でも、「生物の不思議さ」は、その一端が解明された段階に過ぎないといわれています。
小さい頃から「生物の不思議さ」に対して興味を持ち続けていた私は、北海道大学に入学して、ウシの胚発生を扱っている研究室を選びました。たった1つの細胞である受精卵が、非常に複雑で組織だった体を形成する胚発生過程は、私が最も不思議だと思っていたことの1つだからです。
カバとの出会い
私は以前から、一個の細胞が何かをキッカケにして分化していくことを不思議に思い、それを「遺伝子のはたらき」という言葉だけでは終わらせたくないと考えていました。その私が「そんなものがあるのか!」と心踊らされたのが、「Hippoシグナル」でした。
ショウジョウバエのある遺伝子の機能を失わせたところ、頭の部分がシワだらけのカバの鼻元のような外見になったことから、この遺伝子はHippo(カバ: Hippopotamus)と名付けられました(図1)。現在では、Hippo遺伝子に関連するさまざまな因子が判明し、その全体をHippoシグナルと呼ぶようになりました。
Hippoシグナルがどうして私の心を躍らせたのかというと、このHippoシグナル、なんと「細胞の密度」によって制御されるという一風変わった特徴を持っているのです。
図1 野生型ショウジョウバエ(上)、 Hippo変異ショウジョウバエ(中)、カバ(下)
(ショウジョウバエは Nature Cell Biology (2003 Udan RS ら)より引用)
カバがウシの最初の分化を制御!?
私は現在、ウシ胚の最初の細胞分化とHippoシグナルの関係を研究しています。ウシ胚の最初の分化も「細胞密度の差」と関連している可能性があり、そこに着目したからです。
ウシ胚の最初の分化に「細胞密度の差」が関わっているとはどういうことでしょうか。ウシ胚は最初の分化によって2種類の細胞(胎児を形成する細胞種と、胎盤を形成する細胞種)をもつ状態(図3右:胚盤胞期胚)になります。この最初の分化が起こる直前の胚は、桑の実のような見た目をしていて(図3左:桑実期胚)、どの細胞も同じように(区別がなく)見えます。個々の細胞の見た目は同じですが、「細胞密度」はいかがでしょう?内側と外側で「細胞密度の差」が生じているように見えませんか?私はこの桑実期胚の「細胞密度の差」によってHippoシグナルの活性状態が変わる、という仮定で研究を行っています。つまり、細胞分化直前の細胞間の「密度の差」がキッカケとなってHippoシグナルの活性状態が変化し、それが他の遺伝子のはたらきかたに影響を与え細胞分化が起こるのではないか、と考えているのです。
図3 ウシ 桑実期胚(左)と胚盤胞期胚(右)
桑実期胚の内側の細胞群は赤丸で囲った細胞(胎児を形成)に分化し
桑実胚の外側の部分は外側を包みこむ細胞(胎盤を形成)に分化する・・?
ダーウィンもリチャード・ドーキンスも、学生時代に名言を残してはいません。私も現時点では、何も成し遂げてはいませんが、将来「カバがウシ分化の始まりである」と言い残す日が来ると信じて、日々の研究活動に取り組んでいます。
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この記事は、山村頌太さん(農院修士1年)が、大学院共通授業科目「大学院生のためのセルフプロモーションⅠ」の履修を通して制作した作品です。
山村さんの所属研究室はこちら
遺伝繁殖研究科 生物資源科学専攻 家畜生産生物学講座
遺伝繁殖学研究室(川原 学 准教授)