「私はまだロシアのことを友人だとおもっています。でもこのような戦争は認められません」。北大祭最終日の6月4日(日)、講演で小泉悠さん(東京大学専任講師/軍事評論家)は強いメッセージを発しました。
小泉さんは2022年2月24日に始まったロシア・ウクライナ戦争を受けて、ロシアの軍事・安全保障の専門家としてメディアで解説を行うだけではなく、自らのTwitterでも活発に発信をしています。
学祭実行委員会企画として開催された本講演会は大きな関心を集め、事前配布の整理券はすぐになくなり、定員360人の会場は満員となりました。「ロシア・ウクライナ戦争と日本の安全保障」と題し、工学部B棟オープンホールで12時から開催された講演の概要をお伝えします。
【川本思心・北海道大学理学研究院/CoSTEP】
日本とロシアの関係、高まる関心
東京はずいぶん暑くなりましたが、札幌は寒いですね(笑)。実は私の母方は札幌に住んでおり、札幌は私にとっては第二の故郷です。研究でも札幌にはよく来るのですが、一般の人向けに話したことは無かったと思います。
北海道はロシアと地理的に近いですが、実際にロシアとの関係を日常で感じている人は少ないかもしれません。私はロシア研究をしていて、奥さんもロシア人ですが、探してみたら家に三つしかロシア製品はありませんでした。でも、アメリカや中国だとそうはいきません。身の回りの物、このマイクも中身は中国製品かもしれません。根室の人は北方領土があり、漁業との関係もあって切迫性がありますが、普段、日本人はロシアを気にせず生きて来られたと思います。
現在はそうは言っていられない状況です。逆にロシアはこういう時にしか関心を持ってもらえない、という変な学習をしてしまっていると言えるかもしれません。冷戦時代、ソ連はアメリカの最大のライバルであり世界がソ連を注視していました。アメリカの政府関係者の中にもロシア語ができる人も多かったのですが、冷戦後は減りました。ウクライナ戦争後、東大ではロシア語の履修者が増えたそうです。なぜこんなことをするのか、という関心をもつ機会になっています。でも、暴れて存在感を増すロシアではなく、良いことで関心が高まってほしいと私は思っています。
ロシアとウクライナによる巨大な戦争
ロシア・ウクライナ戦争は1年4ヶ月目に入りました。過去の歴史と比較してみると、第1次世界大戦と第2次大戦は超巨大戦争で特異な例ですが、朝鮮戦争につづく巨大戦争といえるでしょう。しかし、このような巨大戦争は、経済が国際的に相互依存しており、核戦争のリスクもある現在では、もう起きないのではないかと考えられていました。
しかし起きた。私は1982年生まれですが、昔は米中の戦争は笑い話として相手にされませんでした。でも、今はそう受け取られません。そういう時代になってきているということです。ロシアは変なところで歴史の先を行ってしまうところがあります。
ウクライナは大きい国です。面積は旧ソ連の15カ国の中でも3番目に大きい。2位はカザフスタンで、ロシアは冥王星と同じです! ウクライナはGDPでも2番目ですが、天然資源があって豊かな他の旧ソ連構成国と違い、ロシア帝国時代から重工業が盛んで、農業も豊かで国力があります。そのNo.1とNo.2の国ががっぷり四つにくんで戦っています。
数字ではなく、一人一人の被害を想像してほしい
戦争中ですし軍事機密なので本当の数字はわかりませんが、両国とも数十万人の軍隊が戦っています。戦争というと、巨大な戦争マシーンがなぐりあっているイメージをもつかもしれません。もちろんそういう側面もありますが、一人一人名前も顔もある人が戦っているんです。私はロシアに友人も多いため、現地の人の顔が浮かんでしまいます。
正確な戦死者はわかりませんが10万人単位でロシア軍の兵士は亡くなっているでしょう。ウクライナの民間人の死者は国連によると、確認できただけで8,490人です(2023年4月時点)1)。ロシア軍が撤退した北部は国連などが調査に入っているので被害が明らかになっていますが、東部や南部は分からない状況です。占領地に対する組織的な攻撃や殺害や、規律の低さに起因するものも含めると、民間人の死者が4桁で済むとは考えられません。数万人、場合によっては数十万人単位の方が亡くなっている可能性があります。ユーゴスラビアとならぶ人道危機です。
核と日本の安全保障をどう考えるか
「ロシアにも言い分はある」という考えもあります。私もロシア研究をしてきたので、分からないこともありませんが、だからといって戦争で解決してはいけない。それが国際秩序です。ロシアは「国連憲章内で、自衛の枠内で特別軍事作戦をやっている」と言っていますが、それを認めてはいけません。
始末が悪いのは核抑止の問題です。ロシアは戦略核では世界2位、戦術核では1位の戦力を持っています。やろうとおもえば人類を滅ぼすことができるわけです。ロシアは毎年秋に定例の核戦力の演習をしますが、2022年はいつまでもやりませんでした。そしてウクライナ侵攻の10日前にようやく核演習をしました。これは明らかにメッセージです。その後もロシアは核による抑止のメッセージをたびたび出しています。
しかし、核を持っている国が暴れたら言うこと聞くしかない、となったらどうでしょうか。逆に、核武装するしかないという話になったら。そういうディストピアのような話になってしまう。日本の安全保障環境に影響を与える国は中国・北朝鮮・ロシアとされており、全て核保有国です。もちろん、ロシアも簡単に核戦力を使えるわけではありません。アメリカの核報復がありますし、圧倒的な通常戦力も介入してきます。
日本も秩序が破壊されるのを見逃すべきではありません。善悪論とは違う次元で、リアリズムとして見過ごすべきではない。政治的現象を物理現象のように捉えるべきではないと思います。ただ起きていることを観察するだけではなく、こうあるべきと介入すべきです。日本の岸田政権もさまざまなロシアへの制裁やウクライナへの支援をしています。それを支持するか、政権を降ろすかも我々はできます。私たち自身どう考えるかが必要です。
ロシアとウクライナの関係の歴史
なぜウクライナに侵攻したのか、はっきりしません。2021年のプーチンによる論文『ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について』2)では、ロシアとウクライナの文化の同一性が主張されています。もちろん両国には違いがあり、例えばボルシチやピロシキもモスクワとキーウでは違います。でも、他のソ連構成国と比べるとロシアとウクライナは民族的にも文化的に近く、婚姻も普通にありました。
とはいえソ連崩壊後は別な国になりました。しかしプーチンは納得しない。そもそもソ連建国時に、レーニンが本来一緒にすべきロシアとウクライナを別の共和国にしたのが気に食わない。プーチンはこれを「レーニンが残した時限爆弾」と呼び、ロシアとウクライナが別々になってしまった原因としています。要するに、政治的な手違いであると主張している。実はこれは極端な考えではありません。同じように考えているロシア人は少なくありません。失われたウクライナ。本来ロシアであるものを取り戻す、という考え方です。
なぜ「今」ロシアはウクライナに侵攻したのか
でもそれがなぜ今なのか。「アメリカがウクライナをたぶらかそうとしている」「ウクライナがNATOに入ると安全保障上の懸念がある」と言われます。それはわかりますが、実はウクライナがソ連崩壊後、NATOに入る規定路線だったのかというと違います。ウクライナ経済と産業は、ロシアなしでは成り立たない構造になっていました。世論調査でも「NATOに入らないほうがよい」という結果で、ロシアとNATO両方とよい関係を築こうとしていました。それが変わったのが2014年のロシアによるクリミア侵攻です。これで「NATO入るほうがよい」という意見が上回ることになりました。
しかし、それでNATO入れたかというと、むしろ空振りでした。ずっとロシアと紛争を抱えている国がNATOに入るとNATOが参戦しないといけなくなります。そこで「いずれ加盟はさせるが今ではない」という立場がとられていました。なのでクリミアに侵攻しなければ、ウクライナはこうならなかったと考えられます。
ではなぜなのか? 「ネオナチに支配されている」「ロシア系住民が虐殺されている」という話もあります。しかしウクライナ政権にその特徴はありません。虐殺の話も本当なら国連に訴えればいいのにそうせず、開戦の2週間前に急に言い出しました。客観的な証拠がありません。
そうなると、残るのは民族主義的、失地回復主義的な言い分です。しかし政治家は、普通は野望どおりには動かないものです。結局のところ、何があったのか今は分かりません。ロシアは意外と記録を残している国です。もちろん非公開ではありますが。これは将来の歴史学者が解明しないといけないテーマなんでしょうね。プーチンの死後30年とかになると、2060年ごろでしょうか。僕が元気かわかりませんが、その時になって本当にこの戦争の動機がわかるかもしれません。
ウクライナが持ちこたえている理由
ウクライナ軍は2014年の時は弱かった。国内のロシア系武装勢力には強かったが、ロシア軍にはボコスコにやられた。我々専門家もプーチンもそのイメージだったのかもしれません。ウクライナはその後、2016年から抜本的に軍のありかたを変えました。とは言え、改革をやっているということと、実際に強くなったことは別です。強さというのは評価が難しい。多くは懐疑的に見ていて、私も旧ソ連の国だからうまくってないんじゃないかな、と思っていました。
でも、開戦してある程度うまくいっていたことがわかりました。その一つが民間動員の仕組みです。予備役を月3日間訓練し、23万人を常時訓練するという体制をつくりました。そして戦時の受け皿として領土防衛部隊をつくりました。今回、メディアでウクライナ各州の知事がわりと発信していますが、なぜかというと、領土防衛部隊の行政的な指揮権は知事がもっているからなのです。
もうひとつ大事なのは、心が折れなかったことです。ウクライナがすぐに負けると西側も諦めていました。でもゼレンシキーは首都に残って自撮り動画を流しました。これはウクライナの人たちを勇気付けたでしょう。彼は元々芸人で、大統領になった時も芸能プロダクションから人材を引き抜いて大統領府に多く入れています。ある意味情報戦のプロです。
これはプーチンの誤算でしょう。彼も元KGBですから、人心を操ることには自信がある。でもそれはからめ手で人間を操る方法。ゼレンシキーは陽(よう)の力で人間を動かすプロとでも言えるでしょうか。その点では今のところ国内的にも国際的にもゼレンシキーが勝っています。でも、ロシアは国内で情報統制をしています。普通の人には状況はよく伝わっていないでしょう。ウクライナは国内や国際的な支持は得ていますが、敵国ロシアの人々には影響を与えられていない、という限界があります。
長期化が予想される今後
西側諸国は、ウクライナが求める武器を与えれば勝てるということはわかっています。しかし勝ちすぎると、核戦争へのエスカレーションがあるので抑制している状況です。当初戦車の供与も300両という話がありましたが、どんどん尻すぼみになって80両程度になっています。
おそらくこの戦争は長引くでしょう。じわじわロシアを追い出していくという手をとらざるをえない。ウクライナ軍はこの夏に攻勢に出るといわれています。しかし、最大限うまくいってもそれでロシア軍を追い出すのは戦力的に無理でしょう。秋になると地面がぬかるむため一旦戦闘が下火になり、冬になれば地面が凍って戦闘が再開されますが、この2年は暖冬でした。同じ気候だとすると、次の春までは戦線のかたちを変えるような大きな機動をともなう作戦はできない。そして来年の春から夏の期間をつかっても追い出せないでしょう。
戦争が続くということは、一人一人顔が思い浮かぶような兵士や市民が亡くなっていくということです。「なんてことを始めてくれたんだ」というのが私の正直な気持ちです。こういうことを認めてはいけない。
友人としてこそ
私はまだロシアのことを友人だと思っています。「言い分があるから」と認めるのではなく、「こんな戦争は認められない」と個人としても言いたい。それが友人の勤めだと思っています。
岸田政権は言葉だけではなく、ロシアの不利益になる厳しい経済制裁をしています。2014年のクリミア侵攻のときの安倍政権は、内実のある制裁をしませんでした。それは当時、北方領土をなんとかしたいという意図があったからでしょう。しかし、何も良いことはなかった。今回、制裁を控えても何も良いことはないでしょう。北方領土返還の目的は、二つの島というハードにはありません。私も北方領土交流事業に関わってきて、当事者の方の声を聞いてきました。高齢になったこともあり「島に帰ります」という人はいません。そうではなくて、1945年に主権侵害と人権侵害があった。その落とし前をつけるための平和条約と領土返還です。島を返してもらうために妥協するべきではない。それは国際秩序に反することになり、本末転倒になってしまいます。
今後もしばらく厳しいロシア関係が続くでしょう。ロシア人の家族や友人も多い私も非常に苦しい1年3ヶ月でした。でも耐えるしかないと思っています。この先、生きていきたい世界をつくるためには。
講演後、会場から質問が紙で集められました。時間の関係から今後の情勢について触れている一つの質問が選ばれました。
Q. 今後、停戦合意が検討される可能性はあるのでしょうか。あるとしたらどのような内容になるのでしょうか。
A. 開戦後の2022年2月から3月に停戦交渉が行われており、4回目となるトルコでの交渉である程度の道筋が示されています。ウクライナは当面NATOに加盟しない、ロシア周辺で演習をしない。中立の重武装国家になる、といった内容です。これを下敷きとして7月のNATO首脳会合で話し合われるのではないかと言われています。有利な条件で戦争を終わらせられるように、戦争は続くでしょう。ただ来年2024年11月に、アメリカ大統領選挙でトランプが復活したらウクライナへの支援が破綻するかもしれません。プーチン大統領も2024年3月に選挙があります。もし再任されれば、大規模な動員などをするかもしれません。
閉会後、来場者にコメントをいただきました。北大公共政策大学院の卒業生の男性は「大学院時代にロシアに関係する研究をしていたこともあり、興味がありました。開戦から1年以上がたって、世間では正直関心が低くなっています。今はどのような状況か知りたくて参加しました。小泉先生は軽妙な語り口で、余談も交えながらで面白かったですね。一方で内容としては、戦争は続く見通しとのことで、暗澹とさせられました。両国の人が命を落とされると考えると、私も悲しいです」とお話されました。
無事講演会を終えた実行委員の学生さんにも企画の趣旨を聞きました。「模擬店も大切ですが、北大祭で学びの機会をつくりたいと考えました。講演していただく方としては、幅広い世代の来場者に関心を持っていただけて、SNSで発信をしていたりと話題の人を選びました。小泉先生は大変お忙しく著名な方なので、メールでのやり取りの際には失礼が無いようにしました。人を惹きつけるお話でとても面白かったです」
骨太かつ話題性のある企画を実現してくれた皆様、ありがとうございます。
注
- 本記事は講演会主催者である北海道大学大学祭全学実行委員会の許可をえて、講演の内容を要約したものです。文責は「いいね!Hokudai」にあります。なお講演はyoutubeで視聴可能です。北大祭事務局「第65回北大祭 小泉氏講演企画 生配信」(2023年6月4日)