「雪、降らないかな」と空を見上げるのは、元 大学院理学研究科教授の菊地勝弘さん(北大名誉教授)。菊地さんの専門分野は雲や雷、雪といった漢字に雨冠(あめかんむり)の付いた自然現象です。時には雲粒の電気的性質を調べるために手稲山に籠り、またある時にはまだ見ぬ雪の結晶を求めて南極や北極圏にも足を運んで観測研究を行いました。
今回は、中谷宇吉郎先生との思い出、菊地さんが取り組んできた研究、さらには、現在取り組んでいる新しい研究について伺いました。菊地さんが観ている景色に迫りました。
【小林 良彦・CoSTEP特任助教】
中谷宇吉郎先生の孫弟子として研究生活をスタート
「僕は中谷宇吉郎の流れをくんでやってきましたから。」と語る菊地さんは、当時の理学部地球物理学第三講座(気象学)として発足した孫野長治(まごのちょうじ)教授の大学院生として気象学や大気電気学(雷など)の研究の世界に飛び込みました。1957年のことでした。
「そういう分野を僕は“雨冠の気象学”って言っています。雲とか雨とか、雪とか雷とか。それを集中的にやりたいと思っていたのが中谷先生で、中谷先生の愛弟子が孫野長治先生でね。僕は孫野先生の研究室の1期生でした。」
孫野研究室のゼミは中谷研究室と合同でやっていたそうです。当時のエピソードも教えてくれました。
「大学院生は僕を入れて2名。教官は8名でしたので、贅沢なゼミでした。たまたま僕が論文紹介をやるときに、中谷先生が隣に座ってね。当時、パワーポイントはもちろん、まだスライドも使えなかった時代ですから、論文紹介のための資料は模造紙に筆でグラフとかを書いていました。それ見ながら中谷先生が「菊地君、今どこを説明しているんだい」と聞かれたりして、冷や汗ものでしたよ(笑)。」
中谷先生とも交流しながら勉強・研究に励んだ大学院生時代。菊地さんが孫野研究室でまず取り組んだのは雷に関する研究でした。
大変だったが楽しかった手稲山での雷研究
孫野先生は、雷雲の中の電気について明らかにするという研究テーマを掲げていました。その背景にも中谷先生の存在があったようです。「なんで雷だったのでしょうか」という質問に菊地さんは当時の雷研究の状況も交えて答えてくれました。
「中谷先生の随筆に『雪』と『雷』がありますね1)。雪の研究は結晶の分類と人工雪が有名ですね。雷については中谷先生が具体的に何かをしていたわけではないんです。中谷先生がロンドンに留学しているときに、シンプソンとウィルソンという研究者がいましてね。雷雲の電気的構造について論争をしていました。シンプソンは雷雲の上の方にマイナス(ー)があって下がプラス(+)、ウィルソンはいや上がプラスで下がマイナスだと言ってね、大論争になっていたんです2)。中谷先生は世界の大御所の先生方の論争を聞いて、面白いと感じて岩波新書に雷の話を書いたんですよ。」
中谷先生の新書をきっかけに国内でも雷雲の電気的構造がホットな話題になりました。菊地さんは、雷雲の中の電気を担っている雲粒や氷粒を”雲の中に入って”研究するために、手稲山頂へ向かいました。小さな小屋を二つ建てて、研究に励んでいたそうです。
「小屋は畳二枚分の広さでした。その中で寝たり、石油コンロでご飯を炊いたりしていました。もう一つ同じ小屋を建てて、そこに観測装置を置きました。」
小屋が雪に埋もれてしまった日もあったそうです。「辛くなかったんですか」と聞くと、「辛いとは思わなかったですね。」と笑顔で振り返ってくれました。菊地さんの手稲山での観測研究は、雲粒が液体のときはプラス(+)、氷粒になるとマイナス(-)に帯電していることを日本で初めて明らかにすることに成功しました3)。
1960年代からは、菊地さんの興味が雪の結晶に向いていきました。
まだ見ぬ雪の結晶を求めて南極・北極へ
中谷先生は、雪の結晶に関する研究成果をまとめた著書『Snow Crystal』4) で、雪の結晶を41種類の「一般分類」として表しました。さらに、それらの結晶の成長条件をダイヤグラムに表しました。これが雪の結晶の成長条件を温度と湿度で表した「中谷ダイヤグラム」です。当時は、“雪の結晶の種類はもうこれしかない”とも思われていたそうですが、孫野先生は違う考えを持っていたようです。
「雷の研究が一段落したら孫野先生が「雪の結晶はもっとあるんじゃないか」と言ってね。石狩平野やもっと広い地域で観測をして、“雪の結晶は中谷先生の言った41種類よりももっとあるぞ”と分かってきました。その結果、「気象学的分類」として80種に分類しました5)。」
孫野先生の興味が雪の結晶に向いていったことに併せて、菊地さんも雪の結晶の研究にのめり込んでいきました。そんな中、南極で不思議な雪の結晶が見つかりました。
「北大低温科学研究所に清水弘さんという方がいてね。その人がアメリカ隊で南極に行っていたんですよ。そのときに、“Long Prism”と呼ばれる雪の結晶を見つけたんです6)。“長い角柱”結晶ですね。これはセンセーショナルでした。中谷の分類、孫野の分類にもない結晶でね。へ~!まだあるんだ!と。」
菊地さんは1968年2月~1969年1月にかけての1年間、第9次日本南極地域観測隊越冬隊員として、南極・昭和基地に滞在し、気象に関する越冬観測を行いました。この南極での研究で、菊地さんは1974年に日本気象学会賞を受賞されました。さらに、1975年と1978年にはアメリカ南極観測隊員として、南極点基地にて研究を行いました。南極滞在中は、雪の結晶の研究にも取り組み、新たな発見を続けました。菊地さんは、これらの研究によって、1997年に紫綬褒章を受賞されました。
南極の次は、カナダの北極圏やグリーンランドでも雪の結晶の研究に取り組みました。北極圏でも「出てくるわ出てくるわ」という感じで新しい発見が相次ぎました。北極圏での研究は2000年代に入った後まで継続されました。その間、菊地さんは1998年に北大を退職され、1999年から2005年までは秋田県立大学で勤務されていました。
菊地さんは北欧などでも観測研究を行いました。足掛け40年にも及ぶ観測研究の成果を整理し、菊地さんは121種類の雪の結晶を載せた分類表を完成させ、2011年に発表しました7)。その分類表は、世界規模にわたっているため、「グローバル分類」と名付けられました。「北極圏での研究がなければグローバル分類はできなかったですね。」と菊地さんは振り返ります。
観ようと思えば観える
菊地さんは学生や若者に贈る言葉として「観ようと思えば見える」というフレーズを好んで使っているそうです。そのフレーズには、菊地さんの研究者としての姿勢や心構えが込められていました。
「僕は南極や北極で雪の結晶をたくさん観ているうちに、こんなのもある、あんなのもあると、新しい雪の結晶を発見できました。僕が見つけた雪の結晶も昔から降っていたはずなんですよね。だけど、“あ、これが雪ね”で終わっていたから、分からなかったのであってね。つまり、観ようと思わないと、どんなものでも本当の姿が見えてこないと思っています。」
観ようと思う。これは研究の根底にある大切な姿勢だと、菊地さんの話を聞きながら、改めて感じました。
俳句と気象学を行き来する日々
秋田県立大学を退職された後、菊地さんは札幌に戻って生活しています。現在は俳句に没頭しているそうです。季題(季語)には気象用語が多いことも俳句が菊地さんを惹きつける要因のようです。
菊地さんは俳句をやる際にも、「観ようと思う」姿勢を貫いています。つい最近も、季題(季語)として使われる気象用語に関する研究を進めています9)。
一呼吸置いて、観ようと思う。すると、今まで見えていなかった景色を見ることができるのかもしれません。それは、俳句で詠まれるような、身の回りの自然現象に対しても言えることなのだと思います。
とは言え、俳句は一筋縄ではいかないようです。「だけれども、観えたからといって、俳句が上手になるわけじゃないんですけどね(笑)」という菊地さんの呟きに笑い合って、取材を終えました。
注・参考文献:
- 中谷宇吉郎 1939:『雪』岩波新書、中谷宇吉郎 1939:『雷』岩波書店.
- 現在では、雷雲は下層の一部がプラス、中層がマイナス、上層がプラスに帯電しており、「3極構造」をなしていることが分かっています。より詳しく雷について知りたい方は、以下の菊地さんの著書も参考になります。
菊地勝弘2008:『雲と霧と雨の世界』成山堂書店、菊地勝弘 2009:『雪と雷の世界』成山堂書店. - 孫野長治・菊地勝弘 1960:「冬期の雲粒の電荷測定」『雪氷』22巻2号,41-47.
C. Magono and K. Kikuchi 1961: “On the Electric Charge of Relatively Large Natural Cloud Particles”, J. Meteorol. Soc. Jpn. 39, 258-268. - U. Nakaya 1954: “Snow Crystals, Natural and Artificial” Harvard Univ. Press.
- C. Magono and C. W. Lee 1966: “Meteorological classification of natural snow crystals”, J. Fac. Sci. Hokkaido Univ. Ser. VII 4, 321-335.
- H. Shimizu 1963: ““Long Prism” crystals observed in precipitation in Antarctica” J. Meteorol. Soc. Jpn 41 305-307.
- 菊地勝弘・梶川正弘 2011:『雪の結晶図鑑』(北海道新聞社).
- K. Kikuchi, et al. 2013: “A global classification of snow crystals, ice crystals, and solid precipitation based on observations from middle latitudes to polar regions” Atmos. Res. 132, 460-472.
- 菊地勝弘 2021:「歳時記と気象用語」『天気』68巻1号,31-35.
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