北海道の風土病、エキノコックス症の原因となるエキノコックスが愛知県知多半島で確認された、という話題が今月中旬頃からTwitterを中心に注目されています。とはいえTwitterに限らなければ、この関心の高まりは今月に入ってからでもなさそうです。「いいね!Hokudai」で過去に掲載したエキノコックス関連記事は、昨年末からアクセス数10位前後を保ち、今年度に入ってからはさらに順位をあげ1~4位に位置しています。
今注目をあつめているエキノコックスの感染状況の実態と今後の対策について、エキノコックスとキツネの生態、その対策が専門の池田貴子さん(高等教育推進機構 特任講師)にコメントを頂きました。
【川本思心・理学研究院/CoSTEP准教授】
ネズミとキツネをめぐって生きる寄生虫、エキノコックス
エキノコックス症は、エキノコックス(Echinococcus multilocularis)という寄生虫が人間の肝臓などに寄生し、重い障害や死を招く感染症です。エキノコックスはネズミの体内で育ち、さらにそのネズミをキツネなどが食べることでキツネの体内に移りすみ、そこで成虫になります。そして成虫が産んだ卵は糞とともに野外にはなたれ、その卵が付着した水や食べ物を介して再びネズミの体内に入る、というサイクルを繰り返します。
エキノコックスはネズミやキツネの体内では実質的な悪さをしません。しかし、人間の体内にはいると重い病気を引き起こしてしまいます《エキノコックス症の詳細はこちらの過去記事をご覧ください》。
道外にもある感染事例と近年の動向
エキノコックス症は北海道の病気というイメージがありますが、実は北海道以外でも1927年から2001年までに計77名の患者が確認されています1)。とはいえ、そのうち51名は北海道や国外で感染して現地に移動した例です。そしてその他は感染ルートが不明なものでした。
しかし2000年代からこの状況が変わってきていると、エキノコックス研究と対策に長く携わってきた池田貴子さんは言います。「道外でエキノコックス症患者が出た場合は、北海道への渡航歴を調べるのですが、近年、渡航歴がない人や犬での感染例が出てきていました。そしてさらに、野犬での感染が確認されはじめているというのが今の状況です」。
北海道以外ではじめてエキノコックスが「発見」されたのは2005年、埼玉県北部で捕獲された犬の糞からでした2)。その後、愛知県知多半島で2014年に1例、2017年に2例、2018年に1例、2020年に3例と報告が続きました。そして今年2021年2月には2例が報告されています3,4)。この状況が今、SNSで注目を浴びているのです。
野生犬の糞からエキノコックスが発見されたということは、つまりその土地のネズミの中にもエキノコックスが存在しているということであり、他の地域から一時的に持ち込まれたものではなく、自然界で増殖していることを意味します。その点で2000年代以降の本州でのエキノコックス確認は大きな変化といえます。
不明な点もあるが北海道以外でも拡大傾向か
ただし、最近急速に感染が拡大しているのかというと、そうとは言い切れない、と池田さんは釘をさします。「エキノコックス症は“見えない疾患”とでも言えるでしょうか。野生動物の間だけで完結しているうちは、人間はその存在を認識できません。本当に昔は本州にいなかったのか、最近になって急に感染地域が拡大しているのか、実ははっきりはわかりません。昔の本州の獣医師はエキノコックス教育をあまり受けていないので、仮に糞便検査で卵が出ていても、よもやエキノコックスだとは思わない、ということもあったそうです。しかし、キツネやイヌに対するエキノコックス診断法が確立されてからは、早く正確に検査できるようになりました。そして少数ですが事例が報告されはじめたことで専門家の関心も高まり、より検査が行われ、発見されてきている、という側面もあります」。
検査が自然界でおきている感染状況を正確にとらえているかどうかは、不確実な部分があるというのは現在の新型コロナの問題でも同様です。しかし、エキノコックスの専門家たちの見解としては、本州でもエキノコックスが確実に増えつつあると見るべきだろう、という点で一致していると池田さんは話します。
元々は北海道にもいなかったエキノコックス
私たちの最大の関心は、今後本州でもエキノコックスの生息地域が拡大するのか?ということでしょう。それを考える上で北海道の事例が参考になります。実はエキノコックスは北海道には元々いませんでした。1924年から26年にかけて、道北の日本海側にある礼文島に、千島列島の新知島からキツネが導入されました。その目的は毛皮と野ネズミ駆除です。しかし、このキツネたちはエキノコックスに寄生されており、そこから大流行が起きてしまいました5)。
1936年の発生確認から収束の1965年までの厳しい感染状況と患者の病態、そしてキツネだけではなく飼い犬や飼い猫まで駆除したという苛烈な対策は人口に膾炙され、年配の道民であれば皆強烈なイメージをもってエキノコックス症を語るといっても過言ではありません。
その礼文島での感染収束も束の間、同年には道東地域で患者が発見されました。これは千島列島から流氷にのってやってきたキツネによるものではないかと考えられています。その後、感染者確認地域は次第に西へ西へと広がり6)、現在ではほぼ北海道全域でエキノコックスの存在が確認されています。このように、名実共に「北海道の風土病」になったのは実は90年代に入ってからで、感染者数は増加傾向にあります5)。
本州での拡大の可能性は?
気になるのは話題となっている愛知県、さらには本州の他の地域へのエキノコックスの拡大です。池田さんは「その可能性は十分ある」と考えています。エキノコックスは、キツネや犬とネズミが同じ場所にすんでいる場所であれば、その土地に定着することができます。そして、毎年のキツネの子別れやオスの移動と共に生息地域を拡大していく可能性があります。
「ネズミはそこまで行動圏は広くないので、主にキツネや野犬が感染地域を広げていくはずです。北海道では都市部にキツネが出没することも多くなっているため都市ギツネへの対策も行っていますが、その点についても検討が必要になるかもしれません」と池田さんは指摘します。ネズミの駆除は個体数の多さから現実的ではありませんし、生態系へのバランスもはかりしれません。キツネの駆除も、また翌年よそからやってくるだけなので効果はありません。そして今後重要になるのは都市ギツネへの対応ということが、池田さんの指摘から一つ浮かび上がりました。
都市では必然的にキツネやキツネがすむ環境に関わる人々は多くなります。そのため、持続可能で実効性のある対策を検討し、決定するための関係者間の調整もより重要になります。エキノコックス症の対策には単に生態学・獣医学の専門性だけではなく、科学と社会の関係性を捉え、協同的に整理し、改善していく科学技術コミュニケーションの観点と専門性が必要になります。池田さんは科学技術コミュニケーションの専門家として、札幌における都市のキツネ問題に取り組んでいます《池田さんによる都市ギツネ対策についてはこちらの過去記事をご覧ください》。
求められる「入れない」「増やさない」ための組織的な対策
エキノコックス症防止のためには、組織的・個人的な対策を多層的に実施する必要があります。まず「入れない」対策です。エキノコックスの生息地域は北海道のため、道内から道外へ飼い犬を移動する際には検疫体制を設けるべき、と考える研究者もいます。
次に「増やさない」対策。いわゆる虫下しが入った餌(ベイト)をキツネに食べさせる方法です。駆虫薬入りベイトを月1回程度散布することで、キツネに寄生しているエキノコックスを減らすことができます。しかし、ベイトまきは半永久的に継続する必要があり、また全域へ散布することは現実的ではありません。この点について池田さんは解決策と課題を以下のように指摘します。
「キツネと人間との距離の近い地域に限定してベイトを散布すれば、効果は高いですし、経済的にも十分可能なはずです。ただしそのシステム構築はとても大変で、人材・資材ともに大きな初期投資が必要になります。なので北海道でもなかなか進んでいません7)。ベイト散布場所の選定、散布者の安全確保、ベイト製造方法などの専門知識とノウハウが必要です。個々の公園事業としてではなく自治体主導で人材や材料をとりまとめて実施するのが効率的でしょう。対策のイメージとしては除雪ぐらいの必須事業かなと思います」。
個人でできるエキノコックス症対策とは
このように、組織的な対策が根本的な解決策となりますが、それを待っているわけにもいきません。個々人の対策も必要です。
まず「キツネの糞を体内に入れない」。エキノコックスの卵が入っている可能性がある沢の水は飲まない、山菜はよく洗って火を通す、土を触ったらうがい・手洗いをするなどの対策が基本です。また、卵は非常に小さいため、糞が風化して埃と一緒に風に舞いあがる場合もあります。エキノコックスは乾燥に弱いのでそのころには病原性はなくなっているといわれていますが、心配な場合はマスクをするのも有効です。
つぎに「検査をする」。上で述べたような機会が多い人は、年1回ほど採血によるエキノコックス検査をするのがおすすめです8)。早期発見ができれば、飲み薬でエキノコックスの成長を抑えることができます。また初期であれば手術での摘出も可能です。
「犬や猫を放し飼いにしない」という対策もあります。もし犬や猫が外で感染ネズミを食べると、エキノコックスに感染してしまい、その糞を通して飼い主にもうつる可能性があるからです。
そして重要ですが難しいのは「キツネを必要以上に人間の生活圏に近づけない」という対策です。餌を求めてゴミに寄ってこないように捨て方に気を付けたり、キツネに餌付けはしないようにしなければなりません。この対策は一人が実施してもあまり効果がなく、地域的にとりくまなければなりません。池田さんも「ただひたすら悩みどころです・・・」とその難しさを吐露します。
美しいキツネたちと、ともに生きるために
エキノコックス症は現実のリスクとして存在します。そしてそのリスクは今後、北海道以外でも高まっていくと思われます。しかしキツネは生態系の一員であり、また古くから人間と関わってきた生き物です。様々な民話や絵画などで登場するキツネはその証です。キツネを単に排除するというアプローチではない道を探っていく必要があるでしょう。キツネを愛する一人である池田さんは以下のメッセージを寄せてくれました。
「キツネは、人間の営みのすぐ近くに生きています。彼らを独立した一種の動物として尊重し適度な距離を保つのが、人とキツネが共生できる環境作りへの近道ではないでしょうか。美しいお隣さんと、いつまでも上手にお付き合いしたいですね」
参考文献・注:
- 川中正憲 2001: 「エキノコックス症とは」『感染症発生動向調査 週報(IDWR)』48 (2021年8月26日参照).
- 山本徳栄 他 2005: 「埼玉県内の犬の糞便から検出されたエキノコックス(多包条虫)の虫卵」『病原微生物検出情報(IASR)』26(11), 307-308.
- 愛知県衛生研究所 2021a: 「愛知県内でエキノコックス陽性犬が発見された地域」2021年4月6日(2021年8月26日参照).
- 愛知県衛生研究所 2021b: 「エキノコックス(多包条虫)調査-検査結果月報」2021年8月4日. (2021年8月26日参照).
- 八木欣平 2019: 「北海道のエキノコックス症流行の歴史と行政の対策」『病原微生物検出情報(IASR)』40(3), 43-45.
- 池田さんによると、エキノコックスの道東から全域への拡大の調査記録が、生息地域の実態と一致しているかどうか、キツネの生息域や密度がどう影響したかは不明とのこと。これらを分析するために必要なキツネの個体数調査がほぼなされていないことが原因。
- 道内で行政策としてベイト散布を行なっているのは、ニセコ町や留寿都村などのごく一部。現在、札幌市内では市の施策ではなく各都市公園が独自に行なう事業として数か所で実施されているのみ。
- 自治体によって対応は異なるが、札幌市の場合、市民は各区の保健所で無料検査を受けられる。(2021年8月26日参照)
エキノコックスに関するこちらの記事もご覧ください
- 【クローズアップ】#144 エキノコックスだけじゃなかった!~キツネへの「餌付け」がもたらす弊害とは~(2021年04月19日)
- 【クローズアップ】#106 「エキノコックス」ってどんな生き物? ~感染しないために敵を知る~(2019年07月09日)