せっかく北海道に住んでいるなら、北海道のアイヌの歴史を学びたい!そんな願いを叶えてくれる研究者が北大にいます。先住民考古学が専門で、アイヌの歴史や文化に明るい加藤博文さん(アイヌ・先住民研究センター 教授)です。「先住民考古学」とは先住民族と協調しながら共に研究する考古学のことをいいます。本州や大陸との関わりの中で独自の文化を形成してきたアイヌ文化の変化と魅力を聞きました!
【野澤茉衣里・経済学部1年/美濃又理華・総合理系1年/李墨含・理学部2年】
まず初めに、先住民考古学とはどのような学問なのか教えてください。
先住民考古学というのは先住民族の人たちがたくさん暮らしている地域で1960年代以降に生まれた学問なんです。一番メジャーな定義は、「先住民考古学というのは先住民族のために先住民族と共に、先住民族によって研究される考古学である」というものです。
これは先住民について研究する考古学とは対照的な考え方です。ある歴史の段階で外から人が入植してきて前にそこに住んでいた人たちを自分たちと同じ生活の仕方、言語、教育制度に巻き込んでいきます。そのことに影響を受ける側の人たちが納得していなければそれは受容ではなく「同化」と言います。
近代化の気運の高まりとともに同化が進められてきました。その見直しがカナダ、アメリカ、オーストラリアなどで行われ、抑圧されていた人が解放され、自分たちの文化を自分たちの考え方で評価しようという動きがでてきます。考古学の世界でも、自分たちの考え方で、自分たちの文化、歴史を語ろうという考えがでてきました。これが先住民考古学です。
1960年代に先住民考古学が生まれた背景は何なのでしょうか。
1960年代はアメリカで公民権運動が起きた時代です。アフリカ系アメリカ人の運動、ブラックパワーに加えて、アメリカ先住民の運動、レッドパワーというのがありました。多様な民族集団構成の中で、アメリカ先住民も1960年代に権利回復運動を行っていたんです。その中で、文化や歴史は誰ものなのかという問いかけが始まりました。更に、1960年はアフリカの年と呼ばれてアフリカの国がたくさん独立しています。今まで抑圧されてきた人が権利を主張し始めたのがちょうどこの時代なんです。
数ある先住民族の中でアイヌを研究することを選んだ理由は何でしょうか。
私は幼少期を北海道で過ごしましたが、アイヌの事をほとんど知りませんでした。私が大学院で考古学を学んだときは人類がアフリカからどのように世界中に広がり、文化多様性を開いたのかに関心を持っていました。北大に着任した当初は北方考古学というテーマでシベリアなど北方圏の人類の歴史の研究し、教えていました。
しかし、2003年に当時の中村総長がアイヌに対する植民地政策を牽引してき北大、その前身である札幌農学校とアイヌとの関係性を見直す目的で、アイヌ民族と先住民の研究をするためにアイヌ・先住民研究センターを設立しました。その研究センターで考古学が先住民族とどのように関われるかを考えた時、北海道出身でもアイヌや北海道についてよく知らないという事に気づいてアイヌ、先住民族との関係を考え始めました。
ですから、学生時代から関心があったわけではないんです。北大に着任しなければアイヌ民族の歴史や文化についての研究をしなかったかもしれません。
同化を強要されることでアイヌの文化にどのような変化があったのですか。
江戸時代、日本は外国との交流を組織的には停止し鎖国状態にありましたが、完全に外国との交流がなかったわけではなく、「四つの口」が開かれていました。その一つがアイヌ民族と交流を持っていた北海道の松前口です。また、アイヌ民族は北の沿岸部をつたって樺太、さらには大陸を渡って交易をおこなっていました。このように、アイヌの人たちの文化は大陸と本州の接触を持ちながら育まれ、形作られてきたんです。
江戸時代には当初は対等に、もしくは松前藩が譲歩していたアイヌと松前藩の関係も300年近い時代の中で変化し、最終的にはアイヌが松前藩に支配されるようになりました。そして、明治維新を境にアイヌ民族の生活や文化の一番大きく変化しました。近代化の枠の中で、今までの山や川で資源を採取したり、狩を行うといった独自の文化が停止され、学校ではアイヌ語ではなく日本語を学ぶことを強要されるようになり、アイヌ文化を次の世代へ継承することが難しくなっていきました。
アイヌ文化が復興する兆しが現れたきっかけはありますか。
1997年にアイヌ文化振興法が制定されたことです。この法律の下、アイヌの伝統や文化の保護に国からの助成金が出るようになり、アイヌ語の復興運動やアイヌの伝統的な歌や踊りの保存会の活動が盛んになりました。しかし、この段階ではまだ政府はアイヌを先住民族として公式には認めていませんでした。その後、2019年にアイヌ施策推進法が制定され、法律文書にアイヌ民族が日本の先住民であることが明記されました。また、この延長で2020年に設立されたのが民族共生象徴空間ウポポイです。そしてこの施設は日本で初めて作られたアイヌ民族をテーマとした国立の博物館です。
加藤さんはアイヌ文化のどのようなところに興味を持っているのでしょうか。
アイヌ文化を構成する要素や世界観、精神性が今私たちが住んでいる北海道の生活空間であるこの大地とどのように関係しているのか、考えていくことに興味を持っています。
アイヌの人たちの精神文化や世界観には独自のものがあります。例えば、「カムイ」神様とも日本語に訳されますが、この「カムイ」という存在を中心として、自分たちが関わるあらゆる自然界の資源や動植物、山や川に「カムイ」を見出します。あらゆるものが自然界からの贈り物と理解し、一方的な搾取はなく、贈り物に対しての対価を丁寧に返さないといけません。このような考え方を互酬性と言い、それは熊送り¹だったり、色々な贈りの概念に結び付くのです。
一方で、アイヌ文化からは、周辺と隔絶して成立する文化は存在しないということが理解できます。私たちは他の文化を説明する際に、独自の要素を抜き出したいと思いますよね。しかし、アイヌ文化で言えば首飾りを飾る青いガラス玉は大陸から、儀式に必要な酒は本州から持ち込まれたものなのです。ここからも一つの文化がいかに周辺の社会や文化と交流をしながら、必要なものを入手し組み合わせながら成り立っているが分かります。そういった見方は、私たちの日本文化に置き換えてみても参考になります。
最後に、アイヌ文化を存続させるために一番大切なことは何だと思いますか。
これはすごく本質的な問題ですね。
アイヌ文化を次の世代に継承していくためには、一番大事なのはアイヌの人たちが自分たちの祖先から受け継いできた言語であるアイヌ語を学ぶ機会を確保することです。理想的なのは、アイヌ民族出身の子どもたちが自分の言葉を学校教育で学ぶ機会を確保することですが、今の学校教育の中でアイヌ語を教えられる先生はほとんどいません。ですから、まずアイヌ語の先生の育成し、最終的には少なくとも北海道において、アイヌ語が公的に使える言語になっていくことが将来の一つのゴールだと思います。
もう一つ大事なことは、アイヌ民族の出身の人がなんの恐れもなく、「自分はアイヌ民族である」と言える社会を作ることなんです。実は現在、日本で暮らすアイヌの人たちの人口は正確にはわかりません。北海道庁は定期的にアイヌ民族人口を調べる生活実態調査を行っていますが、それに回答しているのは自身のアイデンティティーを積極的に証明した人だけで、差別を恐れて出自を明かしていない人たちは含まれてません。彼らがなんの恐れもなく自身のアイデンティティーを主張できる社会を作っていくことが、とても大事なことだと思います。
《後半に続く》
注・参考文献
- 熊送り:別名イオマンテ。春先に熊がまだ巣穴の中で冬眠して子熊を抱えている母熊を狩る「春熊猟」という伝統。子熊は村で1年ほど育て最終的には熊を送る(=神に返す)という形で殺す。
この記事は、野澤茉衣里さん(経済学部1年)、美濃又理華さん(総合理系1年)、李墨含さん(理学部2年)が、全学教育科目「北海道大学の”今”を知る」の履修を通して制作した成果物です。