「大学教員には、自分の知っていること、学んだことを人々に伝えていく責務があります。その責任を果たさないことは「不作為の罪」を犯していることだと私は思いますね。」「不作為の罪」というのは何もしない悪さのこと。大学教員が新しい研究成果や、自分が培ってきた知見を人々に伝えようとしないことは、いわば「罪」である。山中康裕さん(地球環境科学研究院・教授)はそう言います。
その言葉の通り山中さんは自身の専門である海洋生態系モデル、地球温暖化、持続可能な社会の分野の最新の知見を積極的に導入した教育プログラムを北大で提案してきました1)。現在は、中高生への教育にも目を向けており、さまざまな世代に大学の教育を届けています。それらの教育の試みには「研究という思考の方法を伝える」というぶれない軸がありました。山中さんはこの研究という思考法を、先日ノーベル物理学賞を受賞した真鍋叔郎先生から教わったと言います。山中さんが真鍋先生から受け継いだ研究的思考法、そしてその思考法に基づく教育実践についてお話しを伺います。
【福島雅之・CoSTEP17期本科生/農学院修士1年】
新渡戸カレッジでのSDGs教育の導入など、山中さんはこれまで数多くの新しい教育を実践してきました。今では「持続可能な世界・北海道高校生コンテスト2)」などを開催して、中高生にもそういった教育を届けていますね。
こうした実践活動は準備を含めて、たいへんな面が多いのですが、大学教員には知っていることをしっかりと伝えていく義務があると私は思っています。具体的には、人々の学ぶ意欲を支えるために必要不可欠な研究という思考の方法を多くの人にしっかりと広めることが求められています。
研究という思考の方法とは具体的にどのようなものでしょう?
大学院って何を学ぶところでしょうか? おそらく、ただ専門的な知識を学ぶ以外の役割が大学院にはあります。いわゆる「探求」と言われるような活動に求められる力です。それは、しっかりと問いを立てて、その問いに対して答えを与える力だと私は考えています。
確かに、来年度から高校に導入される「総合的な探求の時間」3)でも、リサーチクエスチョンを立てる力が重視されていますね。
そうですね。でもね…「大事なのは正解のない問題を考えることだ」と一般的によく言われるじゃないですか。私はこれってぜんぜんだめな考え方だと思っています。なんでその問題に正解がないように見えているのかというと、そもそも、しっかりとした問いが立てられていないからだと思うんです。ぼんやりとしたものに具体的な形を与えていく力、答えを見出していく力が探求の活動においては必要とされています。このような力は大学教員のもつ研究的な思考法の一つです。この力こそが、研究分野を変えても、研究から離れても重要なのです。
私も20年くらい前までは、学部までは知識をしっかりとインプットして、卒論あたりから徐々に自分の主張をアウトプットしていく、といったイメージをもっていました。しかし、今では、中高生にまで自分の主張をアウトプットしていくことが求められているんですよね。だから、そうした力を育むための教育を中高生にも提供しています。
リサーチクエスチョンの上手な立て方の具体例などはありますか?
論文は他の人にわかってもらうための形式ということに他なりません。つまり、「IMRAD4)」とか言われますが、それは落語で言うところの、まくら、本題、オチといった「型」に過ぎず、本質的なことではありません。重要なのは、全体の目的を踏まえながらディテールを整えていくことだと私は考えています。そして、その例がまさしく真鍋叔郎さんなんですよ。
それはどういうことですか?
貧弱で雑なやり方でやっているのに後から見て素晴らしい答えがどうしてこの人はわかったんだろうと思えるような研究というのが私の一つの理想なのですが、真鍋先生の研究が実はそういう研究だったんです。
真鍋先生がノーベル賞を受賞した研究は、二酸化炭素が増えれば地球の気温が上昇し、地球温暖化につながることを明らかにしました。その際に、複雑な関係を数式化して、世界で初めて大型コンピュータを使って予測したのです。しかし、やり方はシンプルで明解で、「二酸化炭素濃度を2倍に設定したら気温にどう影響するのか」をシミュレーションしました。その結果、「地表では気温が2.36℃上昇する」という結果がはじき出されました5)。この結果は、最新のコンピューターを活用した気候研究でもその予測値はおよそ3℃と、近い値を示しています。
その真鍋さんの研究的な思考の方法にまさしくリサーチクエスチョンの上手な立て方が表れているということですか?
真鍋先生の研究成果は、最新の研究成果から見たら「こんなちゃちなやりかたでやっちゃっていいの?」と批判されるかもしれないけど、今それを入れといたらコンピューターのシミュレーションが動くんだからやっておきましょうという発想に立っている。コンピューターでシミュレーションをする際は、系が閉じなければいけない。だから、一番シンプルでバランスの取れた方法で行うような研究スタイルで行う必要があるのです。
問題を考える際に、「ここがわかんないよね」というならば、分からないことに固執するのではなく、とりあえず「こういう仮定のもとでもっともらしければいいんじゃない? 全体の見栄えは動かしてみてから考えてみようよ」というのでOK。このようにして、ぼんやりとしたものに具体的な形を与えていく力、そうして答えを見出していく力が真鍋さんの研究にはあったんです
ワークするかどうかということを一番重要視しながらやっている。やはりこの問いの立て方がうまいということですね。
プログラミングのモデル化・シミュレーションをするにはこういうセンスが必要とされます。例えば、プログラムのミスが一つでもあれば動かないから、とりあえず系を閉じさせなければならない。問題の立て方でも、とりあえず今はこれくらいの分かり方だからここはこれくらいにしておこうとか、全体から見たときにここが粗すぎるからよくしようとか、そういう発想で研究を行っています。
だから私も「デザイン思考」だと言われますね。つまり、ディテールもちゃんと押さえながら、それと同時に全体のフレームワークも押さえられているということですね。全体で期待されている程度の美しさにしておけばよい。こういうことを真鍋先生から学んだと思います。
全体が動くように、全体とのバランスを踏まえながら問いを立てていくことが重要なんですね。
社会的な意義というのはやはり研究にとっても必要なんですよ。全体として動いているのかを判定するための重要なポイントだからです。私はここで何を明らかにしたいとか、研究とは何の意味があるのかということを常に忘れないようにしています。実は、気候モデルやシミュレーションというのは、ミクロな方程式・法則とマクロな結果の整合がとれるかということがシミュレーションの醍醐味なんですよ。
このような思考法はまさしく大学で研究をしている先生方のもつ知恵ですね。それがこれからも多くの人々に伝えられるとよいですね。
そうですね。研究の思考の方法はこれまで大学院でしか教えられてこなかったものです。しかし、それは、社会においても今後、必要とされてくるものでしょう。この方法を、社会に伝えていくことを通じて、人々の学び続ける意欲を支えることが、これからの大学がやるべきことの一つだと思います。
例えば、ときどき高校の先生などの社会人の方が私の大学院に入ってくるんです。「教育学部でなくて私のところに来ていいの?」と聞くんですけど、先生方は「教育学部では、教育のことしか学べません。私たちは、社会が今どうなっているのかを知りたいんです」と言います。私自身も、そういう人々と話すことでとてもたくさん得られるものがありますし、彼らも私から得られるものがあればよいと思って、ディスカッションの機会を多く設けています。
多くの人に研究の思考法を伝えていくことは、たいへんなことですけど、やはり「不作為の罪」という言葉が今の私にとっては最大の原動力です。つまり「知っている者の責務」として、自分の知っていることを伝えていく義務がある。これは高等教育を担うものの責務ですよ。今後あと何年こういう仕事ができるかわかりませんが、できるだけ多くの人に私が培った研究の思考法を伝えていきたいと思っています。
注・引用文献:
- 例えば、今では浸透しつつあるSDGsが国連で採択される2015年9月以前に、SDGsの講義を北大の新渡戸カレッジで導入している。
- 北海道の高校生を対象としたコンテスト。「総合的な探究の時間」の授業や部活動で行った探究、学外団体と協働した活動の成果などをSDGsと絡めて発表し、学びを深めることを目的としている。詳しくは以下を参考にされたい。エコチル 2021:「中高生版|SDGsに関する作品を募集!「第4回持続可能な世界・北海道 高校生コンテスト」」(掲載日:2021年11月2日)(最終閲覧日:2022年3月8日)
- 横断的な学習を行うことを通して、課題を解決し、自己の生き方を考えていくための資質・能力を育成することを目標とするために行う時間のことを指す。詳しくは以下を参考にされたい。文部科学省 : 「総合的な学習(探究)の時間」(最終閲覧日:2022年3月8日)
- IMRADとは、序文(introduction)、方法(Methods)、結果(Result)、そして(And)、議論(Dicussion)の頭文字をとったもので、論文の構成の代表例のことを指す。Academic Post :「「論文の構成 “IMRAD” を説明できますか?」論文書き方講座1」(最終閲覧日:2022年3月8日)
- Syukuro Manabe et al 1967:”Thermal Equilibrium of the Atmosphere with a Given Distribution of Relative Humidity”, JOURNAL OF THE ATMOSPHERIC SCIENCES, vol. 24, No. 3.
- パーソル テクノロジースタッフ 2021:「デザイン思考とは|あらゆるビジネスに応用される考え方の5つのプロセス」(掲載日:2021年5月28日)(最終閲覧日:2022年3月8日)
山中康裕さんを紹介しているこちらの記事もご覧ください。
- 【クローズアップ】#159 地球温暖化研究がノーベル物理学賞 ~受賞した真鍋氏ゆかりの研究者に聞く~(2021年10月6日)
- 【みぃつけた】#3 ペンギンの群れ(2014年3月26日)
- 【ジョインアス】CO2排出ゼロ!ベロタクシーがキャンパスを走りす(2013年11月1日)