本記事の前半では、北海道大学農学研究院教授の上田宏一郎さんにお話しを伺い、北海道大学の農場について、特に農場の土壌と牧草について紹介しました。後半では、引き続き上田さんのお話をもとに、牛と牛の胃に住む微生物の共生関係、上田さんの人柄や研究に対する思いをまとめていきます。
【田中惠/総合理系1年・吉岡やや/総合理系1年・田中優輝/総合理系1年・德留尭伸/総合理系1年・熊谷結祈/文学部1年・上野敦大/法学部1年】
牛の体にあけられた穴
あの牛は研究用に作ってある牛なんです。牛が四つの胃を持っていることは知っていますよね。四つの胃のうち、一つ目の胃がメインの胃なんですけど、この胃液の中には1mLあたりで10の6乗から10の7乗くらいの無数の微生物が生きてます。これらの細菌や原虫といったものが牛の食べた草を分解します。僕ら人間がこの草を食べても消化できません。牛も牛自身が持ってる酵素では分解できないんですけど、第一胃のなかにいる微生物は分解することができる。こうした微生物の働きを調べるために、胃に穴をあけています。
穴の役割
第一胃はだいたい100~150Lくらいあって女性がひとり入れるくらいの容積があります。入りたくないと思うけど(笑)。この前は、胃の中の草を全部取り出して、どういった草の食べ方をしているかとか、発酵の状態がどうなっているかを調べました。胃の中には草がだいたい100㎏以上入っていて、最も多くて140㎏くらい入っています。学生と一緒に胃液まみれになりながら取り出しました(笑)。
微生物の発酵
微生物は牛の食べた草を原料にして発酵をすることによって有機物の生産を行います。草にはセルロースが多く含まれますが、糖分はあまり含まれていなくてほとんどが繊維です。胃の中の微生物はセルロースを分解して酢酸やプロピオン酸を作ります。微生物はこの過程でATP(アデノシン三リン酸)を作り出します。牛は微生物が作った酪酸やプロピオン酸を吸収して、それをもとにしてATPを作りだします。
微生物とタンパク質
牛の中の微生物はタンパク質を食べて、アンモニア(NH3)まで分解します。牛もさすがにアンモニアからタンパク質を作ることはできません。しかし、ここで、また微生物の出番です。微生物がアンモニアをもとにしてタンパク質を合成します。このタンパク質が胃から小腸に流れて、牛はアミノ酸として吸収することができます。これが牛と微生物の共生関係です。
上田さんがこの研究を始めたきっかけ
私が牛についての研究を始めたのは、学生時代でした。
当時は、牛がどれだけ草を食べるのか、微生物のはたらきによって草がどれだけ消化されるのかについて研究していました。そして、当時所属していた研究室の研究を引き継ぐことで、学生時代の研究の発展型である今の研究を始めました。
北大農学部が設立されて以来、100年以上続く伝統の中で、牛を飼育して、どのような餌をどれぐらい食べるのか、牛乳の収量はどれだけか、について研究しています。牧草を餌にして牛を放牧することで、土には微生物がたくさん生息し、栄養に富んだ土になります。その結果、牧草はより豊かに生育します。
このように、牛と草とが互いに良い影響を与えあう酪農こそ本来あるべき酪農の姿であり、実際にキャンパス内で放牧するのは、北大ならではのことです。北大で牛の世話をした学生が、将来、北海道中ひいては全国に、このあるべき酪農を広めてほしいですね。
伝統の7ヘクタール
ここにいる乳牛は、1876年からその遺伝子を受け継いで、ここで飼われ続けています。なので今ここでの研究はその伝統に基づいていると言ってもよい。そう思うと、自分の興味だけで違うことをするというのは、なかなかできないですよね。引き継がれてきた研究の伝統を守り、「北大農学部としてのカラー」を守っていく。この7ヘクタールはそのためにあると思っています。
もちろん最先端の研究も行いますし、自分たちの研究成果を社会に伝えていくことも重要です。だけど、基本は知識を持った学生を育てて世の中に輩出していくこと。その学生たちが会社や農家、農協に勤めたりして広めてくれれば7ヘクタールが無駄にならない。北海道や、日本を支える7ヘクタールになる。そういう日が来るはずだと思っています。
酪農の本質と魅力―人間がすべきことは―
濃厚飼料や穀物に頼らず、できるだけ良い草だけを使って、たくさん良い牛乳を搾りたい。長い時間はかかるけれど、土や草の本来あるべき姿を研究してそのメカニズムの科学的根拠に基づいた酪農をするというのが、一番重要だと思います。一口に農業と言ってもビジネスや経営などさまざまな取り組み方があります。でも、やはり自分の手を汚して、自分で積み上げていくことでしか得ることのできない、自分でやったことの実感というものが確かにある。それはただ勘でやるのではなく、何らかの経験や先人の知識、科学的根拠に基づいて酪農をするということです。その結果、生産物が出来上がったらそれはすごく嬉しい。この点に魅力を感じる学生も時々います。そしてそこに酪農の本質があるのではないかと思います。
取材を通して
「北海道大学が始まってから続いている歴史のある研究を、個人の興味だけで途切れさせることはできない」という上田さんの言葉が私には印象的でした。上田さんの研究者としての使命感ややりがいといったようなものをその言葉に感じたように思います。また、上田さんは、現場での学びを大切にしていらっしゃるのが言葉の節々から伝わってきました。インタビューの中でも、「本来の農業」を強調なさっていて、「自分の手で苦労して積み上げたものの実感を大事するべきだ。本当に効率的な農業というのは、土や草の本来あるべき姿を、科学的根拠をもちいて明らかにした結果出来上がるものだ」とおっしゃっていました。生き物を相手にしている以上、理想的な農業というものは一朝一夕で完成するものではなく、非常に長い期間での、努力と工夫の積み重ねなのだということを私は上田さんのお話から学びました。農業は、ITのように、目に見えて劇的に発展を遂げるような分野ではありません。だからこそ、これまで受け継いできた手法を大事にして、我々も次の世代に責任をもってバトンをつないでいくことが大切なのだと私は思いました。どの学問においても言えることかもしれませんが、農業というものはまさに「温故知新」という言葉がふさわしいと思います。
この記事は、田中惠さん・吉岡ややさん・田中優輝さん・德留尭伸さん(総合理系1年)・熊谷結祈さん(文学部1年)・上野敦大さん(法学部1年)が、一般教育演習「北海道大学の”今”を知る」の履修を通して制作した成果です。