私たちは、シカなどの野生動物と地域・ヒトとの関わりについて研究する立澤史郎先生(文学研究院・助教、保全生態学)に、主に文理の区分に焦点をあててZoomにてインタビューを行いました。「生態学の研究なのに文学院!?」と思った方もいるでしょう。この記事を読めばその疑問は晴れます。ぜひ文理選択や進路選択の参考にしてください!
【辻大和・総合理系1年/堀内健太・総合理系1年/雫石悠生・法学部1年】
立澤先生は保全生態学を専門としているということですが、先生の研究する保全生態学と一般的な生態学との違いを教えてください。
保全生態学は、生態学の中でも生物多様性や生態系機能を維持・復元するための科学です。私の場合は、ある地域の人たちと、その地域に住んでいる野生動物の間に生じる問題を地域主体で解決する方法について研究しています。例えば、ニホンジカ被害に苦慮している地域の方々と対話しながら、人とニホンジカとの伝統的な付き合い方や、その地域特有の生活史などを調査し、それらを参考にして人とニホンジカとの関わり方のいい落としどころを探っています。
ご自身の研究で工夫していることは何ですか?
私は現場に行かないと頭が働かないので、とにかく地元の人たちと話をするというスタイルを心がけています。そうすることで、対象動物が急増した理由や食生活の変化など、生態学的な解決策のヒントが得られます。
このように、フィールドでは動物だけでなく動物と付き合っている人々の話をじっくり聞くことを非常に重視しているので、学生さんたちとフィールドに行くときは、地域の人々としっかりお付き合いするようアドバイスをしています。
シカといえば生物学や農学部を思い起こしますが、なぜ文学の研究院で研究しているのですか。
元々生物学に興味があって大学は地元の神戸大学農学部に進学しました。関西の学生を組織して野生動物保全活動を行うなかで、動物の生態の教育と研究を通じて地域の自然環境や野生生物の保全に貢献したいと思うようになり、卒業後は大阪教育大学の大学院に進学して環境教育を学び、高校教員を経て京都大学の大学院(理学研究科)で生態学を学びました。
ただ生態学を研究している中で、実際に保全活動をしていこうとしたとき、いくつかのハードルが見えてきました。例えば、地域の産業や経済、農林水産業への被害などがそのひとつとして考えられます。そこで、社会科学や人文科学の応援が絶対に必要だと感じ、その地域での野生生物と人間との関わりの歴史をふまえて保全に取り組む必要があると考えていた矢先、現在の文学研究院で公募があり応募しました。つまり、戦略的に文学研究院に進んだわけではなく、保全の必要上自然科学以外の問題へと足を踏み入れた結果、元々文理融合課題を扱っていた北海道大学文学部に就職したということです。
文学研究院の中での「保全生態学」は、どのようなポジションなのでしょうか。
日本の大学の研究室は、一つの学問領域を“深掘り“することに特化したものが多いと思います。しかし、私のいる地域科学研究室は、あらゆる地域の問題を研究対象としているだけでなく、問題解決のためにいろいろな学問をツールとして活用しています。私がもともと研究していた生態学は、環境保全をすすめるうえで主流化していますし、北海道大学では保全に貢献したくて生態学を選んだという人も多いと思います。しかし、いざ保全の現場に立ってみると、人と動物や自然の関係について様々な疑問や興味が湧いてきますし、それらの“受け皿”は、北海道大学では理系だけでなく文系学部にも広がっています。たとえば、文学部でいうと、文化人類学・博物館学・考古学・行動科学の研究室にも動物を専門に扱う教員や大学院生がいるのです。
「保全生態学」は、学問として将来どのような方向性をもつとお考えですか。
文理関係なく、人と動物や自然との関係に関する研究が、世界的に盛んになっています。それはもちろん、コロナ禍で私たちが自然や野生動物との関係を見なおす必要に迫られたからですが、これから人口減少と高齢化が本格化する日本では、それらをふまえた地域社会や人間関係のリメイクが不可欠です。この20年ほど分子遺伝学や進化学の成果を旺盛に吸収してきた保全生態学は、今後いよいよ文理の壁を越えて、地域づくりや都市政策と融合していく必要があると考えます。
また、コロナ禍でウイルスとの付き合い方を考えさせられたことがきっかけとなって、人と動物の関係の研究の需要が年々高まっていることを、学生と付き合っていてひしひしと感じます。そして、そのような需要に応えるように、さまざまな母屋(研究分野)から「人と動物の関係学」という看板が同時多発的に出てきているところです。保全生態学は、人と自然の関係を異なる(ミクロとマクロの)視点で問う学問であり、今後相互に補完しあう関係になってほしいとも思います。あくまで個人的な願望ですが(笑)
先生の経歴の中で一番気になった、高校教員のころについて詳しく教えてください!
北海道大学の公式サイトには手短にしか書いていませんが、僕は修士課程を2回出ています。初めは理学系の大学院を目指していたのですが、落ちてしまって。教員試験には受かったので、それなら教育だと思って。高校教員をしながら、大阪教育大学大学院の理科教育専攻に日本初の環境教育研究室ができるということで受験して入りました。
そのあと動物系の研究に戻るのですけど、動物のほうに戻るべきだなと思ったのは教員をやっていたおかげだと思います。3年間、大阪府立高校で教鞭をとりました。大阪北部の自然環境に恵まれた場所で、そこで実際に野生動物を追っかけたりしながら生物の授業ができたらもうそれで理想的だなと思っていたんですけど…
なるほど。教員時代もフィールドワークを試みようとしていたんですね。
ええ。一時期は受験対策そっちのけで生徒を外に連れ出して観察会をして、やりすぎだと怒られることもありました。しかし、そもそも日本の教科書とかワークブックに出てくるような動物は、当時はほとんど外国の動物ばかりで、それを日本の動物に置き換えようとすると、日本のシカとかカモシカとか、絶滅したオオカミの情報とかも全然なくって。これは無理だなと思って、自分で日本の野生動物の情報を深堀りする必要があるなと考えました。
立澤先生が理想とする教育の方針や内容と当時の教育に少しずれがあったということですね。
はい。それで本気で生態学を学ぼうと思い、今度は理学系の大学院を受験して、動物、具体的にはシカの研究をしようと思った次第です。なので、筋道が見えていて、まっすぐ進んでいるわけではなくて、こっちでやってみるか、いやこれは難しいかというふうに進んできました。私は先程言ったように現場に出ないと頭が働かないたちなので、実際にやってみて、これは責任をもって日本の野生動物のことを教えられるような状況にないなとやっと気付いたわけです。それで大学院に戻って、年数はかかったんですけど、シカを題材にして博士課程を終えて学位も取りました。学位を取るころには最新の手法を使ってガンガン研究するというよりは、地元の人との付き合いとか、手法としてはだれでもわかる子供たちのほうが得意なぐらいの、シンプルな手法で市民調査を立ち上げるという方に関心が向いていたので、北海道大学に就職してからはそういう活動にシフトしました。
今回の記事では、立澤先生がどういった心境の変化で現在までの進路選択をしていったか、研究をする中で何を大事にしているか等を聞くことができました。
後半では立澤先生が現在の文理制度について思うことをお聞きしました!
「文理」を「分離」させた教育はこれからどうなっていくのか…。 後半に続く…!
この記事は、辻大和さん(総合理系1年)、堀内健太さん(総合理系1年)、雫石悠生さん(法学部1年)、所理輝さん(総合理系1年)、密山果倫さん(総合文系1年)、宇田川はんなさん(総合理系1年)が、一般教育演習「北海道大学の”今”を知る」の履修を通して制作した成果です。