豆腐、こんにゃく、ゼリー、魚のすり身、スライム、寒天、ゼラチン……プルプルしていて、ヌルっとしていて、グニャグニャしているもの。つまり、柔らかくて、たくさん水分を含んでいて、だけどあるていど固体性があるもの。このような性質を備えたものを「ゲル」といいます。ゲルは本来ひじょうに弱いもので、押しつぶせば簡単に壊れてしまいます。しかし、この弱さを克服して、しなやかさと強靭さを兼ね備えたゲルが開発され、それが関節や筋などの生体組織の代替物となりうるものとして注目を集めています。北海道大学のグン・チェンピンさん(創成研究機構化学反応創成研究拠点(WPI-ICReDD)・大学院生命科学研究院教授)の研究グループは、このように、ゲルに新たな機能をもたせる成果を次々と出してきました。
グンさんは、今回、ものを記憶すると同時に、不必要なものから忘れていくという脳の振る舞いと似た機能をもつゲルを開発しました。この特殊なゲルについて、グンさんならびにその研究グループの方々にお話しを伺ってきました。
【原健一・CoSTEP博士研究員】
実演! 記憶・忘却をゲルに引き起こしてみる
研究室に伺うと、研究グループの方々が、ゲルに記憶・忘却を引き起こすプロセスを実際に見せてくれました(以下1~4)1)。
(ゲルの状態の説明 2))
1) 25℃の冷水にはいったゲルを特定の型のフィルターに挟み、熱刺激が与えられる部分を限定します。図ではハート型、写真では飛行機型のフィルターが使用されています。
2) フィルターに挟まれたゲルを熱湯(80℃)に入れ、型の部分にだけ熱刺激を与えます。このときゲルは熱湯を急速に吸収していきます。というのも、このゲルは、高温の水の中では水分を素早く吸収して、急激に膨張するという性質をもつからです。
3) ゲルを再び冷水に浸すと、ゲルの熱刺激が与えられた部分が瞬時に白濁して、二次元画像情報が即座に浮かび上がってきます。このゲルには、熱が伝わるのがひじょうに速いのに対して、冷水中では水の出入りがとてもゆっくりになるという性質があります。そのため、ゲルを熱湯から冷水へと入れ替えると、熱刺激を与えられていた部分で水分がゲル内に過剰に閉じ込められます。こうして、ゲルが不安定な状態(微視的な相分離を引き起こした状態)になり、水分を多く含んだ部分が白く濁り、ゲルに二次元の画像情報が記録されるのです。
4) 冷水の中にゲルを放置しておくと、ゆっくりと二次元画像情報が消えていきます。冷水の中ではゲルはゆっくりと水分を排出していきます。そのため、画像情報は長時間かけて消えていきます。
重要ではないものから忘れていく?
しかし、今回の成果のポイントは、時間が経過すると情報が失われるという点だけではありません。そうではなく、ゲルが重要ではない情報から順番に忘れていくというところがポイントです。
(GELの文字が時間の経過に従って消えていく様子 3))
例えば、図のように、「GEL」という二次元の画像情報が記憶されていたとします。そして、冷水の中にこのゲルを放置して8.5時間経過すると、すべての文字が消えてしまいます。注目すべきは、GELの文字がL→E→Gの順番で消えていくということです。というのは、G>E>Lという順番で、それぞれの文字情報に熱刺激が与えられた時間が長いからです。つまり、これは、熱刺激が与えられた時間が長く、また与えられた熱刺激が強いもののほうが忘却しにくい情報、言い換えれば「重要な情報」として長く保存されるようになっているということです。
ゲルに起こった現象の解釈~グンさんに直接聞いてみました!~
以上が、冒頭で述べた、「不必要な記憶から忘れていくという脳のはたらき」に似たゲルの振る舞いになります。では、この現象にはどのようなことが含意されているのでしょうか。グンさんに直接伺いました。
ここでいう大事な記憶、大事ではない記憶、という情報の価値評価の基準はどのようなものなのでしょうか?
私たちが今回見つけた現象の重要な特徴は、熱による学習の強度(温める時間の長さと温度の高さ)と、忘れる時間とのあいだに相関があるということです。学習強度が強ければ強いほど、つまり、熱刺激の与えられる時間が長ければ長いほど、あるいは、与えられた刺激の温度が熱ければ熱いほど、忘れるのに時間がかかる。つまり、大事な情報として位置づけられる、ということです。
例えば、失恋したときとか、あまりにショックを受けて、そのことをなかなか忘れられないといったことがありますよね。だけど、昨日食べたごはんが何かとかについては、その場で一時的に覚えておく必要はありますけど、ずっと覚えておく必要はない。それどころか、全部のことをずっと覚えていると脳はパニックに陥ってしまいます。だから、重要ではないものを忘れることは脳の機能のひじょうに重要なところなんです。
ゲルが「ものを忘れる」とは具体的にはどのような状態のことをいうのでしょうか?
ゲルがものを忘れるということは、白く濁ったゲルの中の水が徐々に出ていって、ゲルが25℃の安定の状態になること、つまり〔二次元画像情報がでてくる前の〕もとの状態にゲルが戻るということです。熱刺激を加えると水を吸収して膨らみ、その後に冷やすと白く濁る。これで記憶したことが目に見える。そして、それから徐々に水を排出してもとの状態にじょじょに戻っていくプロセス、これが「忘れる」ということです。だから原理的にはすごく簡単なことなんです。ただ、原理は簡単なんだけど、ゲル以外の材料だとなかなか同じことができない。
ゲル以外の材料からできている従来の記憶媒体、例えばハードディスクとかで記録された情報が失われることとどのように異なるのでしょうか?
ハードディスクなどの今までの人工的なメモリの基本的な発想は「一度覚えたら忘れてはいけない」ということです。これらのメモリは、一度記憶したら、ひとが外部から働きかけて意図的に消さない限りずっと記憶を保持し続けます。もちろん、ハードディスクが物理的に壊れてしまって記憶を読みだすことが不可能になることはあります。しかし、やはりこれらのメモリが自発的に物事を忘れていくことはありません。
この「自発的に忘れていく」という脳の働きをゲルが実現しているのですね?
いや、私たちが今回開発したゲルが脳の機能を実現したとは絶対に誤解してほしくはありません。脳の働きはこれよりもはるかに複雑ですから。ただそれでもやはり、この脳と似たような挙動を示すゲルが人工的に作れたということは注目に値するでしょう。というのも、私たちは、ゲルでこのようなことができたことは偶然ではないとも思っているからです。つまり、柔らかくて、水がたくさん入っていて、物質の出入りがある、そのような人工物はゲルしかありません。そして、脳とかの私たちの生体組織にもそのような特徴が共有されている。だからこそ、ゲルによってこのような機能が実現できたのではないかとも思われるのです。
後編予告~ゲルによる発見術・発想術?~
後編では、グンさんの研究グループが上記の発見に至ったストーリーについて伺います。そこから見いだされるのは「ゲルに触れることによる発見術・発想術」です。こうした新技術を社会で応用していく際に必要な発想についてもグンさんのお考えを伺います4)。
注・参考文献:
- Chengtao Yua, Honglei Guob, Kunpeng Cuic, Xueyu Lid, Ya Nan Yed, Takayuki Kurokawa, and Jian Ping Gong : “Hydrogels as dynamic memory with forgetting ability”, Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America, 117 (32), pp. 18962-18968, 2020.
- 同上, p. 18963.
- 同上, p. 18967.
- 本インタビューの作成を通して以下の文献も参考にした。北海道大学PRESS RELEASE「忘却能力を持つ記憶素子の構築~人間の脳の動的な記憶・忘却挙動に触発されて~」(2020年7月28日)
今回紹介した研究成果は、以下の論文にまとめられています。
- Chengtao Yua, Honglei Guob, Kunpeng Cuic, Xueyu Lid, Ya Nan Yed, Takayuki Kurokawa, and Jian Ping Gong : “Hydrogels as dynamic memory with forgetting ability”, Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America, 117 (32), pp. 18962-18968, 2020.
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