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75サイエンスカフェ札幌「かつお節と日本人かつお節がたどった、4,000キロ足あとを追う」開催されました

2014.7.1

紀伊國屋書店本店1階インナーガーデンにて2014年5月25日(日)、第75回サイエンス・カフェ札幌「かつお節と日本人〜かつお節がたどった、4,000キロの足あとを追う」が開催されました。

少し肌寒さが残る季節でしたが、天気にも恵まれ、約70名の方が会場に足を運んでくださいました。

ゲストの宮内さんは北海道大学大学院文学研究科地域システム科学講座の教授。専門は、環境社会学、地域社会学、開発社会学です。ソロモン諸島、北海道、宮城、沖縄をフィールドとした環境社会学的な研究や、メラネシアにおける移民・生活・労働の開発社会学的研究に取り組む研究をされています。

意外と知らないかつお節の歴史

50年前と比べてかつお節の消費量は増えているのでしょうか、減っているでしょうか。答えは、「およそ4倍に増えている」です。実は、かつお節の消費量は近年増えているのです。1941年に行われた調査によると、当時かつお節は上流階級の人間が使っているものでした。もともとは伝統食ではなく、江戸時代以降「高級品」として都会を中心に消費をのばした商品でした。キーワードは「殖産興業」「沖縄」「植民地」「移民」の4つ。一見かつお節とは関係のなさそうな言葉ですが、どのような関係があるのでしょうか。

かつお節は17世紀後半に、土佐で生産がはじまりました。18世紀には、カツオがとれない地域で生産がはじまります。これは、当時の人に広く受け入れられたことで、各県が競って生産するようになったことを示します。北海道でも作られていた時代があり、各地域は先進地域から技術指導を受けるなどして技術にも磨きをかけていきました。

沖縄とかつお節

宮崎県のかつお船が沖縄に出漁するようになり、それがきっかけで1901年からは沖縄県座間味で商業的なカツオ漁業がはじまりました。行政が積極的に産業育成政策にとりくみ、カツオ漁やかつお節製造の技術指導者を雇い入れたこともあり、大正期には日本を代表するかつお節生産地域になります。しかし、昭和のはじめには組合が崩壊したり、世界恐慌が起きたりなど衰退がはじまります。一方で、これをきっかけに20,30代から新リーダーが出てくるようになったり、個人で沖縄の外、外洋にでていったりする人が出てきます。

南洋諸島におけるかつお節生産

はじめに台湾にてかつお節生産がはじまり、その後、南洋群島に広がっていきます。植民地政策で、かつお節産業の育成を行いました。たくさん生産されたことで価格が下落し、輸出先の日本では価格が下落がおきる程の栄えます。しかし、これも長くは続きません。

1941年太平洋戦争が始まり、かつおの漁獲量が多い地域も戦場になりました。かつお節を作ることが禁じられ、男性は徴用(軍隊に属してその下働きをする人たち)され、たくさんの人が亡くなりました。引き上げのための赤城丸という船はアメリカ軍に攻撃され、600人中500名以上の方が亡くなっています。

戦争を機に海外のかつお節の生産が全く無くなります。国内の生産だけになり、競争の結果、静岡と鹿児島が勝ち残りました。これは現代の生産に続いています。また、この時期には、産業構造が大きく変化しました。それまで優秀な職人を雇えるかどうかが成否を決めていましたが、1960年頃に開発されたグラインダーという機械により技術が必要なくなります。さらに「ニンベン」という会社が、「フレッシュパック」を開発することで、1969年にはグラインダーすらも必要なくなります。スーパーなどでよく見かけるかつお節の「フレッシュパック」は、すでに削ったかつお節(花かつお)を、新鮮さを損なわない形でパッキングする技術です。これが大ヒットします。消費者が一番求めるのは見た目のふわっとした感じなので、花かつおの出現によりかつお節の表面をなめらかに削る必要がなくなり、粗節のままでよくなります。

海外への進出

日本の近海のカツオは油分が多いので削ると粉になり、うまく花かつおがつくれません。遠洋の熱帯地方でとれるカツオの方が適しています。さらに、国策としての遠洋漁業振興が重なったことや冷凍技術も発達してきていたなど、これらのタイミングが合い、ニューギニアやソロモン諸島など海外に進出しました。またしても南洋に進出したのですが、今度ははじめから水産会社、商社といったかなりの資本力をもった会社が関わります。そして、その船に誰が乗って誰がかつお節を捕るのかというところで沖縄の人が雇用されました。このようにグローバル経済の中に「かつお節」が組み込まれています。最近の傾向では、かつお節そのものも海外で作られるようになってきています。代表的な場所であるインドネシアのビトンという町は、戦前に日本人がかつお節を作った町であり、今では大きな生産地域となっています。

 

日本食に欠かせない、伝統文化とも思われるかつお節。300年の間にたどった4000キロメートルの旅をひも解くと、植民地や戦後のグローバル化など、かつお節が関わってきた意外な歴史を知ることができます。1時間半のサイエンスカフェは、新しい発見とおどろきの連続でした。宮内さん、ありがとうございました。