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「札幌可視化プロジェクト」実習レポート:札幌国際芸術祭2017札幌をどのように可視化したのか

2018.2.2

文責:一條 亜紀枝

「SIAF(札幌国際芸術祭)2017」が閉幕した10月の終わり、CoSTEP「札幌可視化プロジェクト」実習の一環として、トークプログラムが開催されました。CoSTEPの教員であり、聞き手として登壇した奥本素子先生は、そのねらいを次のように話します。「アートは、政治や経済、地域、社会が無視できないほどに、人を巻き込む力や社会を変える力を持っています。それをSIAFやほかの芸術祭から学び取り、科学技術コミュニケーションの一つの手段として身につけてほしいのです」。

(左から平井先生、奥本先生、朴先生)

第一部:トークプログラム

アートと芸術祭を語り、SIAF2017を振り返る。

ゲストの平井宏典先生は、和光大学 准教授であり、美術館を研究対象とする経営学者です。また、2014年に始まり、2017年に3回目を開催した「感じる芸術祭 真鶴まちなーれ」のディレクターを務めています。平井先生は、「都市型芸術祭と地域型芸術祭」「アートの活用事例」を説明しながら、「SIAF(札幌国際芸術祭)2017」を振り返りました。

都市型と地域型 — 「ヨコハマトリエンナーレ」と「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」

平井先生によれば、いま、日本各地で開催されている芸術祭は、大きく2つに分類できるそうです。1つは「都市型芸術祭」といわれるもの。政令指定都市や中核都市、つまり都市型の生活基盤があり、人口集積のある都市の美術館やビル、屋外では公園といった社会施設で開催されます。代表格が「ヨコハマトリエンナーレ」(神奈川県横浜市)です。もう1つが「地域型芸術祭」で、地方都市の山間部など、美術館インフラがあまり整っていない地方で開催されるものです。会場は、空き家や空き店舗、屋外といった普段はアートが展示されることのない場所

を使用します。地域型芸術祭は作品数が多いのも特徴で、代表格は「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」(新潟県十日町市・津南町)があげられます。

「地域型芸術祭が盛んなのは、日本特有の現象」と平井先生は指摘します。「『ヴェネツィア・ビエンナーレ』(イタリア)や『ドクメンタ』(ドイツ)など国際美術展は、アートに主眼を置いて、アートの質を問うものが一般的です。日本の芸術祭は、地域性を出す、まちおこしなどアート以外に目的があります」。

いまの日本の芸術祭ブームは、「越後妻有アートトリエンナーレ」と「瀬戸内国際芸術祭」(香川県直島を中心とする瀬戸内海の島々)から始まったと、平井先生は分析します。この2つの地域型芸術祭のインパクトが強く、地域振興を模索していた地方自治体が一斉に「芸術祭」に着目しました。「『瀬戸内国際芸術祭』の経済効果は一回の開催で130億円とも言われていますが、果たして投資に対しての効果はどうなのか。芸術祭のコストパフォーマンスは、実はそれほど高くないと考えています。むしろ、お金では算出できない効果があるのではないでしょうか。むしろ、瀬戸内ではUターン・Iターンで子育て世代が島に戻り、廃校が復活した例もあり、地域に人を集めるという点が注目されたと考えられます」。

平井先生が注目している芸術祭の一つに「あいちトリエンナーレ」(愛知県名古屋市・岡崎市・豊橋市)があります。「実験的で多面的な要素を持った芸術祭であり、都市型でありながら地域型の要素を取り入れたハイブリッド型」の芸術祭なのだそうです。象徴的なのは、会場となっている長者町の事例。廃れてしまった繊維問屋街だった長者町が、芸術祭によって注目が集まり、空き店舗にテナントが新たに入り、地域が息を吹き返したといいます。

小さなまちのアート活用事例 — 「感じる芸術祭 真鶴まちなーれ」

2014年、神奈川県にある人口7500人ほどの小さなみなとまち・真鶴町で「感じる芸術祭 真鶴まちなーれ」は始まりました。平井先生が、その発端から説明してくれました。「真鶴は、まちづくりのありかたで世界的に評価されています。真鶴町独自のルールをつくって、まちの景観の美しさを規定しているのです。数値ではなく、定性的な言葉で示されている「美の基準」です。たとえば、「舞い降りる屋根」という基準は、傾斜地にある家の屋根を斜面に沿って、山形の切妻屋根にしましょうというルールなのですが、屋根の勾配は何度にするなどとは言わずに、言葉で投げかけます。色彩基準もおもしろい。『ふさわしい色』とだけ規定されています。ふさわしいと思えば、原色もOK、むしろ赤は推奨されています」と、平井先生は語ります。しかし、このようなユニークな取り組みがある真鶴調も、消滅可能性都市にランクインするほど人口は減り、衰退の一途をたどっています。このまちをどうやって見つめ直せばいいのだろう。「美の基準」の施行からちょうど20周年にあたる2014年、現代アートの小さなプロジェクト「真鶴まちなーれ」は始まるのです。

まちを見つめ直すきっかけがアートだった理由を、「真鶴まちなーれ」のディレクターを務めた平井先生は次のように説明します。一つは、アートは周りの人を巻き込めるからです。作品をつくり、展示するなかで、まちの誰かしらに少しずつ迷惑をかけてしまう。それは、必然的にまちの人たちを巻き込んでいるということです。もう一つは、多様な価値観を許容できるからだそうです。「いまは好きなものも価値観も多様になっています。現代アートは、評価が定まっていないからこそ、見た人が好き勝手を言える。いろいろな価値観を許容できる、いい意味での曖昧さがあると思います。かつての収穫祭や盆踊りに代わるハレの舞台として、芸術祭というお祭りがあるのではないでしょうか。みんなで羽目を外して楽しみながら、真鶴の場合は、まちの美しさとは何かを考える思考実験の場だと思っています」と、平井先生は語ります。