スピーチライターとして振り返る10年
私がスピーチライターとして仕事をはじめて、この4月で8年になりました。ですから、CoSTEPは2年先輩で、ほとんど同時期に始まったことになります。同時期からコミュニケーションについて取り組んできた者として、この10年、スピーチライターとしてどんな変化があったと実感しているのかをお伝えしたいと思います。
確か10年前、コミュニケーションの重要性が多くのメディアで報じられ、一種のコミュニケーションブームといった状況でした。しかし、コミュニケーションの専門家であるスピーチライターという職業は日本には存在しませんでした。舞台演出家、同時通訳士などが、副業でスピーチライティングをしていたのが実態で、当時スピーチのライティングを主たる業務としている専門家はおそらくいませんでした。私自身、スピーチライターと名乗ってみても、「スピーチを聴いて書き起こす、テープ起こしの仕事ですか?」と言われるほど、認知されていませんでした。
状況が変わったのは、2009年にオバマ大統領のスピーチライターで当時弱冠28歳だったジョン・ファヴローが活躍してからです。彼の活躍以後、スピーチライターという職業が日本でも広く知られるようになり、私はスピーチライターという肩書きを使うようになりました。
またここ数年、仕事を依頼する側も、スピーチを通して専門的な内容をより分かりやすく一般に伝えられるよう、要求するレベルが高くなってきています。これまではスピーチの専門家ではない企業のスタッフが書いていたスピーチ原稿を、私のようなスピーチライターが一緒になって作成し、より分かりやすく、より面白く伝えることが求められるようになってきました。この流れは、今後ますます加速していくものと思われます。
俯瞰してみれば、この10年は、単なるブームから、実際に社会の需要に応えてコミュニケーションの問題をコミュニケーションの専門家が解決していく流れにあったのではと思います。今後、CoSTEPの修了生の皆さんが科学技術コミュニケーションのスペシャリストとして、社会に不可欠な存在になっていくことだろうと思います。次の10年の社会を見越して、ますますのご発展を期待いたします。