ご挨拶

3代目 代表挨拶
わからないことへ

科学技術コミュニケーションとは何なのか、私は未だによくわかりません。

「科学技術を分かりやすく、面白く伝える」「倫理的・法的・社会的課題を議論する」「リスクについて社会的に意思決定していく」「市民が専門家と対等に科学技術に参加する」「諸科学と他の知識体系が融合し文化になっていく」等々。どれも当てはまりますが、全てだとあまりにも幅広い。

例えるならば、道端の草も、その陰にいる小さな虫も、大樹の梢にとまるあの鳥も、あらゆる場所に満ちている微小な細菌も、みな「生物」とひとくくり呼んでしまう様な。あるいは、あの友達、お世話になったあの人、憎いあん畜生、そしてまだ会ったこともない人との関係も、「人間関係」と呼んでしまうような。その呼び名はもちろん正しく、間違いではない。異なるものに同じ名前をつけることで、つながりや広がりが見えてくる。けど時と場合によってはその呼び方だけではピントがぼけてしまう…

しかし、科学技術コミュニケーションは、やるべき価値が確かにある、新しい試みだと、私が確信したのは確かです。それは2005年のCoSTEP設立の時、その受講募集ポスターを見た時でした。

それから15年以上がたちました。その間、3.11や新型コロナといった大規模な災害や感染症の流行が起きました。また、遺伝子組換え作物、STAP細胞やゲノム編集といった社会的に大きな話題となった出来事もありました。それらのことがあるたび、科学技術コミュニケーションの重要性が叫ばれ、足りない部分が突きつけられてきました。そして、私が見ている/やろうとしている「科学技術コミュニケーション」は徐々に、常に変化してきました。

「科学技術コミュニケーションとは何か」を語るとき、常に分かちがたく語られるのは、その機能的意義です。では、何をもって科学技術コミュニケーションが機能した、つまり成功したと言えるのでしょうか。おそらく、誰にとっても全く問題のない「成功」を導く策などないでしょう。世の中をきれいに整えられた正しい情報で埋め尽くし、人々が正しく理解し交流しあう、などということもないのです。

しかし、それでもやらなければならない。やるべき価値があるのが科学技術コミュニケーションだとの確信は私の中で変わりません。それは日々の地味な活動からしか始まらないものです。CoSTEPは、どこへ向かうか、何があるかわからない、でも魅力的な科学技術コミュニケーションへの道、その入口として存在しています。

2023年3月

CoSTEP3代目 代表
北海道大学大学院理学研究院准教授
川本 思心

2代目 代表挨拶
CoSTEPの10年と今後

社会の中で何か活動の輪を拡げることは、そう容易なことではありません。はじめからマスを相手にしようとすれば、「読み違い」のリスクが高いでしょうし、そうして仮に一時期成功したとしても、活動を定着、持続させることには多くの困難を伴います。私が北大に来る前に、ニューヨークのイサカに地域通貨の取材に行ったことがありました。そこで代表者に伺ったのは、地域通貨を地域に根付かせる手段として、彼らは派手な運動を一切しておらず、一軒一軒家を回って、どれだけ時間がかかろうとその活動を理解してもらおうとしているということです。時代錯誤な方法にも見えますが、活動を一過性のお祭りに終わらせないための基本的姿勢はこれだと、私はいまだに思っています。

地域通貨が一定の価値観に基づいているように、科学コミュニケーションにも一定の価値観があります。はじめから普遍的価値を持つように主張するのは間違いで、危険ですらあります。そのよさを理解してもらい、価値観が共有してもらえる範囲を拡げる活動、運動にほかなりません。

ではそうした運動の一つであるCoSTEPは、これまで自ら掲げる新しい価値観の普及に成功してきたのでしょうか。活動が始まって10年目で、そのような評価をくだすのは、まだ早いかもしれません。しかし、私が代表を仰せつかって、これまでの活動をより深く知って確実に言えることは、そして、この記念集に寄せていただいた200数十もの貴重なコメントを拝見して強く思うことは次のようなことです。すなわちCoSTEPは、すでに賛同いただいているみなさんのご協力を得る中で、新たに出会うお一人お一人(受講生のみなさん、講師や共同プロジェクトのみなさん、地域のみなさん)との関係づくりを大切にし、活動の中でそれを育むことができたであろうと。幸いCoSTEPの活動は平成26年度の文部科学大臣表彰科学技術賞を授与されるという栄誉を得ました。もしこの受賞が、普及成功の一つの証と言えるとするなら、その成功の主たる要因は間違いなく、CoSTEP歴代スタッフ、そして生みの親である杉山先生の、この「一人一人との関係を大切にする」という姿勢にあったと言えます。

もっとも、科学コミュニケーション活動が今後さらに普及して行けば、それは新たな理念や価値観を生み出す可能性があります。CoSTEPももちろん、そうした可能性にオープンでなければならず、人を大切にする姿勢は維持しながらも、今後、自らの価値観を捉え直し、どのような運動主体となることが適切なのかを吟味していく必要があります。この記念集、記念行事を通じてこれまでの活動をみなさんと振り返りながら、同時にこれが、新たな科学コミュニケーションの形をみなさんと模索する機会となればと思います。

2014年7月

CoSTEP2代目 代表
北海道大学大学院理学研究院教授
松王 政浩

前代表者挨拶
見つめ直そう

CoSTEPが10年目を迎えました。ひとえに、多くの方々から頂いた支援の賜物です。厚く御礼を申しあげます。

節目を迎え、これまでの成果に誇りを持ちたいと思います。でも、真摯に見つめ直すことも大切だと思います。そこで私は、憎まれ役を買って出ることにしました。皆様から頂いたご厚意にお応えすることになると思いますので。

科学技術コミュニケーションの推進が謳われてから、もう9年。なのに、科学技術コミュニケーションはちっともその存在感を示しえていない。私は忸怩たる思いで一杯です。

しばらく前のある新聞に、こんな記事がありました。「新型の出生前診断の検査項目が、アメリカで急速に拡大され、ほとんど症状の出ない異常も含むようになってきた。日本でも同じ動きが出てくる可能性がある。早急に国民的な議論を始める必要があるのではないか。」

大手メディアは「国民的な議論が必要だ」と締めくくります。では、だれが、どうやって、国民的な議論の場を作り、運営していくのでしょう?科学技術コミュニケーターの出番ではないのでしょうか?(これはもちろん、ほんの一例です。)

科学を理解し信頼する「仲間を増やす」。科学技術コミュニケーションの重要な任務です。それと同時に、仲間と仲間が立場や意見を異にするとき、それらステークホルダー間に「対話の架け橋をする」。これも重要な任務でしょう。

後者の任務は、科学技術コミュニケーター「個人」には難しい。でも「組織」には、できる可能性があります。挑戦する社会的責任もあります。首を突っ込んでも簡単にうまくいくとは、もちろん思いません。しかし始めないことには、何も変わらないでしょう。

「CoSTEP私史」をまとめてみて、気づいたことがあります。CoSTEPはこれまで、本体の活動とは別に、その周囲に様々な実践活動―自ら計画したものもあれば、外からの依頼に応える形で行なったものもあります―を配置することで、活動に厚みを加え、多様性も作り出してきました。「対話の架け橋をする」ことに挑戦し、もがいてきたのだと思います。

CoSTEPは、「実践を通して学ぶ」ことを標榜してきました。そこで学ぶのは、単なるスキルではなく、科学技術コミュニケーションです。単なるスキル教育に陥らないためにも、多様で厚みのある実践活動を行うことが大切ではないでしょうか。

研究者や市民と積極的に交流するなど、「現場」に出て行くことも軽視してはいけないと思います。研究室でネットの情報を見ているだけでは限界があります。CoSTEPは大学内にあるのですから、このメリットを活かさない手はないでしょう。

大学といえば、MOOCs(Massive Open Online Courses)を北大でも開始する予定だと聞きました。そしてCoSTEPも関与する予定だとか。MOOCsは、科学技術コミュニケーションの展開にも、大きな可能性を秘めていると思います。CoSTEPの、そして科学技術コミュニケーションの、いっそうの発展に繋げてくださることを祈念します。

2014年7月

北海道大学大学院理学研究院特任教授
CoSTEP 初代 代表
杉山 滋郎