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「あるがまま」を伝える

2020.3.19

キュンチョメ《声枯れるまで》2019

『名前には二つの情が含まれている。親の愛情と、性別という情報。故に重くて、やっかいだ。』

この作品の作者、キュンチョメのホンマエリさんの言葉です。一般に人を二分する男と女という性別。それは生まれ付きの身体的特徴と共に、名前によっても示されます。エリさんは女性のジェンダーを示す自分の名前や身体に抵抗感を感じていました。今回の作品では、これまで表に出さなかったその事実について向き合おうと考え、自分の性別と名前を変えて生きる人たちに会う事を決めたそうです。

「声枯れるまで」という作品は、名古屋市円頓寺商店街のすぐ近く、幸円ビルの二階で展示されています。

(日常的な商店街の一角で、作品は展示されている)

赤いドアを開けて入る一つ目の部屋では、親子二人が一つの筆を持って書道をしている映像《私は世治》が流れています。黒い墨で書かれているのが、子供の元の名前、綾乃。母親と子供はその上に朱色の墨で別の名前、世治と書き重ねていきます。世治は女性から男性へと性別を変えた子供が、自分自身でつけた新しい名前です。親子はポツポツと会話をしながら筆を進めますが、二人の間にはどこかぎこちない雰囲気が漂います。母親は子供が名前を変えた事やタトゥーを入れている事を受け入れられない様子で、困惑を隠しません。対して返事をする子供の声は時折苛立ちが混じります。それでも二人で同じ筆を持ち、黒い墨に弾かれながら新たな名を上書きしていきます。分かり合えないながらも共に新たな名を書いていく姿には、簡単には言い表せられない親子の複雑な感情を感じました。

(暗い部屋の中で映像作品が流れているため、作品写真が充分に撮れなかった)

二つ目の部屋では、キュンチョメのお二人がFtM(※1)の方へインタビューをしながら交流する映像《声枯れるまで》が流れています。自ら性別と名前を変えた事について、様々な葛藤や苦悩を明るく話している姿が印象的でした。その後映像は消え、暗がりには新たな名前を問う声とそれに答える音声だけが響きます。姿が見えない中大声で自分の名前を叫ぶ声や、名前を答えるまでの僅かな間や息遣い、少し笑ってしまった声は鑑賞者に映像以上に生々しく彼らの想いを伝えてきます。

私はこの作品を通じて、他者の手の加わらない、本人の生の声だからこそ届けられるものがあると感じました。本作品では、母親と子供がお互いをどう思っているのか、他者の言葉で語られる事はありません。新たな名前で新たな人生を刻むと決めた人が、どんな思いで自らの名前を叫んでいるのか、キャプションがつく事もありません。受け取り方も感じ方も見る側に委ねられています。一体どんな思いで叫んでいるのだろうと、その正解は推し量る事しか出来ません。しかし思いを巡らせるからこそ、感情に寄り添おうと気持ちが揺さぶられるのだと思います。

サイエンスコミュニケーションでは異なる立場や考えを持つ様々な人たちと関わる事があります。情報を整理したり付け加えたりして分かりやすくする事は、サイエンスコミュニケーションを行う上でも重要な作業です。しかし、本当に理解するのが難しい物事を分かった気になり思考をやめてしまう可能性もはらんでいます。ありのままの相手の言葉を受け取り、自分で考える事。お互いを理解して関わりを持っていく上での、重要な第一歩だと感じました。

※1 FtM:身体的には女性であるが性自認が男性であり、男性への性別移行を望む人。

参考ページ

「あいちトリエンナーレ2019」市原佐都子×ホンマエリ(キュンチョメ)×サエボーグ 座談会-ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/pp/aichi2019_pa02

坂尾 南帆(CoSTEP15期本科「札幌可視化プロジェクト」実習)