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共感が超える3つのカベ時空文理社会と研究者書評『日本に現れたオーロラ 時空を超えて読み解く「赤気」記録』

2022.7.22

著者:片岡龍峰
出版社:化学同人
刊行年月日:2020/10/30
定価:1,650円(税込)


日本の空にオーロラが!?

もし突如日本の空にオーロラがあらわれたら、あなたはどうするだろうか。わたしならきっと写真を撮ったりSNSで発信したり、オーロラのことを記録に残そうとするだろう。こうした何かにとどめておきたい、誰かと共有したい気持ちはどの時代もきっと同じだった。だからこそ日本の古文書には、当時観測されたオーロラの記録が残っているのだとわたしは思う。

そう、日本全国の空にオーロラが現れるのは全く架空の話ではなく、実際に起こった出来事だ。記録によると昭和、江戸、鎌倉そして1400年前の飛鳥時代にもオーロラらしき記述がみられる。しかも、これらはよく知られる緑やピンクのカーテンのようなオーロラとは異なり、赤い扇形だったと書き残されていた。いったいこれは本当にオーロラなのか、なぜこのような不思議な形で記録されたのか。こうした一連の謎に挑んだのが「オーロラ4Dプロジェクト」だ。本書はこのプロジェクトの成果といきさつを著者の目線から描いた物だ

 理系の筆者、古文にのめりこむ

「オーロラ4Dプロジェクト」は2015年から2020年に行われた文理融合の研究プロジェクトだ。『明月記』『星解』『日本書紀』などの古文書や昭和33年に描かれた観測スケッチの情報を科学的な視点から捉えなおし、当時見えたオーロラの謎を解き明かすことが目的だ。4Dというのは四次元のことでプロジェクトの代表である著者曰く「時空を超えてオーロラを調べていきたい、という軽い気持ちで」つけたものらしい

 今回プロジェクトに参加したのは著者が勤める国立極地研究所と、同じ敷地にある国文学研究資料館の研究者で、著者いわく「典型的な理系研究者」の1人として代表を勤めた。5年にも及ぶプロジェクトの代表となると苦労も多いと思うが、著者は本書の中で苦労話をほとんど出していない。代わりに文章中で多くみられるのは発見のときの興奮、過去の人々への共感などだ。オーロラの科学的な説明をしている部分は努めて冷静なのに、プロジェクトの経過を語る部分では楽しくて仕方ない!という気持ちが端々から感じられた。

「これはたとえて言えば、八〇〇年前に行われた国際コラボレーションによる宇宙天気のモニタリングです。私の気持ちの中では、分厚い本を抱えながら、時空を超えて中国人になったり日本人になったり、八〇〇年前の人たちの気持ちに共鳴していました。まさかこの歴史書や日記から、こういう体験ができるのかと驚き、感動したわけです。」(第1章『明月記』の赤気の謎」278ページ)

この『明月記』の謎はプロジェクトのなかで最初に取り組んだ謎であり、かつ著者にとっては初めての過去の人々の気持ちと対面した瞬間だった。このときの経験を著者は「時空を超えた共感」と表現し、大きな喜びを感じたと語っている。そしてこれ以降の著者は古文の魅力にすっかり取りつかれてしまったようで、研究で扱った古文や書籍に夢中になっている様子がたびたび登場する。

過去と今、二つの市民とつくる研究

第二章では、江戸時代(明和7年)に全国各地で目撃されたオーロラが、史上最大の磁気嵐の発生した証なのではないかという説が検証されている。そこで用いられたのが『星解』と『羽倉信郷の日記』だ。『星解』は僧侶である秀胤が残したもので、一方、羽倉信郷は漢文や和歌に秀でた文人だった。彼らは当時の知識人ではあるが専門家ではない。しかし非常に正確かつ鮮やかな表現でオーロラについて書き残していて、著者は検証結果と比較した時イスから転げ落ちそうになったという。加えて江戸時代では日記を記す習慣がある市民も多かったため、北海道から宮崎まで日本各地で「見えた!」という記録が残っている。こうした事実と検証の結果を踏まえ、当時史上最大の磁気嵐が発生したと結論付けられている。

またこの研究に参加したのは過去の市民だけではない。このプロジェクトの成果はメディアを通じて一般の人々にも好意的に受け取られた。『明月記』や『星解』を使った研究は新聞やテレビで取り上げられ、反響も大きかったという。こうした研究の中間成果を知った市民が筆者に持ち込んだのが、昭和33年に観測されたというオーロラの情報だった。筆者も第3章「タロ・ジロ・タケシと赤いオーロラの謎」で「当時青少年だった市民の声が後押ししている」と書いていることからも、市民の声がプロジェクトの方向に影響を与えたことが推測される。江戸時代の市民の残した記録や現代の市民のスケッチがオーロラの謎に挑む力になったと言えよう。

楽しさが、文理融合の背中を押す

第4章の「『日本書紀』の赤気の謎」では日本書紀に書かれたオーロラ(赤気)の描写から、当時の人々の様子や考え方についても明らかにしようと試みた過程が描かれている。この研究に取り組む前の著者は「典型的な理系研究者の私でも、文系の世界に足を踏み入れていいのだろうか」という迷いを抱えていたそうだ。しかし、ここまで読み進めた読者ならきっと、著者はとっくに文系の世界に一歩踏み出しているのでは?と思うだろう

なぜなら、この文章に至るまでの描写で著者の古文愛が加速していることがわかるからだ。いくつか例をあげると、『明月記』と同じ時期にオーロラを観測したクック船長にまつわる本を出張先で集めたり、うっかり寝過ごしてオーロラを見られなかった江戸庶民の日記を紹介したり(第2章)、『万葉集』のお気に入りの和歌に対して「かっこいいですね」「何かのときに言ってみたい」と言葉を漏らしていたりしている(第4章)。こうして一部抜き出しただけでも、著者の古文への入れ込みようが想像できる。そして結局筆者は「文系の世界」に足を踏み入れ、第4章の内容で初めての「文系論文」を書き上げた。第1章の時点で得た当時の人々の興奮を共有する楽しさは、「文理融合」の研究を進めるのみならず、著者のなかの理系と文系の壁をも取り払ったようだ。

また第4章の最後に、今後の計画として、国文学研究資料館が公開している古典籍の写真データベースに倣って、国立極地研究所に保存されたオーロラのフィルム画像のデータベースを公開する構想を練っていることが明かされる。こうした計画を整然と語りながらも段落の最後には「そういうプランを考えるだけでも、楽しくなってくるのです」という一文が添えられているのが印象的だ。

共感を介したサイエンスコミュニケーション

本書のあとがきでは「オーロラ4Dプロジェクト」の一般の人からの反響が非常に大きかったことと理由について、文理融合的な要素が学ぶ喜びを最大化するのに欠かせない要素であるからだと著者は述べている。今回の研究で古典に描かれた内容を「復元」するとき、文系の学問が発揮する時代に応じた対応力(著者は「柔軟性」と述べている)と理系の学問が持つ精度を上げる役割が双方向的に貢献した。こうした様子と「学ぶ喜びを最大化して柔軟に学び続けられるように努力し続けていく」ことが両立している状態こそ、理想的な今後の学問の在り方のヒントだと著者は語る。その考えがあったから、反響が大きかったことと学ぶ喜びが結びついたのだろう。

しかし、わたしは、それだけではなく他の理由があるのではないかと思った。わたしが思う理由は研究内容と研究者の姿勢が共感を呼んだ、というものだ。このプロジェクトの中では市民の声や古文書に残された昔の人々の記録に心を寄せたことが何度も書かれていた。研究者が市民の言葉に耳を傾けることで、市民から研究者へ、という方向のコミュニケーションが成立したことが理由の一つだと思う。

そして、何よりも、著者の楽しそうな研究ぶりを社会が受け止めた結果、大きな反響を呼んだのではないだろうか。人は楽しそうな様子を見ると何となく興味を惹かれてしまうもの、というのはそれこそ『日本書紀』の天岩戸のエピソードでも描かれている。研究者は学ぶ喜びや楽しさを誰もが知っていると考えがちだが、市民が同じように考えているとは限らない。それでも「何となく楽しそう」と感じさせることは、重たい扉を少しだけ開けてくれる鍵になるだろう。研究と市民を結びつける力は、人の営みとしての研究とそこにあるワクワク感の共有にあるのかもしれない。

江口佳穂(CoSTEP18期本科ライティング・編集実習)