サイエンスコミュニケーターの活躍の場をデザインする : サイエンスコミュニケーションを持続可能な仕事にする挑戦
前に道はありませんでした
今から8年4ヵ月前、1期生の修了発表会が行われたこのステージで私は「サイエンスカフェ実習」の発表を行い、この修了証書をいただきました。(写真参照)
終わったという安堵感と同時に二つの不安を感じていました。一つは、修了はしたもののこのさき「科学技術コミュニケーター」と名乗って活動することができるのだろうかという不安です。修了証書は、学歴やスキルを保証するものではなく、文字通り「修めた」証でしかありませんでした。一緒に受けていた1期生の皆さんは、ほとんどが職場をお持ちの社会人か、研究室に所属している大学院生でしたので、科学技術コミュニケーションを実践しようと思えばそれぞれのフィールドをお持ちでした。当時、仕事を辞めて有閑主婦状態だった私にとっては、科学技術コミュニケーターという「役割」を活かすフィールドがなく、修了したところで自分の出口にも入口にもなりませんでした。
もう一つは、科学技術コミュニケーションというものが、将来広まっていくのだろうかという不安でした。このようなことは政策を考える人や、研究者が考えることで、受講する半年前まで科学技術コミュニケーターの「か」の字も知らなかった私が急に我事のように心配することではありませんが。自分の心配と、社会の心配というとても両極端な二つの不安を感じながらの修了でした。
活動を続けながら見つけていく
JTBと北大の産学連携企画:楽しくわかりやすい科学教室
さて、この二つの不安が「どのように取り除かれていったか」ということです。修了した2006年の夏休みに、JTBと北大が、産学連携の取り組みとして小学生向けの「楽しくわかりやすい科学教室」というイベントを全10回行いました。このイベントの企画と運営を、私を含めて修了直後の10人ぐらいの修了生たちが手伝いました。初めての試みということもあり、いろいろな問題が多発したのですが、当時無職だった私は昼間も自由に動けることもあって、様々な問題を片づける役回りになりました。その様子をNHKが取材して、朝のローカルニュースの特集で放送されました。それを自宅で見た時に、「あれ?私って、ちょっと役に立っている?」と自分の状況をポジティブに受け取れ、ちょっと背中を押されました。今にして思えばNHKのディレクターが役に立っているように編集してくれたのでしょう。
そんなこともあり、自分ではもっと「実習」を続けて、サイエンスコミュニケーションを続けられるスタイルを探したいと思い、自主的にサイエンスカフェをやったり、東京であっても「サイエンスコミュニケーション」と名の付くイベントに誘われれば行ったり、誘われなくても顔を出したりしました。そうやって自分の役割とスタイルを見つけようとしているうちに、私にできることは「若い人たちがサイエンスコミュニケーションを担うまでのつなぎ」ではないかと考えました。
「 スペースタイム」起業
まず、科学技術コミュニケーターを民間の職業として成り立たせてみたいと思いました。民間にこだわった理由の一つは、補助金が関係するプロジェクトだと3年~5年で打ち切られてしまうことがあります。そんな短い期間で結果を出そうと焦るのではなく、じっくりと腰を据えて、持続可能な仕事にしていきたいという思いがありました。
もう一つ民間にこだわった理由が、マネジメントの力をつけるためです。一般的な市場経済活動に挑戦して、できるのなら税金を払うぐらいの貢献をしたいと思いました。「実習」の延長にしてはだいぶハードルを上げたわけですが、どうせ一から挑戦するのであればたくましくなる道として民間ならではの鍛えられ方を選びました。
そして、一番の目標である雇用を増やし、若い人たちに担っていただきたいと思ったときに、清貧ではよくないだろうと考えました。志が高くても貧乏では続きません。これで食べていけるという職業にしていく必要がありました。
起業のために最初にやったことは、税務署に行って開業届けを出すことでした。職業の欄に「科学技術コミュニケーター」と書いたのは、日本で私が初めてではないかと思っているのですが、どうでしょうか(笑)。
こうやって「やってみなければわからないこと」に舵を切ったわけですが、私にはこのような行為が血によるものだと半ば納得していました.実は亡くなった私の母も祖母も、それぞれ会社を興していて、きちんと継続させていました。今は叔母が二社とも引き継いでやっています。そんな環境で育った私には「会社を作る」ということをそれほど無謀なこととは感じていませんでした。
個人事業から株式会社へ法人化
2006年夏から、個人事業という形態で始めました。すぐに若い人を雇って、路頭に迷わせるわけにはいきませんから、まず自分が実験台になることにしたのです。とにかく初めてのことばかりでした。ご依頼の対象となる分野もいろいろ、研究もいろいろ。自分の知っていることなど、本当に小さく、米粒ぐらいに思えました。いろいろと相談されたときに、「やったことがありません」などと言っていたら、一歩も進まないので、「やります!」と言い切りました。改めて勉強することばかりでしたが、すこしずつ大学や研究の広報のような仕事をさせていただきました。
製造業などと違い、投資するのは自分の時間だけですから、仕事が無くても潰れるということが無かったことは幸いでした。 3年ほど頑張ってみると、ずいぶんと忙しくなっていて、もしかして「職業としてやれるのではないか」「会社を立ち上げてもよいのではないか」と思えるようになり、2010年に雇用を増やすフェーズに入ろうと思い、法人化することにしました。会社名は「株式会社スペースタイム」としました。その時、 NPOにすることや有限責任会社にすることも考えたのですが、「株式会社」という形態にこだわり、けっして経営の自信があったわけではありませんが「社長」になってみることにしました。
その理由は、「“みんなでやる”は難しい」という予測があったからです。法人化するときに、志を同じくする何人かの人と組み、仲良く立ち上げたいという気持ちはあったのですが、それには落とし穴があることを知っていました。みんなでやると、責任の分担をしなくてはなりません。責任の分担をすると、今度は責任の転嫁が始まって、すると揉め事の種になりやすい。いわゆる「みんなでやる」というのは、お互いが納得できているうちは良いのですが、ちょっと揉め事が起きたときに弱いと思い、ここは自分独りで責任を取り、決断をすることができる社長という役割を持って、形態は株式会社を選びました。
よくよく周りを見ると、会社の創業というのは、独りでもやりきるという責任の強さや意思を曲げないワンマンさがないと成り立たないようです。対外的にも責任が分担されているよりは、この人が責任を持つのだとはっきりしているほうが、安心して依頼をしていただけるのではないかとも思い、独りで立ち上げることにしました。若い人たちにとっても、創業という最初の段階から主体的に関わるのはなかなか勇気がいることだろうと考え、まずは旗を降ってくれるリーダーがいて、そこに寄っていくほうが、最初のステップとしては安心なのではないかと思いました。創業者というのは、ワンマンで頑固、良く言えば志の象徴のような人です。そのワンマンさが社員の鼻に付くころには、会社は成熟していて、そのときこそみんなでできるようになっているのではないでしょうか。
株式会社スペースタイムの今
スタッフと環境
株式会社スペースタイムが、今どのような会社になっているのか、少しだけお話しします。社長1名、スタッフは正社員が4名。うち3名はCoSTEPの3期生、7期生、9期生です。あと、大学の研究職から転職した1名。スタッフ4名のうち博士が2名、修士が2名で、素晴らしいリテラシーと実現力を持った人たちに恵まれています。
会社は、北海道大学と札幌駅にごく近いところにあります。狙ってここに来たわけではなく、実は私が生まれた家を建て替えたビルの一室です。ビルの駐車場だったところを改装してオフィスにしました。まさに今時のガレージから始まった会社です。スタッフも増えてきましたし、イベントも展開していきたいので、今年中にほぼ倍ぐらいの広さに改装します。
仕事の紹介
デザイン、ウェブサイト制作、イベント企画運営など様々な仕事の中でもグラフィックデザインは依頼の多い仕事です。最近、印象的だったのは、Nature Structural & Molecular BiologyというNatureの姉妹雑誌の表紙を飾ったことです1)。
北海道大学大学院生命科学院の小布施力史先生の、X染色体の不活性化の仕組みを解明した論文が掲載されることになり、先生がその表紙の応募にもトライしてみたいということでご依頼をいただきました。小布施先生とご相談して、弊社スタッフの楢木が三毛猫をモチーフにした絵を作成しました。X染色体の不活性化というのは、雌、いわゆる女性にしか起きません。同様の仕組みが、雌しか三毛猫にならない要因なので、三毛猫とX染色体不活性化の合わせ技でデザインしました。丸い座布団が細胞を模しており、丸くなっている猫で不活性化しているX染色体を、もう一方の伸びている猫で活性化している状態を表現しました。浮世絵風にしたのは、日本の研究であるということをアピールしたかったためです。私たちは単にグラフィックをきれいに整えるだけではなく、その研究を理解し、研究が一番伝わる方法を考案しながら、このようなものを作っています。
次に、仕事を始めて間もないころに作った北海道大学理学部生物科学科のウェブサイトを紹介します(北海道大学理学部生物学科 2008)。これも単にデザインを良くするということだけではなく、生物学の成り立ちまで調べて、どういった構成や内容が相応しいかということを盛り込んでいます。
解説は長くなるので省きますが、他にイベントや、動画、アプリ、電子書籍など、さらにさまざまなメディアを複合させたクロスメディアな仕事もしています。スタッフには手を動かして制作する時期を経て、ディレクターになることを目指してもらいたいと思っています。
私たちの強みは、何といってもサイエンスの知識と経験、理解力です。そして、基本姿勢は「お節介」です。一歩も二歩も踏み込んだ提案をします。ときどき、踏み込み過ぎてうるさがられることがあります。もちろん失敗もあります。仕事を引き請けすぎてパンクして、ご迷惑をおかけしたことがありました。最近はクオリティを守るためには断ることも大切だと思うようになりましたが、せっかくのご依頼をお断りするのは本当に辛いです。
北大の公式英語ウェブサイトを2012年から2013年にかけて制作しました。北大の担当者の方が9th QS-APPLEいう国際的なカンファレンスのウェブサイト部門にエントリーしたところ、40 件以上のエントリーが出ている中ゴールドメダルを取りました2)。別のカンファレンスでは、海外の大学の広報担当者が、「このサイトを参考にしているよ」と、北大の職員の方に声をかけられたそうです。このことはその後の仕事の励みとなっています。
小さな自慢もさせてください。最近、Googleの取材を3回受けました(Google 2014A; 2014B)。その時に非売品のGoogleグッズをもらいました(笑)。インタビューをする仕事が多い私たちが、インタビューされることはほとんどありません。改めて自分たちのことを聞かれて答えて話しているうちに、私たちは新しい事業や、新しい働き方を提案する側になってきているのだと気づくことができました。
新事業に挑戦!サイエンスとプログラミングをいっしょに学ぶ教室Laccolla(ラッコラ)
今年からスペースタイムでは「ラッコラ3)」という主に小学生・中学生向けのサイエンスとプログラミングをいっしょに学ぶ教室を始めます。きっかけは、これまで私たちはサイエンスを伝えることに注力してきましたが、これからは受け止める側の理解の向上も同じくらい必要だと感じたからです。伝えることと、理解向上の両輪を走らせることで、また新しい展開をめざしています。
準備の段階で、生き物を模倣する科学シミュレーションの世界が面白いことに気づき、弊社スタッフが「切っても切ってもプラナリア」のアプリをつくってみました。これは札幌国際芸術祭2014の連携事業として開く「アートなカタチの再生」というイベント4)の広報用につくったもので、サイエンスとプログラミングを共に探究する醍醐味を感じるきっかけになりました。このように生物の動きや生態をプログラミングで再現することで、その生物をより理解することができ、また、他のサイエンスの分野でも応用できると考えています。
未来につながる今をつくりだす
実に様々なことに挑戦してきて、いまに至るのですが、決して独りでやってきたわけではなく、たくさんの人たちに助けられながら歩んできました。このプレゼンを作るときに、8年分の写真や資料を読んでいましたら、励まされ助けられた日々がよみがえり、本当に胸が熱くなりました。まだまだ小さな会社で、まだまだ半人前の経営者ですが、これからも頑張りますので、応援よろしくお願いいたします。
最後に、 「2011年度にアメリカの小学校に入学した子どもたちの65%は、大学卒業時に、いまは存在していない職業に就くだろう」というアメリカ・デューク大学の研究者キャシー・デビットソン氏の言葉5)を紹介します(山内 2012)。あと10年するといまの小学生たちがCoSTEPに入れる年齢になります。その時、今はまだ珍しいサイエンスコミュニケーターという役割が当たり前のような職業となっている未来であることを望みます。
1)表紙が掲載されたのはNature Structural & Molecular Biology, 20 (5) , 2013.http://www.nature.com/nsmb/journal/v20/n5/covers/index.html (2014年9月29日 閲覧).論文は Nozawa R. et al. 2013:“Human inactive X chromosome is compacted through a PRC2-independent SMCHD1-HBiX1 pathway,”Nature Structural & Molecular Biology, 20, 566-573.
2)QS-APPLE (Asia Pacific Professional Leaders in Education Conference and Exhibition) はアジア太平洋地域の大学教育に関するカンファレンス.第9回は韓国で開催され,48カ国から282機関が参加した.スペースタイムが作成したウェブサイトは9th QS-APPLE Creative Awards Best International WebsitePageを受賞した.http://www.qsapple.org/9thqsapple/index.php/qs-apple-conference/9th-qs-apple-creative-awards (2014年9月29日 閲覧)
3)ラッコラ(Laccolla)はLaboratory of Algorithms and Creativity through Collaborationのアクロニム ウェブサイトはhttp://laccolla.com/ (2014年9月29日 掲載)
4)2014年8月21日に開催.主催は「三次元構造を再構築する再生原理の解明」(文部科学省研究費補助金・新学術領域研究).ウェブサイトはhttp://event.stxst.com/reg/ プラナリアアプリはhttp://event.stxst.com/reg/pp/ (2014年9月29日 閲覧)
5)2011年8月7日 ニューヨーク・タイムズに掲載されたキャシー・デビットソン氏の研究に関する記事http://opinionator.blogs.nytimes.com/2011/08/07/education-needs-a-digital-age-upgrade/?_php=true&_type=blogs&_r=0/
文献
Google 2014A: 「株式会社スペースタイム 多彩なアプリケーションをマッシュアップでき多言語対応のUI で海外の人とも共有しやすいGoogle サイトをプロジェクトサイトとして活用!」『Google Apps forWork: 導入事例』 http://lp.google-mkto.com/rs/google/images/cs_google_spacetime_ja.pdf (2014年9月29日 閲覧)
Google 2014B: 「株式会社スペースタイム」『Google worksmart: 働き方が変われば,女性はもっと輝ける』http://static.googleusercontent.com/media/www.google.co.jp/ja/jp/campaigns/worksmart/pdfs/googleworksmart-interview-space-time.pdf (2014年9月29日 閲覧)
北海道大学理学部生物科学科(生物学) 2008: http://www.sci.hokudai.ac.jp/bio/ (2014年9月29日 閲覧)山内祐平 2012: 「10年後の教室:今は存在しない職業への準備―「21世紀型スキル」情報化によって生まれる“新しい職業”に適した“新しい教育”」『日経パソコンonline』 2012年5月9日 http://atc21s.org/wp-content/uploads/2012/05/Yamauchi-full-article-on-21c-skills.pdf (2014年9月29日 閲覧)