災害研究者の(サイエンス)コミュニケーション
自己紹介
私は災害社会学や防災教育を専門としている、いわゆる文系の研究者です。2014年4月から東京大学大学院情報学環総合防災情報研究センターに勤めています。中学生の時に北海道南西沖地震(1993年)を奥尻島で経験したことがきっかけで災害研究を志すようになりました。この災害が私の原体験になっているのですが、ちょうど10年前の2004年には北大の修士課程を修了し、公務員になっていました。その年は10月に新潟県中越地震があり、12月にスマトラ島沖地震による津波が甚大な被害をもたらしました。この災害では、津波というものを知らずに多くの命が失われたということにショックを受けました。北海道南西沖地震の時、私は津波を知らず、近所の人に教えてもらって逃げて助かりました。そんな自分に何かできることはないだろうかと、2005年から研究者の道を再び志し、博士課程に進みました。
CoSTEPでは2007年度に受講した3期修了生です。当時はNPOで防災関係の仕事もしていたのですが、漠然とした疑問を感じていました。伝えたい人たちの伝えたいことと、聞きたい人たちの聞きたいこと知りたいこと、その先にあるものというものが、どうも噛みあっていないのではないか。それはどこから来るのだろう、それをどうやったら解決できるのだろうということを考えていました。そんな時に隈本先生に出会い、CoSTEPを受講するに至りました。
活動
あさひかわサイエンス・カフェ
CoSTEPを修了した後も働きながら大学院博士課程に在学していました。その時にCoSTEP修了生の方々と様々な活動をすることができました。旭川にゆかりのあるCoSTEP関係者が「あさひかわサイエンス・カフェ」という団体を立ち上げる時に参加させてもらいました(朝野 2008)。あさひかわサイエンス・カフェ」のテーマ曲は、サイエンス・カフェ札幌のテーマ曲「ポラリス」をモチーフに作ったもので、個人的に思い入れのある一曲です。
第3回では「『泥流地帯』の世界〜火山学と文学の出会い」というカフェを企画しました。旭川出身の作家である三浦綾子さんの作品の中に、1926年に発生した十勝岳の泥流災害をモチーフとした『泥流地帯』という小説があります。その作品世界について、火山学者や三浦綾子文学館の学芸員と一緒に味わおうという内容です。まず、北大名誉教授の岡田弘先生と一緒に十勝岳の火山現象について学び、その後三浦綾子文学館を見学して、作品に関する資料を見た後に作品世界について語らう、私にとっても贅沢な機会を持たせていただきました。
ひとぼうカフェ
その後、神戸市にある「人と防災未来センター」という防災研究機関に勤めました。夏休みの行事を担当することになり、「神戸でなぜ火山の話をするんだ」と突っ込まれながらも、趣味を押し通して「ひとぼうCAFE」と題したイベントを企画しました。このカフェのチラシで表現したかったのは、融雪型泥流という『泥流地帯』に描かれた現象です(図2)。融雪型泥流のレシピが書かれた文献(林 2006)を元に試行錯誤し、カフェでは、アイスで作った火山に、噴出物に見立てて温めたチョコレートシロップをかけ、チョコレートがアイスを溶かしながら麓に流れていくという現象を再現しました。その後参加者と研究者でグループごとにアイスを食べながら防災について語り合いました。紆余曲折の末実現した企画だったのですが、その後も人と防災未来センターでは「ひとぼうカフェ」という名前のイベントが継続しており、後に続く活動に関わることができたことをありがたく思っています。
北大の理学部に勤務して
2011年4 月から2014年3月までは北大の地震火山研究観測センターに勤めました。そこではアウトリーチのサポートをし、裏方として科学者と市民をつなぐ仕事をするのだというイメージで着任しました。
しかし、3.11の直後だったので、着任してみると電話が鳴りやまない。来客や取材は殺到する。それをしかるべき方々に繋いだり、時には自分も出ることになる。奥尻で災害経験を持つ研究者ということでメディア露出が増えてしまいました。北海道弁で言うと「おだっているんじゃないか」ということもかなり言われました。ただ、取材対応や番組出演時は、「おだつ」余裕もなく、仕事としてやり切ることに精一杯でした。また、カメラを前にして、生放送で自分の言葉がそのまま放送されるという場面では、何をどう言えば伝わるのだろう、どんな人たちが画面の向こうにいるんだろう、ということを悩みながら発言していました。そういう経験を通して、メディアの方たちとも知り合うことができ、その後一緒に活動させてもらう機会にもつながりました。
地震火山研究観測センター宛に寄せられる依頼は、自然科学の知識を得るためのものと、防災・減災・復興の実践に関わる知識や技能を取得するためのもの、という大きく二つに分けられました。時にはメディアや講演会等の市民向けの行事に地震分野の先生と一緒にうかがい、自然科学の話は地震の先生、私はその他の話題という役割分担でお話させていただくことがありました。そういった活動はお互いに無理をせずにすみ、とてもありがたい環境でした。
求められる人材
震災の経験から
震災後は非常に問い合わせが多く、私宛の講演や講義、研修の依頼だけでも年に3~40件あり、必死に走り続けた北大の3年間でした。依頼が多かった理由のひとつに、私が北海道でおそらく唯一の文系災害研究者で、他の方々と異なる切り口での講演、研修ができるという物珍しさがあったと思います。北大を含めて北海道の大学では、災害に関わる研究者を育てる仕組みがありません。理学・工学で防災に関連する研究をする環境はある程度整っていますが、災害研究は学際的な学問です。様々な学問領域で防災・減災・復興に関する研究や社会と関わっていく環境が必要です。私自身は本当に恵まれたことに、文学部に在籍しながら、理学部や工学部の先生方に色々と学ばせていただきました。総合大学の恩恵を存分に受けたと思っています。
数少ない北海道に関わる文系の災害研究者としては、北海道で防災・減災・復興に関わる人や研究者を育てる仕組みを何とか作っていただきたいです。北海道は豊かな自然がありますが、それは災害のポテンシャルもあるということです。北大教員のみなさま、是非ご尽力よろしくお願いします。CoSTEPも10年経って多くの修了生が多方面で活躍しています。北海道の中で防災・減災・復興に関わる分野でも同じように人を育てていく仕組みが作られること、それが私の願いの一つでもあります。
「 減災のテトラヘドロン」
宇井先生、岡田先生という火山学者の方々が「減災のテトラヘドロン(正四面体)」というモデルを提唱しています(宇井・岡田 1997)。住民、行政、マスメディア、専門家みんなで減災社会の実現を目指していくというモデルです(図3)。お二人はコミュニケーターとして、ご自身で伝えることができる方々です。ですが、残念ながら皆がそうではありません。ですからサイエンスコミュニケーターが必要とされています。特に防災・減災・復興といった活動では、理解してもらうだけではなく、実践していく仲間を増やさないと、みんなで助かることもできないし、みんなを助けることもできない。それぞれのアクターをつなぎ、行動につなげていくコミュニケーターが求められています。
活動の目的
私自身が研究、社会的活動の原則として掲げているのは、結果的に防災・減災、復興や生活再建に資することです。基礎研究をないがしろにしている訳ではなく、基礎研究に携わる方々にはぜひ頑張っていただきたいと思っています。ただ、自分は奥尻島の経験から、誰かの何かに関わること、お手伝いをすることを目指したいと思っています。それは3。11の前から防災研究、災害研究、復興に関わる研究に携わっていた者の責任というか、関わるべきライフワークだとも考えています。研究活動も、イベント企画も、外に出ていって話をし、研修をするのも、報道対応をするのも、全て防災・減災、復興に向かうためのものでありたいと考えています。そのためのサイエンスコミュニケーションであり、その他の活動だと思っています。
自分自身のコミュニケーションに関わる活動について整理してみたのですが、「伝える」という活動はもちろんありますが、私に関してはあまり多くありません。それで「(サイエンス)コミュニケーション」というタイトルにしましたし、サイエンスコミュニケーターと名乗ることへの引け目も感じています。「伝える」ということの前に「聴く」ことが非常に多いです。北大在職時は市町村の方や防災に関わる方が多数来られて、いろいろなお話を聴く、カウンセラーのような状態でもありました。熱意があって実践の場で悩んでいる方々から「こういう課題があるんです」「こういう取り組みをしたいのですが、専門家を紹介してほしい」「何か取り組みをしたいけれど、講演会以外思いつかない」というようなお話をうかがいました。そういった話からニーズを聴き取り、その後「つなぐ」ということをしました。私自身が講演等にうかがうこともあれば、他の研究者の方や、自治体や団体などで参考になる事例をお伝えし、コンタクトを取るように勧めました。メディアの方には「この地域の取り組みが素晴らしいので、よかったら取り上げてください」というような紹介もしています。特にメディアに取り上げてもらうと、地元の励みになるようで喜んでいただいています。
あとは、バランスに気をつけながら「促す」「励ます」こともしていました。防災・減災・復興の実践に際して、やる気になってもらうというか、もうちょっと頑張ろうかな、やってみようかなと思っていただけるようにするのも、自分のミッションの一つにしています。一方で、防災・減災・復興に関わる人は頑張りすぎて倒れてしまう人も時々いるので、互いにいたわることや、休むよう勧めることも必要です。
これらがサイエンスコミュニケーションかというと、当てはまらない部分も多いのでしょうが、実際に自分がしていることは以上のような内容で、それらのすべてが防災・減災・復興に向かっていくものでありたいと考えています。
(サイエンス)コミュニケーションの課題
災害に関わるサイエンスコミュニケーション
3.11以降、防災や減災、復興に関わるサイエンスコミュニケーションとは何だろうと、悩み続けています。「正しく伝えれば、正しく行動するはずだ」という幻想がまだ多いように思います。いいものを作ったのだから、これを理解して「正しく」使えば、みんなちゃんと逃げられるはずだ、というような考えです。人の心理、性質や行動を無視して、「正しく」伝えることに特化した活動が依然として続いているのではないかという懸念があります。防災教育に関しても、地学教育や地学的なアウトリーチを充実させれば、それで防災教育になるという風潮が一部に根強く残っているようです。そういう方達とのコミュニケーションの難しさを感じています。また、「正しく使えれば、正しく判断し行動するはずだ」といった時の、「『正しく』使える『正しい』話」とは何か、という疑問があります。科学的な知見と、防災の実践の場の間にギャップがあるし、しかもまだ分かっていないことに関してはどうするのか。丁寧に扱う部分を粗雑にしてきたのではないでしょうか。
北大在職中は、地震予知ができると信じている市民の方からの電話も受けました。怒鳴られることも多々ありましたし、悲痛な声を聴くこともありました。「隠しているんじゃないか」「早く言ってくれ」「うちは古い木造の家に高齢の母親と住んでいるんだ。地震が来る前に教えてくれないと逃げられないんだ」とか、東北の女性から「マグニチュード9クラスの地震がもう1度起こるのなら、家族を連れて避難したい。ネットで見た情報は本当ですか」というような電話がかかってきました。でも、その時点でその方々のご要望に添える情報はありません。わかっていないからです。地震を予測したと言って情報を拡散した人もいましたが、その時点で誠実に市民の方々にお伝えできることは、「いつ来てもいいように備えてください」というメッセージであり、そのためのサポートだと思っていました。自然科学の研究者は知識面でサポートを求められることが多いですし、そのようにしていると思います。しかし、直接市民の声を聴き、まず不安の元は何だったのかを理解して、気持ちに寄り添って伝えることのできる人は、まだまだ不足しています。
リスクコミュニケーションという言葉も最近流行っていますが、一種の怖さを感じています。「美味しんぼ」騒動の時に、「安全だということを伝えるためのリスクコミュニーションが必要だ」と発言する方がいました。リスクコミュニケーションは一方的に押しつけるものではないはずなのに、社会的に影響力のある人たちの間で、人々を説得し、他の考えを認めないようにする手段として認知されているのは怖いことではないか、という不安を抱いています。それに対して何をしていくのか、私自身まだまだ模索中です。
研究者として
私は北海道大学の文学部出身ですが、理学部に着任した後はカルチャーショックの連続でした。新鮮な驚きや発見もありましたが、教職員とのコミュニケーションに悩みましたし、周囲もそうだったかもしれません。「自分たちの仕事は基礎研究だから、防災とかのアレンジはよろしくね」といったような、文系研究者を下請けのように捉えていると感じたこともありました。私の研究テーマについて職場で話すことも尋ねられる機会もほとんど持つことができず、職場内のコミュニケーションを図るための努力を怠っていたことを反省しています。
最後に、繰り返しになりますが、誰かの行動をコントロールするものではなく、人々が主体的に判断し行動することをサポートするコミュニケーションのあり方について、ずっと悩んでいます。日頃、色々な思いを持つ人々・団体の方とお話しすることがあります。私自身の思いはさておき、思想信条に関わらず、「この人たちに必要な情報は何だろう?」「どういう情報が判断を助けるのだろう?」ということを、できるだけ先入観を持たずにうかがい、誠実に伝えるにはどうしたらいいか考える日々です。とはいえ、そもそも任期付きの研究者の身ですので、このようなことを悩みながらも、この先の雇用はどうなるのだろう、将来も研究者として生きていけるのだろうか、という個人的な不安を抱えながら、活動をしているところです。何とか生き延びて、防災・減災、そして復興に関わる研究や活動を続けていきたいと考えています。
謝辞
北大在学中よりお世話になっている教職員のみなさま、CoSTEP関係者のみなさま、フィールドでお世話になっているみなさまのおかげで、このような機会をいただきました。心からの感謝を申し上げます。
文献
朝野裕一 2008:「あさひかわサイエンス・カフェを立ち上げて:科学で地域を盛り上げる試み」『科学技術コミュニケーション』3,129-136.
林信太郎 2006:「キッチン実験でたしかめよう、いろいろな噴火」『世界一おいしい火山の本』,53-95.
岡田弘・宇井忠英 1997:「噴火予知と防災・減災」宇井忠秀編『火山噴火と災害』東京大学出版会,79-116.